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シン④
その後、望 は38度の熱を出した。
探すまでもない、この質素な望の部屋に救急箱なんてあるわけがない。
亘 は慌てて隣の自分の部屋に戻った。
部屋には、体温計、痛み止め、解熱剤、包帯やガーゼに絆創膏。一通り入った箱がある。下の三人で手一杯かと思いきや、何だかんだ亘自身のことも気にかけてくれる母に持たされたのだった。
一人暮らしをはじめてまだ一度も開けたことがないそれを持ち、亘は急いで望の部屋に戻った。
意識のない望の額に冷却シートを貼った後、何か食べさせなければと近所のスーパーに走る。
米は小分けて冷凍したものがまだあったはず。卵とスポーツドリンクと、あとはゼリーのようなものなら食べられるだろうか――……ふと目に入った手作りの商品ポップには「風邪にはビタミン!」と書かれ、グレープフルーツが山のように盛られている。
亘は深く考える前にグレープフルーツを一つ手に取り、買い物かごに放り込んだ。
部屋に戻り卵粥を作っていると、ベッドから亘を呼ぶ声が聞こえた。
どうやら目を覚ましたらしい。
「望? 起きた?」
「たった今……布団、なんか重……」
「あ、悪い。俺ん家から追加の毛布持ってきた。お前すごい熱あるぞ」
「ん、なんかダルいと思った……」
「今お粥作ってるから。食えそう? ていうか食えよ。食わないと薬飲めないし」
望はしばらくぼんやりとしていたが、ふ、と頬を緩め「今の亘、おかんって感じ」と小さく笑った。
「おう、今だけはおかんになってやる」
枕を背中に入れて上体を起こさせる。
お粥の椀を渡してやるつもりだったが、先手を打たれた。
「ん」
「え、なに。その口。あーんしろってこと?」
「ん」
口を開いて待っている望に、亘は苦笑を浮かべる。
「甘えんぼかよ」
熱で弱っているからだろうか。こんな望を見るのは初めてだ。
意外に食欲はあるのか、匙ですくったお粥を口元まで持っていくと、望は自分でふぅふぅしながらパクパク食べた。そんな様子を可愛いと思い、そして安心した。これだけ食欲があるなら、すぐに元気になるに違いない。
望はあっという間に粥を完食した。
「まだ食える? グレープフルーツならあるよ」
まだ食べたりなかったのか「ん、食う」と即答する。
「オッケー、待ってろ」
しかしポップに踊らされて買ったはいいが、グレープフルーツの切り方なんて分からない。みかんのように簡単には剥けない。
仕方がないので半分にカットし、自分ですくって食べてもらおうと、スプーンと一緒に持っていった。
それを見た望は目を丸くして、その後声を上げて笑った。
「なに……?」
何かまずかっただろうか。
心配になって訊ねると、望は「おかんじゃなくて、ばあちゃんかよ」と笑っている。
「俺のばあちゃん、俺が熱出すと絶対グレープフルーツ食わせてきたんだ。こうやって半分にカットしてさ、ハチミツかけて。でもハチミツかけても苦くてさ。こうやってスプーンでほじって食べるんだ、すげー懐かしい」
今度はちゃんと皿を受け取って、自分で中身をくり抜いてせっせと食べる。
亘が「美味い?」と聞くと、へにゃっと笑って「ありがと」と答えた。
「俺グレープフルーツって初めて美味いと思った」
「薬は?」
「ん、いいや。いっぱい食ったし、寝る。風邪じゃないもん」
過労という自覚はあったらしい。
「うん、それがいいよ。おやすみ」
亘は背中に挟んでいた枕を抜いてやり、望はもぞもぞと布団に潜り込んだ。
「亘、ありがと」
「いいから早く寝ろって」
しかし熱はなかなか下がらず、望は翌日もひたすら寝て過ごした。
授業もバイトも休み、亘は望の代わりにシフトに入った。
バイトの後に部屋に行くと、望は起きていて「おかえり」と笑った顔は、すっかりいつも通りだ。
