55 / 213

(22)

「……それ……、どういうこと……?」  潤は辛うじて言葉を絞り出した。何も考えられなかった。  オメガトワカルマエカラ、ツガイトジカクシテイタ……?  それは颯真の話か? 一体どういう意味なのか。  全く意味が分からない。  確かにオメガだと分かったのが、中学校三年生の春。  その前に第二の性を知る術は、この国にはないはずだ。  なぜ、颯真は自分の双子の弟が、周囲にはアルファだと思われていた弟が、オメガだと思い込めたのか。  理由は分からないと颯真は言っていたと江上は話す。 「双子ゆえの直感みたいなものかもしれないと、本人は言っていた。いずれにしろ颯真にもなぜかは分からないらしい。ただ、お前には言わなかったけど、ずいぶん昔から、颯真は、お前がオメガだという確信を持っていたようだ」  確かに、颯真との場合、二卵性双生児とはいえ、お互いの感覚がシンクロするようなことはあったように思う。それゆえに互いを片割れと、半身と思ってきたのだ。  世の中を見渡せば、双子は珍しくない。しかし、二卵性双生児で、それぞれがオメガとアルファとして誕生するケースはさほど多くはないだろう。だから颯真が得た直感を、データを伴う根拠として示せといっても難しいのは分かるのだ。  しかし、そんな確率論的な話を聞きたいわけではない。潤にとってずっと引きずってきた自分の第二の性を、本人の預かり知らぬところで片割れといえど察知されていたという、その事実が受け入れがたいのだ。  自分のデリケートな部分を踏み荒らされたような気がして、なぜ、どうしてという疑問しか浮かばない。ショックを受けているのだろうと思う。  しかも、なぜ、そのようなプライベートな情報を、江上が知っているのか。江上から聞かされなければならないのか。 「……意味が分からない」  そう言葉を吐くだけで精一杯だった。  感情がこみ上げて、涙が溢れてくる。  潤は俯いた。涙で頬が濡れるがままだ。  押しよせてくるのは疎外感。このアルファ二人は、これまでずっと、自分のことにも関わらず、このような重大な事実を隠してきたのだ。  お前のためだった、受け入れられないと思ったから、そんな理由を言われるのは目に見える。  でも、それでも、もっと早くに話して欲しかったと思うのは、我が儘だろうか……。  江上は、自分の辛さを理解してくれている同胞だと、ずっと思っていた。  しかし。 「……お前は、基本的に颯真の味方だもんな……」  潤は、江上を見上げた。おそらく、これまで彼に対して感じたことがないような、挑発的な気持に支配されていた。 「違う」 「何が違う!」  潤が鋭い声で制した。  室内は緊張感が走り、息づかいだけが聞こえる空間と化した。  嗚咽と荒い息遣いと激昂した気分に、潤は徐々に追い詰められる。  呼吸が乱れ始めて、息苦しさを感じる。思わず胸を手で押さえた。過呼吸かな、と思ったが、すでに遅く自分ではどうにもならない。どうしよう、息苦しい。外へと向いていた意識が一気に内に向かう。 「潤さん!」  何者かに突如抱きつかれた。見れば、尚紀だ。気が付けば、彼の胸の中に抱き込まれていて、潤は驚いて抱擁を解こうとするが、なかなか叶わない。 「大丈夫。落ち着いて、お腹で息して……」  腹部に手を当てられ、大丈夫だから、大丈夫だからと呪文のように唱えられる。それを聞いて、潤は乱れた呼吸が、落ち着いてくる気がした。 「そう、お腹を動かして呼吸をすれば、楽になってくるから。何も考えないで……」  潤はその肩に顔を埋める。尚紀はもう片方の手で、潤の後頭部を優しく撫でた。  しばらくすると息が落ち着き、息苦しさも解消されてきた。 「潤」  江上が、尚紀の肩口に顔を埋める潤の腕に触れる。潤が顔を上げると、江上の真っ直ぐな視線があった。 「確かに俺は颯真の立場で物事を見てしまうきらいがあると思う。でも、それは颯真の味方というわけではなくて、颯真と同じくらい、お前を大事にしていることだと俺は思ってる」  ……そんなことは知っている。  江上はまっすぐ潤を見据える。 「今まで話さなかったのは謝る。なんで言わなかったのかも、お前なら分かってると思う。言い訳はしない。俺たちは、お前の苦しみを知っておきながら、何もできなかったんだから」  江上が颯真と同じように大事にしてくれていたことは分かっている。寄り添ってくれたことも。でなければ、こんな面倒くさい自分と、中学から大学まで一緒であることはないし、一緒に仕事をすることもなかったと思う。  そう冷静に一つ一つを積み上げていくと、少しずつ疎外感は癒やされ、気持も落ち着いてくる。  颯真はいつから、自分のことを番だと思っていたのだろう。先日の江上の口調からすると、最近ではないような気がしていた。聞くチャンスはあった。けれど、蒸し返すことが怖くて聞けなかった。 「……廉は、このことをいつ……?」 「俺は、実は、お前らと出会って直ぐ」  江上とは中学校入学時からの付き合いだ。 「中学入学……? そんな前?」  潤が驚く。自分がオメガと知らされる二年も前だ。  抱き寄せてくれている尚紀も身体を揺らした。 「お前がいない隙に、颯真に直接牽制された。あいつは俺のものだから手を出すな、って」  もはや中一男子の雰囲気じゃなくて、完全にアルファだったなと江上は振り返る。 「俺は、颯真の言っている意味が理解できなかった。