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第3話

 秋が近づく夜は風の音も静かだ。  繁華街の端っこに、申し訳程度の大きさで作られた公園の柵に座り、悠護は煙草を喫んでいた。赤い火をちらつかせた先端から、細い煙が空へあがる。  そして、吐き出す煙は拡散した。酔いがわずかに残る頭を振り、にぎやかしい街に目を向ける。時計を見る気にはならなかった。  もうじき、と繰り返す心が逸るのを抑え、煙を吸い込む。  今夜も美緒は店の隅で静かに座っていた。空になったグラスを引き寄せ、のんびりとした仕草で氷を入れる。それからたっぷりめにウィスキーを注ぎ、濃い水割りを作る。  受け取ろうと待ち構える男がわざと指に触れようものなら、怒ったように眉を吊りあげ、一息つき、たしなめるように睨む。  いままで気にかけてもいなかったことを気にしてみると、美緒のそんな仕草は、凛とした外見に見合っているようでいて、そうじゃなかった。お高く留まった雰囲気とは裏腹に、いちいちが愛らしく、隣に座った男を自分だけは特別だと勘違いさせるなにかがある。  水割りを渡すそっけなさに隠れたアイコンタクトもそうなら、くだらない与太話に静かにうなずくところも。思わぬことを覚えていて、相手を喜ばすところもだ。  そのくせ、指の一本でも触ろうものなら、厳しい目で睨まれ、つまみあげられる。  そんなやりとりを離れた席で眺めながら飲んだあとで、悠護は店を出た。約束はもうできている。店が終わってから落ち合うのも、初めてじゃなかった。  吸い終わった煙草を背後に投げ捨て、新しい一本に火をつける。繁華街の方へ目を向けると、こちらに向かって歩いてくる姿があった。ポニーテールにした長い髪を後頭部でおだんごにまとめ、トレーナーの前ポケットに両手を突っ込み、くわえ煙草で歩いてくる。  自分が女であることをまるで意識してない美緒は、そのままのんびりと歩を進めながら片手を挙げた。悠護も手を挙げて返す。 「おまたせ」  化粧を落とした顔は、それでもじゅうぶんにきれいだ。切れ長の瞳に長いまつ毛。落とし切れていない口紅がかすれて残っている。 「んー。待った、待った。美緒、腹減ってる?」 「うん」 「なに、食いたい」 「ラーメン」 「この前も、ラーメンだっただろ」 「でも、ラーメン」 「はいはい。ってか、アフターなら、もっといいもの食えるのに」 「……やだよ。めんどくさいもん」 「俺とは面倒じゃないの?」  歩き出しながら聞くと、美緒はむっすりと押し黙る。  恋の駆け引きとしてはごく普通のレベルなのに、まるでつれない反応だった。友達としてなら付き合えると、すでに振られてはいたが、悠護はまだあきらめていない。  この土地での知り合いが少ない者同士、つるんでいるうちにうっかりすることもあると思うからだ。その証拠に、肩に手を回しても、文句は言われなかった。美緒の身体は肉が薄くて骨張っている。痩せすぎだ。 「ラーメン食ったらさ。俺の家でビデオ、見ようか。この前の続編」 「いいけど……。泊まるって連絡しないと」 「俺の家から、留守番電話入れておけばいいだろ」 「うん……。けど」 「なに?」 「彼氏ができたとか、からかわれてるから……嫌なんだよな」  美緒はくちびるを尖らせた。 「いいじゃん。べつに」  嫌と言われ、悠護の心はショゲた。でも、無理に奮い立たせて答える。 「誤解させとけばいいって。いちいちムキになるから、余計にからかわれるんだ」 「……ムキになんか」  と、答える口調がすでにムキになっている。 「おまえが若いから、心配してるのかもな。悪い男に引っかかってんじゃないかって……。いや、おっさん転がして、悪いことしてんじゃないか、ってとこか」 「なんで!」 「今日も店でモテまくってただろ。佐伯(さえき)のじいさんにいくら使わせた?」 「……勝手にボトル入れまくっただけだろ」 「毎回、花束持ってきてるって、他の子から聞いた」 「老い先短いから、好きなようにさせてやれってママが言うんだよ」 「まぁ、そうらしいけど。金を残しても子どもたちに回るだけだって言ってるんだろ?」 「嫁には行かないから」 「まだなにも言ってない」 「みんな、言うんだよ。後妻に入れば金になるって。冗談じゃねぇよ」 「口が悪いな」  ときどき地が出る美緒は、ふくれっ面で煙草をふかす。相当複雑な育ちをしてきたことは、荒れた言葉や行動の端々から知れた。 「まぁ、ジジイと結婚するぐらいなら、俺としようや。な?」  肩に回した手に力を入れると、美緒の足元がふらつく。その身体を胸で受け止め、人気のない道ですかさず顔を近づけた。 「ヤダって!」  バチンと頬をぶたれる。悠護は顔をしかめて身を引いた。軽いキスなら許される日もある。毎回とはいかないのが、難しいところだ。 「もう近づくな。バカ!」  罵られているのに不思議と陽気な気分になって、悠護は美緒のあとをついて歩いた。  いつも、この調子だ。気楽な会話と、きわどさスレスレのやりとり。友人と恋人の間にある針は、なかなか恋の方へ振れてくれない。  美緒が気に入っているラーメン屋まで無言で歩き、店内でも少しだけ会話をした。それから、悠護のマンションへ向かう途中でレンタルビデオ店に寄る。  マンションの部屋の鍵を開けると、何度か来たことのある美緒は、警戒心も遠慮もなく、さっさと中へ入っていった。

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