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第4話:家族が欲しい彼と、家族を知らない俺

 1LDKと言えば一人暮らしには丁度いい間取りだが、ケイの住む部屋は普通と大分違った。  カウンターキッチンが設置されたダイニングと、続くリビングは合わせて三十畳あり、寝室に使っている部屋も十五畳ある。機能面も充実していて、水回りなどは全て最新の設備が、それ以外の部分では何か問題が起こった時、すぐに対応してくれる専属のコンシェルジュが二十四時間常駐しているという、至れり尽くせりの物件だ。  まだ若いのにこれほどまでの場所に住めるのは、勿論それだけの収入を得ているから。こういうところを見ると、ケイの凄さを再度実感してしまう。 「脱いだスーツとシャツは、クリ―ニングに出しておくから置いといて。あと、寝る時はボクの服でいいよね? ベッドは広いから一緒に寝るとして……」  「何勝手に決めてるんだよ。俺はそこのソファーで寝るし、スーツもクリーニングに出したら明日着るものなくなるだろ。それと……何でルームウェアとか言って持ってるのがワイシャツなんだよ」  さすがにスーツのまま寝るわけにはいかないと、部屋着を借りることになったのだが、持ってきたケイの手の中にあるのはシャツだけで、どこにも履くものが見当たらない。ただ忘れたのかとも思ったが、ケイは嬉しそうにシャツを差し出すだけだ。 「え、だってこういう時って彼シャツが定番でしょ?」 「どこをどうねじ曲げたら、その答えに辿り着くんだよ! ホラ、早くスーツかけるハンガーと、スウェットの上下を用意して! じゃないと、今からでも帰るからね!」 「帰るのは駄目! …………分かったよ。でも、スーツの方はさっきも言ったとおり、心配しないで。そこの箱に奏人さんのスーツが入ってるから」  奏人に帰ると言われ、慌てたケイが渋々了承しながら部屋の隅に置かれた箱の山を指差す。 「俺のスーツ?」  モデルルームのごとく無駄なものが一切置かれていない部屋に不釣り合いなほど積まれた大きな平箱。そこにどうして奏人のスーツが入っているのだろう。不思議に思って近づく。しかし、途中で嫌な直感が走った。 「まさかと思うけど、あれ……」 「全部奏人さんへのプレゼントだよ。サイズは合ってるから大丈夫だと思う」  やはり、予感は的中した。 「全部って、これブランド物ばかりじゃないか! 何無駄遣いしてるんだよっ」  ケイの驚くべき行動に、思わず声を荒げてしまう。 「無駄遣いじゃない。ボクにとっては自分のものよりも大切なものだよ」 「そうだとしても、こんな高い物ばかり買わなくてもいいだろっ」 「え、だって服や時計みたいな身につける物は、持ち主と相応の価値の物を選ぶのが普通でしょう?」 「持ち主と、相応の価値……」  つまりケイの中にある奏人の価値は、目の前にある高価な服と同じだということ。聞いた途端、胃の辺りがギュッと痛んだ。出会って一年しか経っていない人間に、価値があると言ってくれることは嬉しい。でも、奏人にはケイの評価が重かった。 「……買いかぶりしすぎだよ」  自分には、価値なんてない。 「プレゼントは嬉しいし、せっかくだから使わせてもらうけど、お願いだから俺に過剰な期待はしないで」  服の入った箱から視線を逸らし、ソファーに向かう。だが、ケイは不思議そうな顔をするだけだった。自分の評価を否定されて、やや納得がいかないらしい。 「…………じゃあ、指輪ならいい?」 「え?」 「服や時計を贈られるのは、嫌なんだよね? だったら指輪なら許してくれる?」  何故、唐突に指輪なんて持ち出してくるのだろうか。装飾品というのならば、時計も指輪も変わらないのに。奏人は首を傾げそうになったが、瞬間的に昼の会話を思い出して口角を引き攣らせた。 「まさかそれ、昼にしてた結婚がどうのっていう話の続き?」 「そうだよ」 「あのネタ、まだ続いてたんだ……」  奏人がドレスを着るだの、どこの国でなら結婚できるだの、セドリックを加えて熱弁していたケイを思い出して溜息を吐く。  しかし、今度のケイは引き下がらなかった。 