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(3)
「こいつは本当に自覚がないんだ」
颯真にも溜息を吐かれる。
そこまで言わずとも……とは思うが、これまで颯真に兄であり主治医の立場から、自覚がなさすぎると怒られたこともあった。
「苦労しそうだな、颯真」
「覚悟はしている」
アルファ同士で頷き合うのを、潤は少し納得がたく見ていた。
で、だ、と江上が改めて向き直る。
「なんでお前らはいきなりこういう展開になったんだ? 俺の中では急転直下の動きだ」
たしかにもうひと押しだとは思っていたけどさ、と呟き、その策略家ぶりを垣間見せる。
潤は颯真と僅かに目配せをした。そんな視線の交錯も目の前の親友にすべて見抜かれていると思うのだが。
潤は、一昨日の夕方に江上から借りた超小型のICレコーダーを差し出す。
「これ、ありがとう。すごく役立った」
そう礼を言うと、江上は訝しげな視線を潤に向け、さらにそれを颯真にスライドさせた。
「なにか関係が?」
颯真が頷く。
「話せば長くなるんだが、潤が天野医院の息子と少し揉めた」
その証拠固めのために使ったと説明する。
「天野医院? 森生家のホームドクターか」
颯真は頷く。江上への説明は一挙に請け負うらしい。たしかに潤では話しにくい部分がある。
「あそこに、うちの病院で外科医をしている松也さんって息子がいるんだが……」
「うん」
「ここしばらく潤にちょっかいを出しててな」
ずいぶんざっくりした説明だが、江上の顔色が変わる。颯真のその言葉でも伝わったらしい。
「おい」
何をそんなのんびりと話しているのだと言わんばかりに江上の短い窘めの言葉を、皆まで聞かずとも颯真にはわかるようで、うんと頷く。
「終わった話なんだが、話さなくて悪かったよ。といっても、俺も聞いたのは先週なんだけどな」
思わず江上の視線が潤に流れる。
少し言いたいことを我慢している様子だが、それでも颯真に話の続きを促す。
「潤の話では、最初はパートナーになってほしいってアプローチを相当受けたみたいなんだけど、ある時からそれが脅迫に変わったらしい」
「脅迫?」
「そ。目聡いというか耳聡いというか、俺たちのことを突き止めたらしくてな。潤は、両親に言われたくなければ番になれと取引を持ち掛けられたらしい」
江上の表情は先程とは比べものにならないくらい豹変した。
「まじかよ。おい、潤!」
なんで言わなかったのだと言いたいらしい。
たしかに毎日一緒に仕事をしていた江上に、この話を全くしていなかったのは不義理であったかもしれないと潤は申し訳なく思った。
終わったからと言ってすべての顛末を聞かされるのも堪ったものではなかろう。
「ごめん……」
江上が心配をかけていることに対して申し訳なかった。
そこで颯真がフォローしてくれる。
「お前も分かるだろ。潤はこういうことに屈するタイプじゃない。だからこその証拠をいただくために、お前のICレコーダーを借りたんだよ」
江上は唸りながらも頷いた。悩ましげに腕を組む。
「そういうことか……。潤からICレコーダーを借りたいって言われて、変だとは思ったけど、用途を聞いても教えてもらえなかったんだよ。オフィスだったし聞き出すわけにもいかなくて。それで、お前に連絡しておいたんだけど……」
お前は聞いていたのか……と颯真を見る。
「まあ、やろうとしていることは大体。でも、お前のICレコーダーの件は、連絡が来て初めて知ったよ」
「でもなんでそれで俺に相談してくれないんだ」
江上はやはりそこが気になるらしい。潤が本気になって、颯真が居れば俺が出る必要なんて本当にないが、それでもせめて一言あってもいいんじゃないかと、口調は半分恨み節だ。
「もう、こういうことに廉を巻き込めないよ。僕のプライベートのことだし……」
潤の言葉を、颯真が引き継ぐ。
「尚紀の番になったお前には相談しにくかったんだろう」
潤は頷いた。
「僕のせいで廉に何かあったら、僕は尚紀に顔向けできない」
あの優しい弟のような尚紀の顔が思い浮かぶ。
やはり廉は危険に晒すわけにはいかないと思う。
あのさ、と江上が少しかしこまった表情を潤に向ける。
「俺と尚紀は、お前も知ってる通り、番になった事情が少々特殊だ。俺が尚紀と再会したときには、すでにあいつは他のアルファの番だった」
それは望まぬ番関係であり、相手のアルファには先立たれたと、潤も尚紀から聞いている。
「だから、親友でアルファ・オメガ科専門医の颯真からペア・ボンド療法を勧められて、治験に参加しなければ絶対に結ばれない関係だった」
たしかに。近くに颯真が居て、颯真がアルファ・オメガ科の医師であって、本当によかったと潤も思う。
「それを踏まえて、颯真、お前がアルファ・オメガ科の医師になった理由を、潤に教えてやれ」
颯真は、そういうことか、と頷く。
「潤、俺はお前を支えたくてアルファ・オメガ科を選んだ。番を亡くしたオメガを熱心に診ていたのも、あの初めての発情期の時、理性が保たずにお前を抱いてしまっていたら父に引き離されていたかもと思ったからだ。
