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第2話
***
その少女と出会ったのは、場末のスナックだ。
お仕着せの和服と濃い化粧。知り合いに連れてこられた悠護には初め、その魅力が理解できなかった。その場を盛りあげるための会話をするでもなく、お人形のように座っているだけだから、ケラケラと陽気に笑うホステスの方が何倍もとっつきやすかった。
でも、ふと笑った瞬間の赤いくちびるがあどけなくて、それに気づくと、目が離せなくなる。魅力があるのは事実で、酒焼けしているわけでもない低い声もまた、媚を売らない彼女の、凛とした印象を裏付けていた。常連のおっさんたちは夢中だった。
「俺、もう帰ります。これ以上、飲めませんって!」
へべれけな振りをした悠護は、顔の前で手を振る。初老の男が、ガハハハとがさつに笑った。
「どうせ、明日も暇なんだろう。もう一軒行こう」
「いや、無理ですよ。ってか、暇じゃないです」
「おやっさん。悠護さん、困ってますよ」
二十代後半の若い男が、悠護に絡むオヤジをなだめる。
「すみませんね。男のお子さんがいないもんですから、張り切っちゃって」
「いえ、こちらこそすみません。最後まで付き合えればいいんだけど」
「かまいませんよ。しょっちゅう付き合ってもらってますし。これに懲りず、またよろしくお願いします」
「いえ。こちらこそ」
頭を下げ合う。
「ご自宅まで送らせましょう」
「あ、歩きます」
「それは……。通りで、タクシー拾ってください」
「大丈夫なんだけどなぁ」
「お願いしますよ」
困り顔を見せた男が、折りたたんだ紙幣を悠護のポケットにねじ込んだ。それから、『おやっさん』と呼んだ男を促す。
「それじゃ、失礼します。ご自宅に着かれたら、コール入れてください」
「はい。それじゃ」
会釈を交わし合って、おやっさんと数人の取り巻きを見送った。
刑務所から出て一年。それまで預けられていた大阪の組には戻れず、実家に戻る気にもなれなかった悠護は、父親の兄弟分が組長をしている静岡の組で世話になっていた。
とはいえ、マンションの部屋と日々の生活費を与えられ、こうして飲み歩く以外は放置状態だ。だから、『明日も暇』に間違いはない。
タクシーを捕まえるために大通りへ向かった悠護は、路地裏で揉み合う人影に気がついた。自然と足が止まる。
終電も終わり、日付の変わった繁華街だ。酔っぱらい同士のケンカも珍しくはない。でも、数人の男と揉み合う人影が肩より長い髪をしていたら、それは普通じゃないだろう。
ときどき、いるのだ。遅くまで遊び歩いている女の子になら、なにをしてもいいと思う野獣のような不届き者が。
殴り合いは得意じゃないが、女の子を見捨てるのも忍びない。世話になっている組の名前を出して追い払うのは常套手段だ。今回もそのつもりで、悠護は裏路地に足を踏み込んだ。
抵抗しながら引きずられる女の子を追いかけ、薄汚い道を急ぐ。スナックの客ががなり立てるように歌うカラオケが響き、生ごみの匂いが暗い景色に淀んでいた。裏路地のどんよりとした雰囲気だ。
「嫌がってるだろ。やめてやれよ」
声をかけると、男たちが勢いよく振り向いた。
「……あぁ? なんだ、おまえ。やるのか?」
絵に描いたようなチンピラにぐいぐい詰め寄られ、悠護はため息をつく。
「やってもいいけど……」
答えながら、ポケットを探った。小型のスタンガンを携帯しているのは、さすがに拳銃というわけにいかないからだ。取り出してスイッチを入れると、薄闇で電流が光る。
「これさ、小さいけど、けっこうすごいんだよ。味わってみる?」
ぐいっと腕を突き出す。
「もう警察呼んでもらってるから」
女の子に向かって嘘をついた。男たちには効果テキメンだ。
「くっそ。覚えてろよ……っ。行くぞ!」
仲間に声をかけ、酔っぱらいたちは足をもつれさせながら走り去る。
「覚えてるわけねぇだろ。バーカ」
スタンガンを宙に投げ、くるっと回って落ちてきたのをすかさず掴む。ポケットに戻して、髪の長い女の子へ向き直った。
「ケガしてない?」
ゆとりのあるシルエットのジーンズにチェックのシャツを着た姿は、酔っぱらいが目をつけるほどセクシーな格好じゃない。
でも、理由はすぐにわかった。髪に隠れてよく見えなかった顔が露わになったのと同時に、悠護は思わず息を呑む。ついさっき、その子は薄暗いスナックの隅っこで客の水割りを作っていた。えんじ色の着物で、すとんと座っていたのだ。
「美緒、ちゃん……」
呼びかけると、相手は小首を傾げた。
「さっきまで、君の店にいたんだ」
「お客さん……。すみません、ありがとうございました」
こんなにきれいな顔をしていたとは思わなかった。厚化粧の人形も、化粧を落とせば愛らしいひとりの少女だ。しかも、あどけない美少女だった。
酒を一滴も飲まないから、未成年なのかも知れないとは思っていたが、想像以上に幼く見える。
「とにかく行こう」
立ちあがって腕を引くと、素直についてきた。
「ケガはない?」
「大丈夫です。本当に」
「ならいいけど。なぁ、歳はいくつ? 十八にもなってないだろ」
「二十二歳」
「嘘つけよ。俺より上なわけないだろ」
「このこと、店には言わないでくれる? お客さんに迷惑をかけたら、クビになるかも」
「ならないだろう。君を目当てに通ってる客もいるんだし」
悠護が世話になっている『おやっさん』もそのひとりだ。今日も美緒の気を引くため、新しいボトルをキープしたばかりだった。
「でも、知られたくない」
「大丈夫。言わないから」
誰にでも秘密はあるものだ。ヤクザの家に生まれた悠護も嘘のつき通しだった。
「家まで送るよ、どこ?」
「歩いて、帰れる……から」
自分の腕を掴む悠護の指に眉をひそめ、美緒は身をよじらせた。乱れた長い髪が首筋にまとわりつくのを、めんどくさそうに指で払う。
「送り狼になんてならないよ。まぁ、心配ならタクシーで帰って。奢るから」
「本当に近いんだ。同じ店の女性と暮らしてるし……」
「いいって。さっき、先輩から金もらったからさ」
タクシーを呼び止め、ポケットの中の万札を握らせながら後部座席に押し込む。
「その代わり、今度、デートしてよ」
ドアを閉める前に声をかける。
見あげてくる美緒は、いいともいやとも言わなかった。
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