「別にネタじゃないよ。本当に奏人さんと結婚したいって思ってるから」  真剣な顔をして奏人の手を握り、ケイは強く訴えてくる。 「あのさ、俺のことが好きとか、そういうのはもう今更だけど、どうしてそこまで『結婚』にこだわるの?」  ケイは毎日聞き飽きるぐらい『好き』と言うが、同じぐらい『結婚したい』とも言う。最初は軽く聞き流していたが、こう何度も拘りを連呼されると、やはり気になってしまう。 「家族が欲しいんだ」 「家族?」 「そう。ボク、親の愛情に恵まれなかったから、家族なんて必要ないって思ってた。でも奏人さんと出会って、ずっと一緒にいたいって考えるようになってから、温かい絆で結ばれた家族に憧れるようになったんだ」  穏やかな顔で見つめられ、指先で頬を撫でられる。その指の動きから、ケイの愛おしいという気持ちが痛いほど伝わってきた。 「ボクは、愛する人との確かな約束が欲しい。一度結んだら一生離れないっていう、絶対の約束が」  約束があると安心できるから。そう語るケイだが、奏人は素直に頷けなかった。 「……でも、例え神様の前で一生一緒にいると約束しても、必ずずっと一緒にいられるわけじゃないよ」 「え?」 「どれだけ愛し合っていても別れる夫婦だっているし…………子供を捨てる親だっている」 「奏人……さん?」 「え……あっ」  口から漏れた言葉は、完全に無意識に出たものだった。しかし、ケイの驚いた声に、奏人はハッと我を取り戻す。そして後悔した。  何で、いきなりこんなことを口にしてしまったのだろう。 「ごめん、今の何でもないから!」  動揺を隠せない状態のまま気にするなと言ってはみるものの、ケイは不安そうな瞳を揺らしながらこちらを見つめる。 「何か、辛いことあったの? ボク、役に立てないかもしれないけど、話ぐらいは聞くよ」 「いや、別に辛いとか……」  咄嗟に別の話題で話を逸らそうとしたが、既にケイは話を聞く体勢に入ってしまっている。だからと言って嘘を言って誤魔化すのも何だか申し訳ないし、自分はそこまで器用でもない。  どうしようか一瞬迷ったが、ここまで来てしまったら仕方がないと、奏人は言葉の真意を話すことを決めた。 「…………実は、俺も家族には縁がなかったんだ。俺が小さかった頃は家族全員仲がよかったんだけど、ある日突然父親に暴力を振るわれるようになって、見兼ねた母親に親戚に預けられて……気づいたら、二人とも姿を消してた」 「奏……人さ……」 「ああ、でも大丈夫だよ。俺を引き取ってくれた人が…………ちゃんと面倒を見て大学まで出してくれたから」  だから心配しなくてもいい。そう続けようとした瞬間、奏人はケイの腕の中に吸いこまれた。 「ごめんね、奏人さんっ! ボクのせいで辛い過去を思い出させちゃって。本当にごめん……なさい」  奏人の身体を包むケイの腕が、後悔を表すかのように大きく震えている。 こんなことで大袈裟だ。頭ではそう思っているのに、何だか心の底から大切にされていることが、嬉しいと思えて胸が温かくなる。  「いいよ、別に怒ってないから」 「でも……」 「本当だって。だからケイが抱きしめても怒らないだろ?」  いつものような軽はずみな行動ではなく、ちゃんと心が籠もったものだから今だけは許そう。奏人は大人しくケイの長い腕の中におさまる。  温かくて心地好い、体温と心臓の音。身を寄せて感じていると、心が落ち着く。  だが、しかし――――。 「っ……」  何故かこうしてケイに抱きしめられていると、ふと気を許した瞬間に自分が自分でなくなりそうになる感覚に襲われる。自分では抑えられない熱が暴走しそうになる、そんな感覚だ。  これは今日はじまったことではなく、ケイにこうして抱きしめられるようになって気づいたもので、どうしてこうなるのか自分でも理由が分からない。ただ、一つ確信していることは、この感覚を絶対に暴走させてはいけないという直感のみ。  今も心地好さを感じながら、必死に変化に飲みこまれないよう耐えている奏人は、形の見えない恐怖に胸の奥をそっと震わせた。

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