「起きてて大丈夫なのかよ」
「うん、ちょっと頭フワフワするけど、もう元気。亘、俺の代わりにバイト入ってくれたんだよな、ありがと」
亘は素っ気なく「別に。俺が働きたかっただけだし」と言ったが、望は嬉しそうににこにこしていた。
「それより皆心配してたぞ。これ、見舞いの品」
亘はコンビニの袋を掲げて見せた。
バイト帰りに持たされたのだ。中身はプリンに、ゼリーに、スポーツドリンク。
望は困ったように笑った。
「皆に心配かけて悪いことしたな……」
「そう思うんだったら、もう少し働き方考えろよ。俺から見ても、望は働きすぎ」
「あ、そうそう。そのことなんだけどさ、亘、ちょっと相談が」
「相談?」
「うん……あ、でもその前にこれ食べよ?」
コンビニ袋をごそごそ漁り「俺、これがいい~」と、数ある見舞いの品の中から焼きプリンをご機嫌に手にする。亘は苦笑した。
「元気になったようで何より」
「元気になったよ。亘のおかげで」
照れているのがバレないように、亘はコンビニの袋をがさがさ漁り、望の言葉は聞こえないフリをした。
「でさ、俺今回のことで考えたんだけど、このままのペースでバイトをしながら学校行くって、無理があるんだよね。まだ一年だよ? これからインターンとか就活とかもあるしさ」
「確かにな、体調崩して授業休んだら元も子もない」
亘は焼きプリンを頬張りながら力説する望に、うんうんと相槌を打つ。
「だからさ、もっと割のいいバイト探そうと思うんだよね」
「割のいいバイトって?」
「ん~、夜のお仕事的な?」
「はっ?」
思わぬ回答に、亘は素っ頓狂な声を上げた。
「夜の仕事って……正気か?」
「だってまっとうな仕事してたら、いつまで経っても稼げないよ」
「それって、ホストとかってこと?」
「一応選択肢には入ってる」
「それって未成年とか学生でも雇ってくれんの?」
「それはこれから調べる」
「すげー酒とか飲まされたりするんじゃないの? それこそ体壊すだろ」
「う~ん、そこなんだよね~……」
確かに望は顔もいいし、愛想もいい。人を惹きつける魅力がある。
金を払ってでも望に会いにくる女はいるだろうが――亘の心配をよそに「酒は楽しく美味しく飲みたいよね? 無理して飲まされるお酒は嫌だな~」なんて呑気なことを言っている。
そして望は真剣な顔でモバイルの画面を操作し「夜のお仕事」を探しはじめた。
亘はそれを横で眺めながら、見舞いの品の中からスポーツドリンクを開けた。
しばらくして、目ぼしいものが見つかったのか「あっ、ねえ亘。ここは?」
と嬉々として画面を見せてくる。それを見て亘は、ぎょっとした。
「はっ!? 風俗じゃん!」
「でも、手だけみたいだよ?」
「そういう問題か?」
「そういう問題じゃないの?」
「だって……あれだろ? 他人のちんこ扱く仕事ってことだろ? だいたい、そういう〇〇だけ~簡単、安心、安全~っていうの、絶対怪しいって! 絶対裏あんじゃん。結局もっとヤバいことやらされたりするんじゃねーの?」
「亘詳しい~」
真剣に忠告しているというのに、望はけらけらと笑って「あ、でもなんかちゃんとしたお店っぽいよ?」と店のホームページを開いて見せた。
客向けのページの料金案内にも、キスやフェラといったオプションの項目は見当たらない。大きく〝風俗特殊営業届け出済店ですので安心してお遊び頂けます〟と書いてある。風営法がどういうものかはよく知らないが、ドラマやなんかで警察が未許可の風俗店なんかに乗り込むシーンを見たことがある。
「ねえねえ、亘。一緒に一日体験 、行ってみない?」
「はあっ!? やだ、ぜってーやだ! 行くなら望一人で勝手に行けよ!」
「またまた~興味あるくせに。な? 一緒にいこ?」
「俺はい、や、だ!」
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