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「……!」
膝から崩れ落ちそうなほどに、潤は松也の香りに襲われる。
このアルファの香りを拾ってしまうという、オメガ専用の媚薬の効果は潤も驚くほどだった。
松也の香りが、潤の鼻や口を刺激する。それは濃密な蜜のようで、上から下に滴り落ちるように、否応なしに潤の内部に入り込み、感覚を揺さぶる。
それが心地良いのかというと、決してそうではなくて、何かに無理矢理にこじ開けられ、犯されるような危機感さえ抱く。
盛られたなんて知られたら、また颯真に心配をかけてしまうな……。
先程電話で颯真にうちで待ってて、と言ってしまったことを激しく後悔していた。颯真と松也を接近させることは、松也を刺激すると思ったのだが、自分で松也を刺激させてしまったのだから、颯真に付き添ってもらっても問題なかったなと、どうでもいいことを潤はぼんやりと思った。
「さて、どこに行こうか。君の部屋に行く?」
松也が爛々とした視線を隠さずに、潤の顔を覗き込む。この人が何を期待しているのか、潤にも理解できた。とっさに首を横に振る。嫌だ。松也に好きなようにされるのだけは、耐えられない。
「悪い……」
ハンカチを口元に当てて潤が呟く。
「ん?」
松也が潤の側に寄る。すると潤の鼻孔に松也の香りがすっと触れるのだ。
……溜まらない。
「気持ち悪い……」
潤のあえぎに、松也が心配そうな表情を浮かべる。
「大丈夫? やっぱり薬が効き過ぎたかな」
潤は、どのような言葉を選べば松也を刺激するのかを明解に分かっていた。あえてそれを選び、狙って打ち込んだ。
「貴方の香りは……、僕には耐えられない」
そのはっきりとした拒絶に、松也の顔色がはっきりと変わった。
潤の言葉は嘘ではない。松也の香りは、確かにオメガとして官能を煽ってきている。しかし、心情的にはこのような方法で自分の尊厳を傷付けようとしている松也を、受け入れられるわけがない。
「この……!」
思わぬ反撃だったのだろう。松也が色を成して潤の胸ぐらを掴もうとしたところで、ふわりと毛色が違う香りが、潤を刺激した。
嘘。来た。
そう思った。
「おい、潤。どうした」
しっとりとなじむ声。背後からそっと添えられた手に、潤は姿を見ずともすべてを委ねることができた。
「……颯真」
安堵の吐息を漏らすように、名を呼ぶ。
来てくれた、と思った。
潤は、溜まらず松也の手をはねのけ、自分が安堵できる香りに縋り付いていた。
「颯真……!」
潤が颯真の首にかじりつくと、颯真の手が、潤の腰に回った。
首筋に顔を埋める。この香り。理性を取り払い、本能だけに剥いてしまうような香り。
松也以上に官能を刺激してくるが、自分が求めているのは颯真の方。この香りなら安心して自分の全てを、たとえ正気を失ったとしても託すことができる。
「颯真、颯真、颯真……!」
潤が求めるように名を呼ぶ。
「……遅れてごめんな」
颯真が潤の背中を抱くと、思わず腰がはねた。
「んっ……」
快感を拾ってしまい、口を噤む。
颯真も異変を感じたようで、潤? と呼びかける。
もうスーツのフロント部分は颯真の香りに刺激を受けて、硬くなりつつあるのを自覚している。この期に及んで颯真に隠し通せるとは思っていなかった。
「ごめん……ホントに。盛られたみたい……」
吐息を吐くように小さな声で報告する。
「なにをだ?」
颯真の声色が変わった。
「嗅覚が敏感になるっていう……オメガの媚薬……みたい」
潤が辛うじて颯真に報告すると、彼は潤の背中をねぎらうように優しくさすった。
耳元で囁く。
「よく頑張った。あと少しだけ我慢してて。すぐに終わらせるから。廉のICレコーダーはどこ?」
「……スラックスのポケット」
「手を入れるぞ?」
颯真はそう断ってから、潤のスラックスのポケットをまさぐった。
