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(3)
「……うん、分かった」
颯真は、努めて軽く応じた。
あれだけ自信満々に送り出しておいて、早く帰ってきてなどと言えなかった。
いや、ここまできて早く帰ってくる手段などない。
「潤の様子はどう?」
茗子の質問に潤は溜息をそっと漏らした。
「ずっとベッドの上で喘いでる」
「そう……」
潤は一度正気に戻り、着替えを済ませて就寝したが、その後発情の波が再びやってきて、それ以来ずっと喘いでいると茗子に伝えた。
「なんかうまくできないみたいで辛そうなんだ……」
颯真が訴える。
「大丈夫よ。潤はわたしが帰ったら世話をするから、颯真はもう寝なさい」
「発情期って、できないとあんなに辛いめに遭うものなの?」
生まれてからずっと潤と一緒に生きてきて、今更思うのは彼の性欲の薄さだ。あれだけべったりしていて、自慰をしている気配もあまり感じない。そういう話もこれまであまりしてこなかった。元来の性質がそうであることに加え、オメガであると分かってからはそのような類いすべてに抵抗があるように見えていたから、颯真も避けてきたのだ。
潤は今、ほぼ強制的にその部分を直視させられているのだろう。
「……初めてのことだらけだから、気持ちもついていかないのだと思うのよね」
下手するとトラウマになっちゃうから、と茗子は言った。
なるほど、だから「潤の初めての発情期」は両親にとって大事だったのだ。
「潤が自分の性を受け止めきれてないことも原因としてある?」
颯真のストレートな質問に茗子も、ないわけではないと思うわと応じた。しかし、諭すように颯真に語りかける。
「でも、それもこの発情期も、潤が自分で乗り越えないとならないことなのよ」
いい、颯真、と茗子が念を押す。
「貴方たちは双子でずっと一緒に生きてきたけれど、これは潤の問題なの」
貴方がそこまで気に掛ける必要はないのよ、と優しく諭される。その言葉はよくわかる。その通りなのだ。
「うん……」
でも、と颯真は茗子に訴える。
「見てる側も辛いよ……」
それが颯真の本音だった。
発情期というのは、昼間より夜の方がフェロモンが濃密になるのだろうか。潤の香りが部屋から漏れ、家中に漂っているような気がする。
すでに颯真は潤の香りに触れすぎてて、嗅覚が敏感になっているのかもしれない。家中のどこでも潤の濃密な香りを感じるような気がしている。強めのヒート抑制剤を飲んだはずなのに、心がさざめく。本能が、この潤の香りに反応しているのが分かる。
なるべく潤の部屋から離れようと、夕食後には一階のサンルームに毛布を持ち込んだが、どうも落ち着かない。
数分に一度、スマホを起動させては時間を確認しているような状態だ。
茗子は今どこにいるのだろうと、そればかりが気になっている。運転しているから、容易に連絡ができない。
今、颯真は余計なことを考えないようにしている。ただ、ひたすら、毛布にくるまり茗子の帰りを待つ。一端、その思考から抜け出してしまうと、潤の香りに引きずられそうで怖かった。
オメガの香りの前では、アルファって実はたいしたことはないんだな、と颯真は思う。
どんな立場でも潤を守るし、いつか誓ったようにずっと味方だ。自分より彼のほうが経営者という職には向いていると思ったから、家業は勝手に潤に譲った。自分は彼に近いところで、必要な存在として見守りたいと思い、医師を目指した。
その判断は間違っていないと自信をもって言える。
なのに、今颯真は無力を痛感していて、何も潤の助けになることができていない。髪をかきむしり、のたうち回りたいほどにもどかしい。
颯真は自然とスマホに手を伸ばす。
先程、潤の部屋を覗いてから一時間以上が経った。そろそろ覗いてやらないとと思うが、躊躇いが先に立つ。
潤は自分の弟だし、番だと自信を持って言える。今潤を助けてやれるのは自分だけなのだと、颯真は自分を鼓舞した。
「……そうま……」
颯真が潤の部屋に足を踏み入れると、潤は待っていたように颯真の名を呼んだ。
