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アオイ①

 予約の合間に、控室でアオイは急いでコンビニのおにぎりを頬張っていた。  どうやらもう上がりらしい加藤が「お疲れ様で~す」とにこやかに顔を出し、旧式のタイムレコーダーでガチャコンとタイムカードの退勤を切った。  うきうきと帰り支度を始めた加藤だが「あ、そうそう! アオイさん」とにこにこしながら話し掛けてくる。  加藤は阿部と同じくこの店のボーイだ。見た目は二十後半か、三十そこそこか。若く見えるだけで、実際は四十路手前だという話だ。  明るい髪色に、八重歯がチャームポイントの人懐っこい男で、そんなところも若く見える要因だろう。 「今日18時から予約のお客さん、昨日直接お店に来てくれたんですよ~。アオイさんが今日出勤するって教えてあげたら、出直しますーって。無事予約取れたみたいで良かったですよね~」  それだけなら、別に珍しい話でもなんでもない。  自惚れでもなんでもなく、事実アオイは大人気で予約を取るのが困難だ。  何せこの店の元NO.1。  単純に指名数がランキングに直結するので、社会人となり月に一度か二度程度の出勤しかしないアオイは今でこそランキング圏外だが、その人気は未だ衰えていない。  しかし気になったのはその後に続いた言葉だ。 「若くてイケメンでしたよ。ちょっと不慣れな感じで、可愛かったな~」  思い出したのは、先月、新規で接客したあの男。  恐らく身長は180㎝超え。体格もよく、ややタレ目な甘い顔立ちのイケメンだった。  しかし脱いだらガッカリの、まさかの短小・仮性包茎ときた。  おまけに、早漏。  肩幅もしっかりあるのに、ややなで肩で、どことなく頼りなく見える。  だが、年もそう変わらないであろう大の男が真っ赤になってオタオタしたり、コンプレックスに苛まれ羞恥に打ち震える姿などは、最高に――。  ――可愛かったよな~。  彼はきっとまた来るだろう。いや、来て欲しいと思った。 *  ――あ、やっぱり。  予約の時間の五分前。「アオイちゃん、予約のお客様いらっしゃいましたよー」と阿部からのコールをもらい、控室へモニターを確認しに行く。  相変わらず白黒の、鮮明とは言えない映像だが、あれは間違いなく。  そこに映る若い男の姿に、アオイは思わずにやりと笑った。 「アオイくん、悪い顔してる」  控室でカップ麺をすすっていたスバルが怪訝な顔をする。アオイは笑って誤魔化し準備に向かった。  男を誘ったのは、ほんの気まぐれだった。  そこは大抵、バイトの後に(うらら)とシンと一緒に行く店だ。さっきスバルが食べていたラーメンの匂いを嗅いだせいかもしれない。  予約が詰まっていたせいで、朝からおにぎり一個しか食べていないのだ。  とにかく腹が減っていた。  帰り支度と整え店を出ると、男は律儀に店の向かいにあるコンビニの前で待っていた。  店から出てきたアオイを見て、ぺこりと頭を下げる。  ――なんっか、可愛いんだよな……。  自分より随分体の大きなこの男が、妙に可愛く思えてしょうがない。  これまで、エルミタージュの客に外で会おうと誘われた事は何度もある。大体はうまくかわすが、昔からの常連客とは外で食事をする事などもあった。しかし自ら進んで客と接触を図ったのは初めてだ。  単に若いイケメンが珍しいのか、初心な反応が面白いのか。不本意そうにも〝アオイに会いたくて会いたくて堪らなかった〟という顔をしてやって来たこの男に、アオイは興味津々だ。  一緒に入った行きつけのラーメン屋で、(かけい)義松(よしまつ)と名乗ったその男は、おもむろにチャーシューをアオイの器に乗せてきた。  アオイが目を丸くすると、義松はバツが悪そうに目を逸らす。  高校時代ほどではないが、燃費の悪いアオイは、体格の割によく食べる。「サンキュー!」と満面の笑みを浮かべたアオイに、義松は今度はほんのりと頬を頬を染めたのだった。  腹も満たされ、会計の段になって、アオイが財布を出そうとすると義松は驚いた顔をした。 「アオイさん、出しますよ」 「えっ、いいの? サンキュー」 「……自分で奢れって言ったくせに」  そう言えばそんなことも言ったかもしれないが、別に本当に奢らせるつもりじゃなかった。不服そうな口調とは裏腹に、義松はどこか照れたように笑った。  外はすっかり暗く、そよぐ風もひんやりとしている。夏ももう終わりだ。 「ごっそさん。またね~筧クン」  アオイは駅に向かって歩きはじめようとした義松の腕をグイと引っ張った。  なぜそんなことをしたかというと、それは単なる悪戯心、出来心としか言いようがない。大した力ではなかったが、不意に腕を引かれ、義松の大きな体がアオイに引かれるままに傾ぐ。瞠目する義松の顔に向かって、アオイは伸び上がると、唇で触れた。  義松の頬は、思いの外柔らかかった。  キスをされたのだと、義松の頭はまだ理解していないらしい。  ぽかんとしている彼に構わず、アオイは笑って言った。 「キャストは皆、ブログ書いてるんだ。そこに今後の出勤予定書くし、店のホームページにも、二週間先までの出勤スケジュールは載ってるからさ……」  ――だから、俺の休みの店にわざわざ来なくても大丈夫だよ?  みなまで言う前に、義松の頬がカァっと赤くなる。  原因は、突然の〝ほっぺチュー〟か、それとも昨日の来店を知られていたからか。  恐らくどっちもなんだろうなぁ、と思いながら赤面したまま立ち尽くす義松を置いて、アオイは踵を返し自身はバス停へと向かった。  義松と別れ、歩きはじめてすぐ、尻ポケットのスマホが震えた。  メッセージを受信したようだ。  相手は「浅野」と出ている。  開くと『明日、やっぱり8時くらいになりそう』と、簡単なメッセージが届いていた。  アオイはリョーカイ、と一言だけの返事を送り、再びスマホを尻ポケットに捻じ込んだ。

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