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 僕と颯真が発情期に寝たのか、だと?  その質問に潤はとっさに反応できなかった。事実だが、あまりに突飛すぎて、戸惑いが先に出たのだ。なぜそのような質問が松也から出てくるのだろうか。  本来であれば考えるまでもなく、ありえない質問であり、何より先に否定しなければならない。 「……な、なに、言ってるんですか?」  潤がかろうじてそう言葉を絞り出した。  松也の問いかけを肯定してはいけないと思った。彼は江上や尚紀とは違う。知られしまったらどう思われるか……。  松也の突拍子もない問いかけを、軽くあしらう感じで、いかにも冗談として流してしまいたかった。  しかし、そう自分が思うようにできたのかは、潤もまったく自信がなかった。 「おや、意外だ。こういう冗談の場合、君は悪趣味だと静かに怒ると思ったんだけどな。もちろん冗談ではないけど」  松也の反応は意外だったが、核心をついていた。  潤もしまったと思った。そう、普段の自分であれば、このような侮辱的な冗談は冷静に毅然と対応するだろう。そのような反応さえ、彼に見透かされていた。  少し落ち着けと自分を宥める。 「君は、とっさの嘘が下手だね。きっと仕事ではもっと巧く吐くのだろうに」  松也がふっと笑った。 「……でも今の潤君の反応で、確信が持てたような気がする」  潤は驚いて、松也を見た。  確証がなかったのか。  松也と視線が絡み合ってしまう。  潤を見つめる眼差しが、ふっと避けられた。 「……正直言うと、さっきまで半信半疑だった」  潤も視線を落とした。これは松也のはったりなのか、それとも確証があるのか、判断がつかない。 「でも、可能性として思いついてしまうと、じつに納得できてしまうんだ」 「………」  潤は何も言えない。言い出せない。反応すると、松也に何かを読み取られてしまいそうで、怖かった。 「潤君のその首筋の痣……」  思わず指がその場所に触れる。 「実に絶妙なところに付けられてるよね。多分、普通にしていたら気がつかなかった。室内灯の明かりの加減で、偶然目についてしまった。  ……最初は目を疑ったよ。だって、君がこんなところに跡を付けられることを許せる人間なんて、ごく限られているからね」  そうかと潤はようやく思い至る。松也は、自分のプライベートでの行動範囲の狭さを見抜いていて、それ故に容易に颯真に行き着いたのだ。 「君のさっきの話には嘘がないと思った。だから、アルファは容易に近寄らせないはず。僕たちは四回会ったけど、結局手も繋げていない。  君は、自分のパーソナルエリアに気を許したアルファ以外を簡単に入れたがらない。だから、アルファならば颯真君ほどに近しい人物、そしてベータやオメガならば女性だろうと思った」  松也の推理は鋭い……。 「その女性という部分は、極めて確率としては低いだろうと思った。もともと潤君のお母様から女っ気がないって聞いていたしね。  となると、アルファ……颯真君ほどに潤君が警戒感を持たない人物……は、残念ながら俺には思い浮かばない。驚きしかないのだけど、颯真君なのだろうと思った」  潤は慎重に松也を見る。 「いや、そうとは限りません。颯真にも母にも内緒にしているアルファの存在がいないとも限らない」  しかし潤の否定を、松也はさらに否定する。 「いや、だから言ったじゃないか。さっきの君の言葉には嘘はないと思った。これが颯真君でないのであれば、君は先程はっきり、相手がいると俺に返事をするだろう。そうはしなかったのだから、君はベータやオメガの女性、そして颯真君を除いてアルファの相手がいるとは思えない。  ……今回の話は、そういう推測を積み上げた末の、些細なものだよ」  潤はキスマークの相手を、肯定も否定もせずに、慎重に反応する。 「……しかし、それがどうして颯真と寝るって話に繋がるのでしょう」  松也は潤を見据える。 「最初に違和感があったのは、君と颯真君の二人の様子だ。  颯真君には元旦に話したんだ。潤君を大晦日に品川駅で拾ったと。驚いた顔をしていたよ。多くは話してくれなかったけど、体調が悪い君を置いて仕事に来たから心配していたと話していた。潤はきっと仕事が気になって出てきてしまったのだろうから、松也さんに運良く拾われて安心した、と颯真君には言われた。ただ、どこか歯切れが悪かった」  颯真は潤が松也に話した事情に合わせてくれたらしい。 「でも、詳しく聞いてみると、しばらく会う予定もないという話だから、喧嘩でもしたのかなと思った。お茶をした時に、俺がそう聞いたと思う。いや、品川でランチしたときかな。兄弟だけど、とことんやりあってみるのもたまにはいいよね、って」  潤は頷いた。たしかに、正月二日に横浜のホテルのカフェで、松也に喧嘩でもしたのかと聞かれたが、あのときは曖昧なままにした。すると、その次に会った品川で、同じ話になったのだ。あの時は颯真の話題が出てくること自体が苦痛で、適当に話を合わせた気がする。  でも、その翌日かな、と松也は潤に視線を流してきた。 「俺の友人に、アルファ・オメガ科のドクターがいるんだ、颯真君より年上だけど、颯真君に飛び級で抜かされて後輩になっている。彼から偶然、ペア・ボンド療法の最中に颯真君が、弟の発情期を理由に前線を抜けていたという話を聞いた」  それはまさに自分のことを言われていた。 「あのね、ペア・ボンド療法は院内でも噂になっていたんだ。なんといっても本院との共同研究だし、専門外でもあれだけ大きな治験は、注目を集めていたからね」  しかし、潤はそれよりも気になることがあった。 「あの、松也さんのご友人のドクターは、颯真が抜けたことを批判していたということですか?」  