「んっ……」
颯真の手の動きさえ快感として拾ってしまい、思わず甘い声を上げてしまった。
颯真の手が、潤のスラックスを抜けていく。
「このままでいいけど、少し離れるよ? 俺に松也さんと話しをさせて」
そう囁かれて頷くと、颯真が潤を引き離す。片手で潤の腰を支えて、鋭い視線を松也に向けた。
「貴方が潤にしたことは、すべてこのICレコーダーに録ってあるようですよ。潤に薬を盛ったことも」
松也の眉間にしわが刻まれた。
「君の入れ知恵か」
その短い問いに、颯真は鼻先で笑った。
「潤を見くびらないでほしい。すべてこいつの判断ですよ」
颯真がICレコーダーを再生すると、わざつく物音の中に潤と松也の会話がしっかり収められていた。超小型でも高性能だな、と颯真が呟く。
松也と会う前に、潤は秘書室に赴き江上から彼のICレコーダーを借りていた。江上が超小型を所有していることを知っていたし、そのような行動は、即座に颯真に連絡がいくと思ってのことだった。
颯真には、話の内容をすべて証拠として残そうとしていることも意志として伝わるだろうと思った。
「貴方は潤から手を引いてください。カルテの閲覧履歴は情報公開請求をすれば簡単に手に入る。いや、これを契機に大規模な調査に発展するかもしれない。貴方がどこから何を見たかまで丸わかりになりますよ」
松也は明確に追い込まれているようだった。
「オメガがそんなことを……」
焦りだろうか、本音が漏れる。
「全く潤の何を見てきたのか。こいつは迷わない。天野医師が抱く貴方への信頼に確実に楔を打つ」
颯真は鼻で笑ったようだった。
「潤がどうしてこの年齢で森生メディカルの社長なのか。単に創業家の次男だからではない。本人の努力はもちろんだが、冷静な状況分析力と行動力、決断力が卓越しているからだ」
アルファの医師だってそうそう取得できるスキルじゃない、と颯真は、どこか煽るような口調で言う。
「いいか、もう一度言う。このまま潤から手を引け。無傷でいたいならな」
颯真の声が冷たく響く。
しかし、松也も負けてはいなかった。
「俺は、それでも君たちの過ちを茗子さんに話す。君は、兄として潤君の信頼を裏切った。医師として、弟に患者に手を出すなんて、倫理的に許されることではない!」
「それがどうした?」
颯真の答えはそれだけだった。
「……え」
松也は完全に不意を突かれた形だ。
「気が済むまでやったらいい。こちらはかまわない。とうの昔に覚悟済みだ」
ただ、と颯真は言う。
「仕掛けるなら、それなりの覚悟をしろ。こちらも容赦はしない」
父親の信頼を打ち砕くだけじゃない、職を失うまで徹底的にやるぞ。
颯真の声色は、凍り付くように冷たく鋭さを持っていた。
「颯真……、颯真」
潤は、繰り返し颯真の名前を口にしていた。颯真の名前を口にして、その香りを自分を犯すように吸い込む。官能を揺さぶるその香りを、逃したくなくて。
潤はぎゅっと颯真を抱きしめて、離さなかった。
そうしていないと不安だった。
颯真ならば、この香りに包まれるのであれば、このまま発情期になっても、発情期が終わらなくても、それでもいいと本気で思った。
「潤、大丈夫か。離さないから、俺の声分かる?」
熱に浮かされるように兄の名を呼んでいたためだろうか。颯真の優しい声で潤はなんとなく我に返った。
「目、開けられる? 聞こえる?」
そう問われて、初めて潤は自分が目を閉じていたことに気がつき、さらに颯真と二人でいるその場所が、自宅の自分の部屋のベッドであることに、ようやく気がついた。
いつのまに……。
そう目を丸くしていると、颯真が「潤が離してくれなかったから歩くのに苦労したし、ちょっと注目を浴びちゃったよ」と笑った。
結構な迷惑をかけたらしい。
「……ご……めん」
颯真の香りに惑わされて、全く周りが見えていなかったようだ。しかし、その間も潤の嗅覚は、敏感に颯真の香りを拾い続けている。
