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エルミタージュへようこそ
「麗 ちゃーん、シンくーん」
シャッと控室のカーテンが開き、ボーイの阿部 が顔を出す。
四十過ぎの年齢なりの腹の出たおっさんだが、客あたりもよく、キャストからの人気も高い。十も二十も年下の男に「阿部ちゃん」呼ばわりされて親しまれている。
「指名のお客様いらっしゃったから、準備してね。ごめん、アオイちゃん。十八時から予約の神山 さん、キャンセルになっちゃった。かわりにフリーの新規様、Cコースいける?」
”アオイちゃん”、と呼ばれた青年は、控室のソファの上で片膝を抱えてスマホを弄っているところだった。
目線だけ上げ阿部をちらりと見やって呟く。
「えー、新規かぁ……」
たった今、アオイのスマホにも常連の神山から連絡が入ったところだ。
『きゅうかん。ごめんなさいこんどうめあわせ』
――って、電報かよ?
五十過ぎの神山は、最近スマートフォンに買い替えたばかりで未だに扱いがあやしい。
急いでいることもあってか、メッセージの内容は極端に簡素だ。妻や高校生の娘に馬鹿にされるとぼやいていたが、これでは仕方あるまい。焦りながら人差し指で必死に操作する姿が目に浮かぶ。
久しぶりだし会いたかったけど。そういう事情なら仕方ないだろう。
気を取り直してアオイはモニターを確認する。
待合室には客の男が三人座っていた。
知人バレを防ぐ為、控室のモニターから客の顔をチェックできるようになっているのだ。「左端、俺の客」とはシン。「右端はワ・タ・シ~」とは麗。
なるほど、ハゲはシンで、デブは麗。
と、いうことは真ん中の男が新規だ。
「真ん中? なんか若そう? え、なんかイケメン?」
モニターと言っても、画像は白黒で画質も荒い。ニュースなんかでよく見る防犯カメラの映像のようだ。
だがここから見る限りでは、なんだかイケメンに見える。
「まあ若そうではあるな」と、シンはワックスで立たせた髪を直しながら。
「あんまり期待し過ぎない方がいいよぉ」と、麗はグロスを塗り直しながら言った。
この店で働き始めた当時、まだ学生だった三人は、社会人になった今もこの店の居心地のよさに、なんだかんだと居座り続けている。
三人はかなりの古株で、麗なんかは、なんと十八の頃から一度も辞めることなく、もう八年だ。……と、言っても普段真面目エリート銀行マンが肩書の麗には、単なる副業以上に自身を開放できる貴重な居場所となっていた。
大学進学と同時に上京し、一人暮らしをはじめるまでの十八年間。麗は窮屈な田舎でその趣味 を封印し、自分を殺して生きてきたのだ。
対するシンとアオイの理由は至ってシンプルで、単純に「金」だった。
仕送りなし、学費も生活費も奨学金を借りていたシンとアオイは、純粋なる苦学生を地でいく生活を築四十年超のボロアパートで送っていた。
二人は出身も大学も違うものの、ボロアパート時代のお隣さんだ。割のいいバイトを探していたときこの店 を見つけた。
一人だったらきっと行けなかっただろう体験入店も、二人一緒ならば怖くないと申し込み、初めてもらったお給料はたったの半日で諭吉が一人……二人……三人。
その場で入店を決めた。
完全に金に目が眩んだ結果だが、形振り構っていられなかったのだ。
休日は時給950円の飲食店で朝から晩まで働いて、授業のある日はときに講義前に、ときに講義後に、やはり朝から晩まで働いた。
とうとう働き過ぎて体調を崩すまで、そんな生活を続けた。それで講義を休んでは本末転倒というやつだ。
それがどうだろう、ちょっと男のナニ をアレ してやるだけ。その数時間で数日分の給料が手に入るのだ。
バイトを決めた晩、二人は久しぶりにコンビニで酒を買って乾杯した。
エルミタージュは男のための、男によるオナクラだ。
客もキャストも男、男、男。オナクラはその名の通り自慰 を手伝うための店である。
オナクラを謳った悪質なヘルスと違い、エルミタージュは完全なるハンドオンリーの店。
働く側にかなりいい条件が揃っている。
何より、キャストもボーイも人がいい。ホストクラブのようにギリギリと競い合うこともない、完全なる個人プレーだからキャスト同士仲がいいのだ。
客にとっても高過ぎず安過ぎない料金設定で、客層はヘルスのハードなプレイに疲れた(もしくは飽きた)、それなりに収入のある落ち着いた中高年が多い。
イチャイチャしながら手だけの奉仕、下半身へのお触りは禁止。
生殺しともいえるプレイ内容を、わざわざ金を払ってまで求めるその心は……。
この店の一番の売りは〝癒し〟だ(もちろん、いやらしいこともするけど)。
だからこそ、この新規客のような若い客はめずらしいのだ。
ここは男による男のための店だが、客もキャストもゲイとは限らない。
現に麗は女装が趣味なだけで恋愛対象は異性 だ。
女性がもてなす風俗が巷 には溢れかえっているというのに、この店を選ぶ理由は、大きく分けてだいたい三つ。
一つは、客の恋愛対象が男、あるいは男〝も〟いけるから。要はゲイかバイということだ。
一つは、リアル女性に対し何らかの恐怖心・トラウマを抱えているから。この場合、身体的精神的なコンプレックス等がある場合が多い。
最後の一つは、単なる冷やかしやネタ、罰ゲームだ。そしてこれは、若い客に圧倒的に多い。そう、このモニターの真ん中に映っているイケメン(と思しき)新規客のように。
「まっ、頑張って。俺もう準備するから」
「ワタシも~。じゃーね、アオイちゃん。後でどうだったか教えてね~!」
シンと麗にひらひらと手を振り見送ると、アオイ自身も準備をするため立ち上がった。
店には控え室と、それぞれプレイ用の個室がある。出勤するとキャストはそれぞれその日使用する個室が割り当てられ、客がつくまで個室待機が可能だ。
個室の数には限りがある。キャストの人数が多いときは控え室で待機のこともあるが、個室が割り当てられているときも、シンか麗が出勤していれば、客のついていない時間はさっきのように集合するのだ。
自室に戻り髪型チェック、服装チェック。
決まった制服はないが、ボトムは膝上以上のズボンが……麗のようにミニスカートの場合もあるけれど。 何にせよ、膝上であれば何でもいい。トップスは自由だ。
学生の頃は、高校の陸上部時代のランニングパンツを着用していた。社会人になった今、さすがに当時の物は擦り切れ色褪せ使えないが、このランニングパンツがアオイの美脚を引き立てると客から大好評で、今は走りもしないのにバイトのためにわざわざ用意している。
ミントタブレットを一粒口に放り込み、アオイは個室の内線電話を取った。キスはなしだけど、至近距離で接客する上でのマナーだ。
内線はワンコール待たずに阿部が出た。
「阿部ちゃーん、準備できましたー」
「はーい、アオイちゃん、Cコースお願いしまーす」
「はぁーい」
ま、とりあえず仕事だ。
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