潤の颯真を心配する意外な質問に、松也は一瞬驚いたような表情を見せ、頷いた。 「ああ、そういうことね。彼にとっては不満、を述べたという程度だよ。そもそも颯真君が飛び級で先輩になっていることが許せないようだから、半分嫉妬だと思うね。  それにね、潤君。ペア・ボンド療法において、誠心医大横浜病院での最大の功労者は、颯真君であるというのは明白だ。そんなことを表だって批判できる人間はいない。だから安心してほしい」  自分が颯真の足を引っ張ったわけではないらしいと思い、潤は安堵した。  やはり、ペア・ボンド療法は颯真にとって、それほど大事な研究であったのだと改めて実感した。なのに、それに穴を開けても自分に付いていてくれたのだ、あの片割れは……。  潤の中で、颯真に対しての優しい気持ちがこみ上げてくる。 「それで俺は、二つのルートから情報を得ることにした。  一つは君の母君だ。それとなく聞いてみた。潤君は先日発情期で大変だったみたいですね、って。そしたら、結局入院できずに自宅療養になったようだから、こちらに返ってくるように勧めたけど、拒絶されたわと嘆いていらしたよ」  きっと茗子は、松也から潤の発情期という繊細な話題が上って驚いたにちがいないが、事情を把握していると思って話したのだろう。 「潤君の母君は、ちょっと過度ではないかと思うほどに心配されていたよ。颯真君は経験豊富な専門医だ。もちろん、潤君の発情期だってこれまでちゃんと管理してきたのだろうから、そこまで心配せずとも大丈夫だと思うのだけどね」 「母ですか……」  潤は呟いた。思わぬところから、思わぬ形で漏れるのだなと思う。 「そしてもう一つとは?」  潤の問いかけに、きっと君の経過はちゃんと記録されているはずと思ったから……と松也は話を続ける。 「甚だ不躾で職権乱用だけど、もう一つのルートとして君のカルテにアクセスさせてもらった」  潤は驚く。 「僕の……?」 「ちょうどうちでアルファ・オメガ科から患者さんを多く請け負っていて、アクセスできる権限があったからね」  それは完全に乱用だ。自分のカルテにどようなことを書かれているのか、潤自身は全く分からないが、それでも、自分を覗かれたような、なんとも言えない不快感が湧き上がる。 「そこから分かったのは、君が誘発剤の過剰投与状態から発情期に突入したことだった」  潤は松也から視線をそらす。耳を塞ぎたい気分になる。もう思い出したくもない思い出だ。  松也も潤の反応を見て顔をしかめたが、それでも口を開く。 「……かなり辛い発情期だったみたいだね。ほとんど物も食べられず、眠るのも大変だったようで。  俺自身、オメガの発情期は一度、付き合ったことがあるだけだけど、あれは発情期がずっと続くわけではないんだよね。前後不覚になるくらい香りに支配されるものの、一度行為をすれば少し正気に戻ったり、症状が落ち着いたりするはずなんだ。  でも、非常に変則的な経過を辿ったらしいと分かった」 「……」  松也にすべてを詳らかにされ、潤は身を小さくさせた。なぜ、こんな思い出したくもないことを聞かされているのだろう、と思った。  こみ上げてくる気持ちをぐっと喉元で押さえる。  俯いている潤の真意を分かっているのだろうか。松也も優しく同情を含んだ言葉を投げかけてくる。 「……辛かったよね」 「ですから、……もう止めてください」  その絞り出すような要求に、松也は頷いた。 「わかった。でも、そんな状態の潤君を、颯真君はずっと見ているだけしかできなかった。  颯真君はアルファだからヒート抑制剤を服用しながら君の処置をしていたと思うけど、なんと思っていただろう。  俺だったら耐えられないと思う。身内が苦しむ姿は見たくはない」  潤は何も言わない。  あの時の、悲しそうな颯真の瞳だけが、どうしても脳裏によみがえるのだ。 「颯真君が、積極的に関与することで君の発情期を終わらせようと考えたのはとても納得できる。  そして、颯真君はそれを実行し、君の発情期は終わった。  違うかい?」  潤は何も言えなかった。颯真の気持ちに感情移入してしまい、イエスともノーとも答えられなかった。  ただ、一つ違うといえるのは、治療として自分を抱いたわけではないということ。 「問題だというは分かるよね、ましてや君たちは兄弟だ」 「………」  潤は答えず、無言を貫く。 「正直、俺はこの推論を、君たちの母君に話すべきかと考えた」 「っ……」  潤は思わず身を松也に向ける。父と母に知られるのだけはまずいと思う。  発情期に兄弟で求め合ったなど……、両親には到底言うことはできない。  しかし、松也はそんな潤の気持ちをあっさりと裏切る言葉を並べた。 「知ってしまったからには、伝えるよ、俺は。  俺は父を尊敬している。その父に信頼を寄せてくれている方たちを裏切るわけにはいかない」  潤は松也の肩に触れる。 「松也さん!」  松也の肩に乗せた潤の手を、さらに松也の手が掴む。その先にある松也の黒い瞳が、潤をすっと見据えた。 「一時の過ちであるということならば、君は俺の手をとるべきだ。  俺は君を幸せにする自信はあるし、君たち二人の過ちは、胸に納め墓まで持って行く覚悟だ。誓う」  真っ直ぐ刺さるような松也の眼に潤は一瞬怯む。 「……もし」  潤が口を開いた。 「結構です、といったら……」  絞り出すように口にした問いかけに、松也から明確な回答はなかった。しかし、この人は話すだろうなと潤は思った。  潤は彼の手を静かに振りほどく。 「少し……考えさせてください」  そう言って俯いた。   「勿論だ。来週早々には身体が空くから、そのとき返事を聞かせてもらうよ」

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