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アオイ②

 浅野は大学一年生の冬――アオイがエルミタージュで働きはじめた頃からの常連だ。  学生の頃、家賃・食費・光熱費・学費、奨学金を借りそのすべてを自身で捻出していたアオイは、生活のために週二から三日で出勤していた。月収にすると、30万から40万ほどになる。  浅野は週に1度は欠かさず来る、常連中の常連だった。  年齢は、恐らく阿部と同じくらい。しかしあの年頃の男性特有の匂いはまったくしないし、腹も出ていない。髪は若干の白髪交じりだが、若々しく昭和の映画俳優のようだ。古風な顔立ちではあるが〝正統派ハンサム〟という表現がピッタリく男だった。  浅野に限らず、常連となってくるとありがちなのが〝店のルール以上のサービスを求めて来る〟こと。常連を笠に着て、特別扱いを要求してくるのだ。  さりげなく「お触り禁止」である下半身の下着部分にタッチしてくる客も少なくない。  そういった場合も、客の扱いには慣れたもので、アオイは「んも~、ダメ!」と可愛い子ぶってかわすのが常だった。  あまりにしつこいと、可愛く怒ったフリをして「もうっ、怒るよ?」とか「ボーイさんにチクっちゃうからね?」と頬を膨らませてみる。  我ながらサムい、と思うが、これが思いの外効果覿面だ。エロいオヤジどもはデレデレしながら「ごめんアオイちゃん、怒んないで~」と素直に言うことを聞く。  そんな調子で、浅野に対してもアオイは上手いこといなしていた――のだが、それが通用したのも最初の一年だけだった。  浅野の場合、それは決して強引ではなかった。  さりげないお触りを繰り返す浅野に対し、アオイもさりげなく拒絶する。浅野はそれ以上無理に触れてこようとはせず、あっさりと引いてゆく。  しかし次の来店時には懲りることなく、お触りにチャレンジしてくるその執念深さに、アオイの方が折れた。浅野に体を弄り回されるのは嫌いではない。それどころか、乳首を吸われながら下着の上からやんわりペニスを摩られると気持ちよくなってしまって、もうどうにでもなれとなすがまま――。  拒否されないと分かると、はじめは下着の隙間から遠慮がちに――アオイのペニスに直接触れてくるようになり、それは次第に大胆になっていった。  初めて口淫をされたときはさすがにぎょっとした。しかし大した抵抗もせずに、それもやはりなすがまま。  大学を卒業する頃には浅野の口で達してから、浅野のペニスを扱いてやる、という定番の流れができていた。  浅野の連絡先は知っていた。  しかしアオイが大学を卒業し、就職をして店を離れてからは連絡を取ることもなかった。  三年後。  勤め先を辞め、店に復帰することになったアオイは、アドレス帳に奇跡的に残っていた常連客の連絡先に、復帰を知らせるメールを送ることにした。その中には勿論、浅野の連絡先もある。  浅野から、返事はその日のうちに返ってきた。久々の、思いがけない連絡に喜ぶ旨と、必ず店に行くと約束する、というような内容だ。  他の常連客も皆一様にアオイの復帰を喜んで、必ず行くと請け合った。  それでも店のルール以上のことを許したのは浅野だけであったし、浅野に連絡した裏に、過去与えられた甘やかな快楽への期待があったことは否定できない。  三年ぶりに店で会った浅野は、記憶の中とさほど変わっていなかった。 「あんまり変わってないね、浅野さん。もっと感動の再会になると思った」 「酷いなぁ。僕には十分感動の再会だよ」 「だって浅野さん、あんまり変わってないんだもん」 「そういうアオイは、色っぽくなったね。それに……痩せた?」  浅野はショートパンツからのぞく脚をいやらしい手付きで撫でながら、心配そうにアオイの顔をのぞきこむ。  アオイは新卒から三年間勤めた会社を辞めたばかりだった。仕事は激務で、たしかに当時よりは随分と痩せたかもしれない。  心配するそぶりを見せつつスケベ心を全開の浅野に、相変わらずだと笑いながら「俺のいない間どうしてたの? 他にお気に入りの子できた?」と何気なくたずねると浅野はなぜか驚いた顔をした。 「ここに来たのはアオイが辞めて以来だよ?」 「ええ? うっそだー」 「本当だよ。アオイがいないと来る意味ないから」 「じゃ、他のお店だ」  浅野は苦笑して「あのねぇ」と聞き訳のない子どもに言い聞かせるような口調になって言った。 「僕は別に風俗が好きなわけじゃないんだよ? アオイだから来てただけ」  そんなバカな。  多い時は週に2度、3度と通っていた絶倫オヤジが何年もご無沙汰だなんて、到底信じられることではない。  浅野が帰った後、どうしても浅野の言うことが信じられなかったアオイは、まるで浮気調査のようで無図痒い思いをしながらも、つい阿部に確かめてしまった。 「ああ、浅野さん? 最近また来てくれるようになったねー。もうここ何年も見てないよ。アオイちゃんが卒業してからパッタリ」  ――本当だったのか。  そして次の仕事が見つかるまでの1ヵ月、アオイは以前のようにエルミタージュで働きはじめた。  可能な限り足を運ぶと浅野は言ってくれたが、随分と無理をしているようだった。3年前とは立場が違うらしい浅野は、とても仕事が忙しいようだ。  店の外で会ってくれないか、と浅野に提案されたのは、そんなとき。翌週から、アオイも新しい仕事がはじまるというタイミングだった。  仕事がはじまれば、これまでのように勤務はできない。  元No.1が戻ってきたとあって、アオイの予約を取るのは一苦労だ。出勤が減れば更に集中することは目に見えている。多忙な浅野には尚更店に通うことは難しくなるだろう。  店に払うのと同じ額を払うから、と言われ迷ったのは一瞬だった。アオイは承諾した。  学生の頃、何度か食事に連れて行ってもらったこともあった。自分じゃ到底入れないお高いホテルの高層階のレストランや、高級焼肉。外で会うこと自体にはさほど抵抗もない。  そして何より、自分が必要とされることが嬉しかった。  初めての約束の日は、再就職して初めての休日だった。  昼間は勉強会があるという浅野の都合に合わせ、日曜日の夕方、二人は駅前のカフェで待ち合わせた。 「新しい仕事はどう?」  セルフ型のカフェで、アオイの分のブレンドコーヒーを渡しながら浅野は近況をたずねる。 「んー、まだはじまったばかりだから、何とも言えないけど。上司も同僚もいい人っぽいよ」 「それはよかった」  そんな風に、しばらくはコーヒーを飲みながら他愛もない話をした。 「そろそろ行こうか?」  目に妖しい光を宿した浅野に誘われると、ゾクゾクと背中が粟立つ。  これは、期待だ。  浅野に外で会おうと誘われたその瞬間から、〝続き〟をアオイは期待していたのだ。

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