意味が分からん、潤はお前のものじゃないだろ、っていう感じの反応だったと思う。そしたら、颯真が言ったんだ。あいつはオメガだ、俺の番だと」  潤は息を呑んだ。颯真は言い切ったんだ、躊躇いはなかったんだ、とどうでも良いことを思った。 「その時の俺は……。確か、颯真の言葉を笑い飛ばしたよ。ブラコンも大概にした方がいい、潤がオメガなんてあり得ないだろうってな。  颯真はお前が信じないならそれでもいいけど、潤は俺のものだから、って念を押された。当時の俺は、面倒な奴だなって思った」  当然だが、そのやりとりを聞くのは潤は初めてだった。 「でも、二年後、俺の想像はあっさりと覆された。お前がオメガだって分かって、突如としてあの時の颯真の言葉が蘇ってきたよ。お前がオメガだったことより、颯真が、二年も前に言い当てていたことに、俺は驚いた」  潤は口を噤む。あの時、自分がオメガと判明した時の江上の反応は明確に覚えている。いつも向けてくる親友の目ではない気がして、とてもショックだった。 「颯真の言動が一時の気の迷いだったと思いたい気持はよく分かる。でも、それは違う。あいつの気持と覚悟は、その程度ではない」  十五年、いや十七年以上、密かに想いを抱きつつ隣にいた双子の兄。常に隣で笑っていた颯真は、ずっとそんな気持をいただいていたのか。  昨年十二月の初め。十数年ぶりの発情期を起こすための薬物療法になかなか踏み切れなかった時、颯真に自宅の玄関で捕獲され、苛立たしげに問い詰められたことがあった。  オメガという性を未だに受け入れられないと見透かされ、さらに、そんなに自身を否定するなと慰められたが、自分はその手を払った。それでも食い付く颯真から「好きな人はいないのか」と問われたのだ。思えば颯真とそのような話をしたことはあまりなかったが、自分にはもちろん相手はいない。それは兄だって同様だと思っていた。思わず「颯真だっていないだろ」と指摘すると、意外な言葉が返ってきたのだ。 「俺はいる。人生をかけて守りたい存在だ」  それは後々になって尚紀のことかと勘違いをしたのだが、今ならばあれは紛れもなく自分を思っての言葉なのだと、潤は思う。  さらに遡ると、中三の春、第二性別通知書が届いた夜。ショックを受ける自分に颯真が言ったひと言も明確に覚えている。 「俺は何があっても潤を守るし、何があっても味方だ」  あのひと言は嬉しかった。これから辿る人生は過酷なものになるかも知れないが、颯真が近くに居てくれるという安堵感は何にも代えがたいほどだった。  ……おそらく、颯真は、こうなることを分かっていたのだと、思う。  そして。昨年末の苦しい発情期。辛い自慰が続き、相手が居ない発情期はこんなにも精神的に体力的にしんどいものなのかと、潤は実感し、ある結論に辿り着いた。  発情期に自慰によって欲を満たさなければならないというのは、相手のいないオメガによる空しい行為であるということ。そして、発情の熱を受け止めてくれる相手がいないというのは、愛してくれる人がいないということ。  すべては探す努力を怠った自分に責任がある。これまでオメガという事実から目を逸らしてきたことに起因する。今の苦しみはその報いなのだと。  そんな告白を、颯真はどのような表情で聞き、反応したか。 「その考え方は止めろ。  今お前に相手がいないのは、努力が至らなかったからじゃない。まだ出会っていないからだ。こんなめに遭っているのも、しんどい思いをしているのも、薬が効かない体質にも関わらず頭がイカレた部下に誘発剤を打たれる事故に遭遇したからだ。それ以上でもそれ以下でもない。すべてに関してお前に非なんてあるか」  颯真は泣きそうな顔をしていた。自分よりも辛そうな表情を浮かべていた。 「頼むから……」  普段は見せない弱々しい声に、潤は戸惑った。  目の前で苦しむ、番と見定めた実弟を目の当たりにして、何もできない自分に、大きな無力感を味わったのかもしれない。  それからしばらくして、颯真は潤を抱くことで発情期を終わらせるという暴挙に出たのだから。  潤は涙に濡れた目を何度も瞬きするうちに、自分が少しずつ冷静に物事を考えられるようになってきていることを自覚する。  自分は、颯真の行為を、ふざけるな、気色悪い、そう思って拒絶することはできる。実の双子の兄に一方的に長く想われていることが判明し、嫌悪感しかないと拒否することも可能だ。  しかし、今の潤にはそんな気持は一向に湧いてこない。  ずっと想われていたことを知って、何故どうして、とは思っても、恐怖や嫌悪を感じないのだ。  きっと、それが自分のオメガの部分なのだろうと、潤は素直に思うことができた。  颯真は一途だ。  断片的な記憶でも、ブレや躊躇いがない。 「ずっとお前の味方だから」  おそらくいつかどこかで言われたのだろう、颯真の声が脳裏に響く。  もし、颯真の気持を受け入れたらどうなるんだろう。  ふと潤は思った。  颯真に抱かれ、項を噛んで貰って番になって、発情期を一緒に過ごして、そして彼の子供を産むのだろうか。  どうしてもピンとこない。自分は、オメガであるはずなのに。  想像力が欠如しているのかもしれない。これまでオメガ性と向き合えなかったばかりに、このようなことを考え、想像することもせずに、ここまできてしまったのだ、と潤は改めて思った。

ともだちにシェアしよう!