「気にすんな。お前にそんな風に必要とされて役得だよな」
ベッドに横になると、ジャケットとベストを脱がせるよ、と颯真に断りを入れられる。成されるがままに、ネクタイもしゅるっと解かれた。
「少し楽になるだろ?」
颯真が言う。確かに……。しかし颯真から放たれるミントの香りが部屋のなかに充満している感じがして、潤の身体を、気持ちを煽り続けている。
潤は思わず、口元を手で押さえた。
というのも、潤のスラックスのフロント部分はもう大きく様変わりしており、ジャケットをはぎとられてしまえば一目瞭然だ。さらに颯真が入れてくれたエアコンで室内が暖まってくると、よけいに香りを強く感じてしまいそう。
口や鼻からだけではなく、皮膚や粘膜からも颯真の香りを感じて、煽られているような気さえしてくるのだ。
颯真にベルトも取られて、スラックスのボタンを外された。なんとなく分かっていたが、どうでもよい気分になっていた。
「颯真、颯真……」
羞恥心が湧き上がり、颯真にまっすぐ手を伸ばした。颯真もそれに応じて、潤の手を取り抱き寄せる。
安堵して颯真の首筋に顔を埋めた。颯真の香りが入ってくるのが、気持ちがいい……。
それだけでイッてしまいそう……。
颯真の手が、潤のスラックスを膝まで下ろしたのが分かった。
「潤、少し診せて」
耳元で颯真の声がした。
診せてって……?
あまり働いていない頭で考える。
すると颯真の手が、潤の下着の中に入り込んできた。
「あっ……、そ……う」
発情相手の手が、自分の敏感な肌を滑っている。潤の背筋がしなった。
「ちょっとお尻の奥を触るだけだから。すぐ終わる」
颯真の容赦ない言葉に、潤は驚いたが、身体は感じて受け入れてしまっている。
思わず腰が揺れる。寝具の上につく膝が、大腿が揺れている。
「くっ……ふん」
鼻から抜けるような声が漏れてしまった。夢中で颯真の首にかじり付き、颯真の手が指が、その場所に辿り着くのをドキドキしながら待つ。
「はぁ……あんっ……」
颯真の指が潤のその場所を確認するようにぐるりとなで上げる。思わず溜まらず声がでて、潤のフロント部分は白濁に濡れた。解放の余韻で力が抜け、膝が崩れる。
……触られただけなのに。
「おっと……大丈夫か」
下着が濡れるのをどうにもならずに感じつつ、解放の快感の余韻に浸ってると、身体ごと崩れ落ちそうになっている潤の身体を、颯真が支えた。
「イッちゃったか」
「ん……ごめ……」
診察なのに恥ずかしい。快感で訳も分からず涙がこぼれてくる。潤はそんな顔を見られたくなくて、颯真の肩口に顔を埋める。
「潤、気にしなくていいよ。お前を煽ってるのは俺の香りだ。二人きりだから恥ずかしがることはない」
颯真の優しい言葉に、ますます涙が溢れてくる。
「まあ、スラックスも下着も脱いじゃおうか」
そう言って颯真はするりと潤の脚からそれらを抜き取る。
気がつけば、ベッドの上にいる自分は、かろうじてワイシャツだけを引っかけたような出で立ちで、中心部分をはしたなく起ち上がらせている。一度達したくらいでは、媚薬の効果からは逃れられないらしい……。
颯真が横たわる潤の汗ばんだ髪を指で梳く。
その手がとても優しくて愛おしくて、潤はしばしの間、羞恥を忘れそうになった。
「アナルは反応してないから、発情期ではないよ。嗅覚が敏感になって、俺の香りに当てられてるんだろうな。大丈夫、少し抜けば徐々に楽になる」
「ほんと?」
とりあえず発情期ではないと言われて安心した。
「ああ、大丈夫か? 一人でできる?」
そう言われて、ふと我に返る。一人でできるなんて……。できなかった記憶の方が強い……。
「颯真の香りにめちゃくちゃ煽られているのに、一人でするの?」
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