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第1話

星影のエチュード~15年前~  雪の中にある小さな山小屋は、いつ訪れても人の気配がする。  毎日のように空気を入れ替え、掃除も行われているからだ。  バカラのグラスにウィスキーを入れ、悠護(ゆうご)はリビングの入り口にもたれた。部屋の中央には大きなソファセットが置かれ、奥には暖炉がある。カーテンや絨毯は冬仕様で、来週にはクリスマスツリーを入れると管理人から言われた。おそらく今年も、眺められない。明日にはヨーロッパに戻って、クリスマスパーティーのハシゴが始まる。  去年の冬。なにも知らなかった悠護は、この別荘を周平(しゅうへい)に貸した。  結婚なんてするはずのない男が身を固める覚悟をしたと聞き、本命相手にどんなセックスをするのかと、設置済みの隠しカメラで覗き見をしてやるためだ。  その夜の映像は、ソファ脇のラップトップデスクに置いたタブレット端末の中にある。  スイスのリゾートで生中継を愉しませてもらったが、所詮は隠し撮りに過ぎない。相手の顔ははっきりと見えなかったし、声も録音しなかった。そこまで悪趣味じゃない。  手にしたグラスの中身を舐めるように飲み、悠護はため息をつく。  ソファに戻って、タブレットの画面に触れた。  もし、相手を知っていたら、無音での録画を選んだろうか。  心の中がじくじくと痛み、酒をあおる。喉が焼けるように熱くなり、眉をひそめた。  本当のところはわからない。  偶然の再会だったからこそ、忘れられない女の正体が、『男』だと言われても受け入れることができた。本名さえはっきりしない『美緒(みお)』を探し出すことは不可能に近く、それでも女がひとりで生きていくのは大変だろうと思い、心のどこかでいつも気にかけていた。  愛した女が不幸になるのは忍びない。たとえ誰のものになっていても、困窮しているなら救ってやるつもりでいた。その思いだけで、おそらく、自分はいままで生きてきた。 「それがなぁ、まさかね」  笑いながら、再生ボタンを押す。  音もなく流れる映像の中で、周平の手が相手の髪を撫でる。感じさせるためのあくどい手管ではなく、ただ、そうしたくてたまらないからする動きに、悠護の胸は疼いた。  去年の冬は、笑いながら見ていたのだ。  悪魔のような手管で女をたらしこむ百戦錬磨の男が、たったひとりの男に対して全身全霊を傾けるさまは、ベルギー製のチョコレートよりもなお甘く、高級なアルコールの味を引き立てた。しかも相手はどこまでもぎこちなくて、あと一歩が踏み込めない周平の内心が読めるだけにおもしろかった。  それが、いまとなっては胸に苦しいだけの映像になっている。  かつては美緒だった佐和紀(さわき)の腕が宙を掻き、快感を持て余しながら周平の身体に触れる。その遠慮がちな動きこそが美緒そのものを連想させ、悠護は目を閉じた。  不思議な気がする。女だと思っていたから、誰と恋をしていてもいいし、結婚して子どもがいても、ふたりの記憶だけは美しく横たわるのだと信じていた。互いの幸福を妨げず、現在の暮らしを守ってやるつもりだったのに。あの頃と変わらないキツイまなざしで見据えられ、周平が好きだと言われるたびに胃の奥はキュッと痛んだ。  男を抱く趣味はない。惚れていた相手が男だとわかっていた時点で、終わってしまえばいいだけの話だ。なのに、心が自分自身を裏切ってくる。  周平より早く出会っていたのに、どうして、俺のものじゃないのか。  脳裏に、大滝(おおたき)組で覗き見たふたりのセックスが甦った。映像の中に残されたぎこちなさはすでになく、愛し合うふたりは濃厚に絡み合い、男同士のセックスだとわかっていても悠護を興奮させた。  グラスを傾け、ソファに深く沈み込む。十五年は遠い。でも、何度も思い出した過去は、古びているからこそ、悠護にとってはかけがえのない記憶だった。

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