姿も確認できないほど室内は暗いのに、なぜ分かるのか……。
香りか、と思い当たる。
そんなに自分の香りが漏れているのかと愕然とした。
普段どおり完璧に香りを抑えているつもりだった。今日だって、同じ抑制剤を飲んでいる。潤の発情期に影響を受けているにちがいない。
潤はベッドサイドの小さい明かりが灯る中で、ベッドに仰向けになり、自分を慰めていた。いつもは爽やかな潤の香りが、ねっとりとした絡みつくように漂ってくる。
颯真に全裸を見せている自覚もないのだろう。潤の乳首は弄りすぎたのか、ぷくりと赤く腫れ、シーツもところどころに彼が放出した白濁で濡れているのがわかる。
そして潤の男性としての象徴は、ささやかな大きさながらも起ち上がっている。
颯真は、潤のその姿から目が離せなくなった。
同じオメガの母であったなら、潤を抱きしめてやれるのだろう。
自分がやるべきこと……。
そう思ったところでふと考える。
「……そう……颯真」
潤が名を呼ぶ。脚を広げ自分の性器を手にして刺激を加える。
「っん……ぁあ、は……」
視覚的に刺激的で、颯真の下半身に熱が集まるのを感じずにはいられない。また、潤の濃厚な香りがそれを煽り誘ってくるのだ。
颯真は溜まらず自分のジーパンのポケットからスマホを取り出した。履歴を確認せずに通話ボタンを押す。通話履歴の一番上。運転中なんて構っている余裕はなかった。
「……颯真?」
スマホから母茗子の声がして、颯真は自分が金縛りから解放された気がした。
少し安堵してスマホに耳を添える。
「母さん……」
少し……いや、かなりヤバいのだが、颯真は極力平静を装った。
「……ごめん。ちょっとまずい……」
「え?」
「潤が、ずっと俺を呼んでる」
潤が俺の香りをキャッチしてるんだと言うと、茗子は言葉を失った様子だった。
「どういう……?」
「……俺はまだ大丈夫だけど、潤が俺の香りに反応している。もちろん、ヒート抑制剤を飲んでるけど、潤にはわかるみたいなんだ」
……番だから、と口先まで出かかって堪えた。
こんなに香りの繋がりが強いとは思いもしなかった。
「ごめん」
颯真の謝罪に茗子が優しく諭す。
「大丈夫よ。連絡くれてありがと」
兄弟ではありえないと思っているのだろうが、茗子は鋭く颯真に指示する。
「颯真、とりあえず潤は大丈夫だから、貴方は家を出なさい。わたしも市内に入ったから、そんなに時間はかからない。早く出なさい」
「……うん」
颯真はそう素直に頷いて通話を終了させた。
しかし、茗子との通話を終えても、颯真は動かなかった。
足を動かすことができなかった。
まずいという思考は残っている。それと同時に、これは自分のオメガだという思考も大きくなり始める。吸い寄せられるように、ふらふらと進み、潤のベッドに腰を掛ける。
「……潤」
颯真が呼びかけると、潤の目には涙が溜まっていた。
辛いのだろう。
「そうま…ぁ」
潤は颯真を抱き寄せ、首筋に鼻をおしつけてその香りを吸い込む。
もうこの香りが兄のものであるという認識はないのかもしれない。単に本能が求めるものを、素直に欲しがっているだけだろう。
ここで潤の項を噛んで番にしてしまえば、潤はずっと自分のものだ。
そんな誘惑に駆られる。
いや、それはまずい。
本能と理性の狭間の葛藤でおかしくなりそうだ。
その攻防を何往復したのか、颯真にはわからない。神経がすり減る。
「……ぼくに……」
「分かってる」
自分が潤を抱いて、そのまま項を噛めば、俺たちは番として死ぬまで一緒だ。
そうだ、そうしてしまおう。
そう思ったところで、母茗子が飛び込んできた。
「潤! 颯真!」
颯真はとっさに助かったと思った。
「かあさん……」
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こちらは「一人のアルファで一人の兄で」の最終話(第52話)で描いた、蘇った潤の記憶を颯真サイドから見たお話です。
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