ペア・ボンド療法に至っては、お前の存在がなければ辿り着くにはもっと時間がかかっただろう」
それはどういうことか分かるか、と江上に問われる。
そんな。自分がいなければ江上と尚紀は結ばれることはなかったといいたいのか。
「俺は、お前ら二人が幸せになっても返しきれないくらいの借りがある。
だから、遠慮なく俺と尚紀を頼って欲しい。これは尚紀も同じ考えなんだ」
潤は動揺した。そんな重いことを言われても困る。
「で、それで、そっちはどうなった」
潤の動揺をよそにアルファ二人は何食わぬ様子。
「まあ問題はなく治まったとは思う」
江上の先程の衝撃的な話は、それはそれで終わってしまったらしい。どこか置いてきぼりな気分になる。
江上はテーブルに頬杖をついた。
「お前が出たんなら、そうなんだろうけど」
「まあその過程で、潤が媚薬を盛られて」
再び江上が目を剥いた。
「おい、潤!」
「そういうことで、そういうことになった」
「はあ、それは不幸中の幸いというか、災い転じてというか……。体調は平気なのか、潤」
潤は頷いた。
「うん……。幸い、副作用もないやつだったらしくて、ちゃんと抜けた」
「そうか。まさかそんなことになってたとはなあ」
江上は嘆息した。
「まあ、松也さんも医者の端くれだからな」
「番にしようとするくらいに執着しているんだから、そのあたりはちゃんと考えたんだろうな」
本当に颯真に助け出されてよかったと改めて潤は思った。
「それで、突っ込んだ話を聞くが、当然次の発情期でお前らは番うんだろう?」
「え」
本当に突っ込んだ話に、潤は驚く。
江上はスケジュールを空ける必要があるから、決まっているのならば早く言えという。
潤の動揺をよそに、颯真が苦笑する。
「それはまだ分からないな」
「なんで」
ジャケットの内ポケットから黒革の手帳を取り出しかけていた江上は、颯真に食いつき気味に返す。
「俺たちが番うには、両親の承諾が必要だ」
颯真はきっぱりと言いきった。
しかし、江上は納得がいかない様子で颯真に詰め寄る。
「でも、お前らはいい年だろ」
番契約を結ぶのに敢えて両親の承諾を必要とするのかと言いたいらしく、同意を求めて潤を見る。
しかし、それについては潤も颯真と同じ考えだった。
「そうなんだけど、必要だと思うんだ。兄弟っていうのもある。俺は、かつて親父殿に潤自身が選ぶ前に番にすれば、潤と引き離すと言われた。だからその決着を付けなければならないと思う」
実は当初、潤も最初は江上の考えと同じように、強行突破でも問題はないのではないかとちらりと思ったし、そう進言した。しかし、父、和真のあの言葉にとらわれている颯真は、首を縦に振らなかった。
和真にあのように言われた以上、筋を通す必要がある。もちろん、あの時とは立場が違う。もう自分たちは成人して社会的に責任がある仕事もしている。反対されても番う覚悟であるのだからよいのではないかと行動に移すこともできる。でも、それは最終的な手段にしたい。約束を反故にされた父がどう出るのか分からないからだ。潤は森生一族の企業の一翼を担う立場だ。もし、父の逆鱗に触れそこから外されることになったら……。言葉を尽くして理解してもらえるならば、その努力を怠るべきではないといった主張だった。
おそらくとらわれているとはいえ、颯真の分析は正しいのだろうと思う。
ただ、父を説得し両親の承諾を取りたいという考えの裏側にあるのは、もっとシンプルな理由ではないかと潤は思った。
すなわち、両親には祝福されたいという渇望だ。
これまで、江上と尚紀という理解者はいたものの、十二年前に両親に本能の声を否定され、欲を押さえるよう命令された颯真は、精神的に孤独だったろうと思う。
念願叶い、ようやく手に入れた弟と番う時には、両親の承諾と祝福が欲しいのではないかと思うのだ。
潤は颯真の意見を尊重した。
きっとこれは過去のしがらみから解放されるプロセスなのだろう。
その意図を江上が察したかは潤もわからないが、納得したようではあった。江上は困ったように笑った。
「分かった。認めてもらえるといいな。
お前のことだから、承諾してもらうまで粘ると思うけどな」
「……松也さんとのことも、両親がどこまで噛んでいたのか確認しておきたいと思ってるんだ」
颯真の言葉に江上は怪訝な表情を浮かべる。
「ご両親の差し金か?」
「積極的な関与だったのかは分からないが、承知はしていたと思う」
たしかに、潤が松也と会っていると颯真の耳に届けたのは両親だ。母、茗子もカレーを作りにやってきた時、分かっていて潤をけしかけたのだろう。
「いつ行く予定だ?」
颯真は頷く。
「父が帰ってきていれば週末」
「そうか……」
「俺としては、もう諦めて祝福してほしいところだけどなー」
颯真の一言は少し軽めだったが、ちらりと潤を見た目は真剣で、そうはいっても難しいと思っているのだろうと察するに十分だった。
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