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第5話:ショーへの出演依頼

 口には出していないが、実はケイには深い感謝の念を抱いている。  アルバイトだった自分に正社員という地位と、優しい仲間達に囲まれる居場所を与えてくれた。  ケイの強すぎる愛情には、困ってしまうことが多いけれど、それでもいつかはちゃんと感謝の気持ちを形に表したいと思っている。そして、叶うのであれば常に彼の味方でいてあげたいと、奏人は密かに考えている。  けれど、現実というのはいつも思うようにいかない。 「どうしても嫌ですか?」 「嫌。ボク、もう二度とショーにはでないと言ったはずだよ」  つい数秒前まで活気づいていた会議室内の空気は、ケイの一言で完全に凍ってしまった。  今、部屋の中央に座る奏人とケイは、セドリックと社長の金井、そしてスタッフ達の困り顔に囲まれている。 「でもなケイ、セドリックがデザイナーとして参加する日本のショーなんて、この先あるかないかだ。しかも、セドリックに指名されているのはお前だけ。こんなチャンスを逃すのは、もったいないと思わないか?」  必死に金井がケイを説得する。けれど、ケイはつまらなそうな顔をするだけで首を縦に振る様子は少しも見られない。  この全く進まない話し合いの発端。それはセドリックが二週間後に日本で開催される、コレクションショーへの参加を突然決めたことだった。  セドリック曰く、せっかく日本にいるのだから何か日本のファッション業界のためにできることをしたいとのことだが、恐らくその裏にはケイに自分の服を着せたいという願望が隠されているのだろう。 「チャンスなんて関係ない。それに三年前、社長は約束したよね? その時のショーに出たら、二度とその関係の仕事を持ってこないって。あの時の約束、破るの?」 「だが、あの時と今回は規模が……」 「そんなの知らない。とにかく、ボクは出ないから」  相手は社長だというのに、まるで遠慮がない。見ているこちらの肝が、冷えてしまった。  しかし。  何故だろうか、金井達の願いを突っぱねるケイの表情が少し曇って見える。何か辛いことがあるような、そんな顔だ。 「じゃあ、話がそれだけならもう行くよ」  そう言って立ち上がると、ケイはそのまま会議室から出て行ってしまった。  バタンと扉が閉まった瞬間、その場にいた全員が溜息をつく。奏人も呆気にとられたまま、動けなかった。  元から我が儘で頑固なところはあったものの、ここまで強く拒絶するケイを見たのは初めてだ。 「ねぇ、奏人」 「……え? あ、ごめんセドリック、ぼうっとしてた」 「大丈夫デスヨ。ただ……申し訳ないんですけど、奏人からも説得していただけまセンカ?」  今、この中でケイを説得できるのは奏人しかいない。お手上げ状態のセドリックが、藁にも縋るような顔で願ってくる。 「でも、あの様子じゃ、俺の言うことだって聞いてくれるか……」  正直、自信が持てなくて戸惑っていると、次はいつになく冷静さを欠いた金井までもが頭を下げてきた。 「俺からも頼むっ。今回のは国内外のメディアが注目してるから、どうしてもケイに出演してもらいたいんだっ」  本心としてはケイの願いを尊重してやりたいが、この機会を逃したくないと考える金井の気持ちも分かる。加えて雇って貰った恩もあるため、奏人はすぐに首を横に振ることができなかった。 「……分かりました、一度、話してみます」  とりあえず、どう動くのが正解か見極めるためと、ショーに出ないと言った時のケイの表情の理由を確かめるためには、一度話し合う必要があるだろう。奏人はそう結論づけるとゆっくりと立ち上がり、ケイの後を追った。 ・ ・  ケイを探して辿り着いたのは、事務所ビルの屋上だった。  金網の向こうに広がる都内の景色を眺めていた目的の長身を見つけた奏人は、なるべく重たい空気にならないよう、明るい声をかけながら近づく。 「セドリックってさ、遊んでるだけじゃなかったんだね。正直びっくりしたよ」 「奏人さん……」  すると奏人の声に反応して、顔を曇らせたケイがこちらを向いた。 「いつも勝手に押しかけてきて、くだらないこと話して……実は俺、セドリックのことすごいデザイナーだって信じてなかったんだ」  言いながら、ケイの隣に立つ。そして奏人も一緒に、色の悪い雲に包まれたビル群を眺めた。 「なのにショーに参加するって決めてからたったの一週間で、ケイの衣装を四着も作り上げちゃったって言うんだから。本当に驚いたよ」  この場にセドリックがいないからこそ、話せる話なんだけど。奏人はクスクスと指で口を押さえて笑った。 「――――ねえ」 「ん?」  不意に固い声で呼ばれてケイを見ると、彼は不安な表情を浮かべて、こちらを見ていた。 「奏人さんもボクがショーに出て欲しいって……思ってる?」 「そりゃ、社長に頼まれちゃったから立場的にはね。ただ、どうしてそんなにショーに出るのが嫌なのか聞きたいんだけど……いい?」  こちらまで深刻な顔をしてしまうと、ケイを追いつめてしまう。奏人はできるだけ柔らかな表情でショーを嫌う理由を尋ねた。するとケイは少し躊躇いを見せたが、静かに口を開く。 「…………ショーはダメなんだ。舞台に立つと身体中が震えて、気分が悪くなる」 「それは緊張してってこと?」 「ううん、違う。分かりにくいかもしれないんだけど、ボクの身体が全力で拒んでるんだ。舞台にだけは立ちたくないって」  俯き、辛そうに眉を顰める。強く拳を握る様子から、必死に何かを耐えているように見えた。 「昔、ショーで何かあったの?」 「っ……それは……」  もう少し詳しいところまで切りこむ。が、そこからは完全に口を噤んでしまった。気まずそうに、こちらをチラチラと見ながらケイは唇を噛んでいる。その様子を見て奏人はすぐに悟った。ショーに出られない理由を、聞いて欲しくないのだと。 「話したくないなら、言わなくていいよ。俺も無理矢理聞きたいとは思ってないから」  奏人はじっとケイを見つめたまま、考える。  出てきた結論は、一つしかなかった。 「…………ただのワガママなら話は別だったけど、ケイが本当に嫌なら仕方ないよね」 「え?」 「分かった。俺、社長を説得してみるよ。ケイがショーに出なくても済むように」  本当にすべきことは逆だけれど、気づいた時にはそう言っていた。 「いい……の? だって、ボクを説得するように言われてきたんでしょ?」 「まぁね。でも……嫌なことを強制されることの辛さは、俺もちょっとだけだけど分かるから……」  昔――――自分も辛いことを強いられたことがある。  似たような経験を持つ奏人が、一瞬だけ脳裏に己の汚れた過去を甦らせると、たちまち全身に身震いが起こった。 「っ……」 胸を圧迫されるほどの痛みを強制される。これほど苦しいことはない。だからこそ、ケイを守ってやらなければと思った。 「奏人さん……」  ケイにとって一番の難関だった奏人の説得がなくなって嬉しいはずなのに、こちらに見せる顔は複雑さを表している。 「何だよ、ショーに出なくて済むんだから、もっと嬉しそうな顔したら?」 「でも……それじゃ奏人さんが……」 「いいよ、上に怒られるのもマネージャーの仕事なんだから」  本当は説得できませんでしたと金井に告げるのは少し怖いけれど、恩のあるケイのためなら頭を下げることなんて、どうってことない。奏人はそう納得し、微笑みながら金井への報告の言葉を考えはじめた。

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