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第1話

あと1時間で定時。 あと1時間我慢すれば、家に帰れる。 「香山くん、大丈夫?」 「っはい!」 肩にポン、と手を置かれて大袈裟なくらい体を震わせてしまった。 「ダメですよ、部長。今日コイツ、アノ日ですから」 同期の山中くんがフォローを入れてくれて、部長にああそうか、と明らかに心配しています風の顔つきをする。ああ、反吐が出そう。思わず眉を潜めた。 (あと1時間……) キーボードに両手を置いたまま、小さく息を吐く。 体が熱い。息が詰まる。手が震える。苦しい。 不定期にいきなり襲ってくるコレには、もう15年以上苦しめられてきた。 (早く帰りたい……小田くん) 目の前がクラクラしてきて、あ、今回はいつも以上にヤバイやつだ、と下を向いて唇を噛んだ。 「具合悪いなら、もう帰ったら?」 隣に座った山中くんに小声で顔を近づけられるのすら辛い。 「……」 無言で首を振って意思表示をする。 「俺、向こう行った方がいい?」 明後日の方向を指差す彼に、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 「ごめ、」 「いいよ、いつものことだろ。それより彼氏に早く帰って来てもらえるように連絡しておけよ」 ニヤニヤ笑いながら、彼氏、という単語にいつもなら突っかかるところだけれど、そんな余裕も無い。 机の端に置いたままの書類を横目で見る。あれだけは終わらせて帰ろう。 この世の中には、男女という性の違いに加えてアルファとベータ、そしてオメガが存在する。 昔はベータが大半を占めていたと聞くけれど、現在はアルファ人口の増加が激しい。それなのに、オメガは昔から少数派だから需要と供給のバランスが取れなくなってきているがために、アルファはコントロールする能力が長けた、と言われている。 オメガはというと。発情期になれば番を求めてフェロモンを出す生き物、なのだが。発情期が来ない人もいれば、発情期があっても不妊な人もいて、一様ではなくなってきた。 僕は、その中でももっとも稀で。 発情期が来ても僕からフェロモンは出ない。その代わり、アルファをあたり構わず感知して番なんて関係なく突っ走ってしまう……という厄介な体質の持ち主である。 (普通なら、番になれば発情期は安定して楽になるって聞くけど) 多分、僕の場合は関係ないと思う。なぜなら、既に1度番になった経験があるからだ。安定した時期なんて一度もなかった。 そして彼とは折り合いが悪くなって、その時は死すら覚悟して彼から離れたのだ。 (結果、死ぬ気配なし) 発情期の苦しさも相変わらず。仕事や生活に支障が出るほどで。 (小田くん今日遅いのかな) 1人で我慢、出来るだろうか。 念のため、恋人である彼に連絡だけは入れておこうとジャケットに突っ込んだままのスマホを指先で触った。

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