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筧 義松Ⅲ⑨

 勝手なイメージだがああいった手合いの店で働く人達、というのはお金のために始めるのだと思っていた。借金を返すためにキャバクラや、ソープで働く……なんて話はアングラなドラマなんかではよく目にする。アオイは、違うのだろうか。元No.1だと言うし、結構稼いできはず。今は月に一、二度の出勤だが、予約で全て埋まるアオイの収入はそれだけでも結構な金額になるはずだ。  アオイは義松をジッと見つめ「別に、金には困ってないよ」と答えた。その表情からはやはり感情が読めない。 「じゃあ何で……」 「もう趣味みたいなもんだよ。あの店で働くのはさ」  以前「両方いけちゃう」と言っていたがそういうことなのだろうか。手練の年配の男性と大人の遊びをしたり、義松のような初心な男をからかったり、そういうことが趣味なのだろうか。アオイが多くの客から求められていることは分かっている。  だがそれでも、押しつぶされそうなほど胸が痛んだ。 「そんな切ない顔で見つめないでよ~ほんと筧クン俺のこと好きね?」  義松の顔を見て、アオイが茶化すように笑った。  元々嘘を吐いたり隠しごとは得意ではない。ポーカーフェイスとは最も無縁だろう。アオイに恋焦がれていることなんて、とっくに本人にバレバレだ。 「彼女いないとか嘘ですよね。こなれすぎです……アオイさん絶対モテる」 「まあモテるよ。男からも女からも」 「お客さんに口説かれたり――」 「毎回口説かれてるよ」 「……いいなと思うような人、いないんですか」 「あの店に来るような人、だいたい既婚者のおっさんだよ? それに俺、客とは絶対付き合いたくない」 「えっ」  義松はショックを受けた。これまで客とそういう関係になたことがないというのは朗報だが、同時に義松にもチャンスはないということだ。 「な、なんでか聞いてもいいですか」 「上手くいっているときはいいよ。好きだ、可愛い、愛してるって俺のこともてはやす。……でも〝あんな店〟で働いてた、体売るようなマネして生きてきた人間なんだって――きっとそういう目で見られる。そんなことないって口では言っても、絶対根底にはその事実がある。それは消えない」  ――〝あんな店〟で働いていた。  義松はハッとした。  さっき、自分はアオイに何と言っただろう。 『あんな店でバイトなんか――』  そう言わなかっただろうか?   「俺はあの店が好きだよ。社長も人がいいし、阿部ちゃんも加藤さんも好きだ。キャストの皆も仲良いし、すげー居心地いい。つい何年も居ついちゃった」  アオイはカップをカウンターに置き、小さく溜息を吐くように、自嘲するような微かな笑みを浮かべる。しかしそれは一瞬のことですぐにアオイはにこりと笑った。 「俺は金に困ってるからあの店で働いてるわけじゃないよ。少なくとも、今は……ね。あの店は俺の居場所なんだ」 「居場所……ですか?」 「ん、そそっ」  アオイは軽い調子で相槌を打つ。 「前の会社辞めて、次の仕事が見つかるまでの繋ぎのつもりで戻ったんだけど……阿部ちゃんはあんな感じでしょ? 加藤さんもウェルカム感半端ないし、シンもわざわざ俺と一緒に店に戻ってくれて、さ……。そしたら居心地いいのなんの。常連さん達も皆、覚えててくれて。前の会社辞めて、俺結構参ってたから……人から必要とされるってこんなに嬉しいことだったんだ、って泣きたくなるほど嬉しかったよ」 「アオイさん……」 「だから、あんな店(・・・・)だけど、あそこは俺の大事な居場所……」 「あ――……」  そんなつもりは毛頭なかった――いや、無意識のうちに、あの店をきっと、あの店で働く人達を下に見ていたのかもしれない。 「アオイさん、すみません俺……」 「いや、いいよ。まっとうな社会人からしたらたしかにあんな店(・・・・)だ。 俺も、学生時代のバイトは楽しかったし、おかげで人間らしい生活をさせてもらえたって感謝はしてたけど、就職してあんな店はさっさと辞めてやるって思ってたし、実際そうした。でも、かつて常連だったおっさんたちが〝おかえり〟〝会いたかったよ〟って抱き締めてくれた。ちょっとオーバーかもしれないけど、あれに俺は救われたんだ。俺は必要とされている。ここにいていいんだって……」  アオイはにこりと笑った。 「アオイさん……」  義松は思わず立ち上がって、アオイを抱き締めていた。 「何泣いてんの、筧クン」  とアオイが笑った。 「あんな店なんて言ってごめんなさい……」  絞り出した声はみっともないくらいの涙声で、鼻を啜ったらアオイはまた笑った。 「俺、そのときアオイさんを抱き締めてくれたお客さんに礼を言いたい」  そのとき、そのお客さんがアオイを抱きしめてくれなければ、今のアオイはいなかったかもしれない。 「あんたは優しいな……」  アオイは今度は笑わず、義松の頭をくしゃりと撫でてくれた。  泣いて泣いて、アオイを抱きしめたまま――そのあとの記憶がない。  目が覚めると大きなベッドの上でぎょっとした。結構酒が入っていた。もしかしたらあのまま眠ってしまったのだろうか……。  隣には上掛けにくるまったアオイが穏やかに寝息を立てている。  ひょっとしてアオイに運ばせてしまったのだろうか……と不安になる。  遮光カーテンの隙間から陽の光が見える。どうやら朝のようだ。  そのまましばらく、義松はアオイの寝顔を見つめていた。  寝顔を見つめていられたのはそう長い時間ではなかった。  もぞもぞと身じろいだアオイはその切れ長の目をうっすら開けて、隣の義松が起きているのを確認するとふにゃっと笑った。それからくあっと大きな口を開けてあくびをする。可愛い。 「目、すげー腫れてるぞ。冷やしたら」  腕だけ伸ばしたアオイは微笑んで、義松の目元から頬を優しく撫でた。ドキリとする。  たしかに随分泣いた記憶がある。瞼もなんだか腫れぼったく重たい。さぞみっともない顔をしているのだろう。 「ちゃんと眠れたか?」 「はい、ぐっすり……すみません、もしかしてアオイさんが運んでくれました……よね?」 「他に誰がいるんだよ。立ったまま寝るなんて器用なやつだな、あんた」 「すみません……っ」 「別に怒ってねーよ。それより、コーヒーいれてくれよ。インスタントもどっかにあるからさ。あんたでもいれられるだろ?」 「は、はい! 喜んで!」  義松はがばりとベッドから飛び起きて寝室を飛び出した。後ろから、掠れた寝起きのセクシーなアオイの笑い声が追いかけてくる。   アオイには本当にみっともない姿ばかり見られているな、と義松は赤面しながらも、この一晩でぐっとアオイに近付いたような気がしていた。  昨晩のトイレでの衝撃的な出来事が、随分昔のことに感じられるほど……この部屋でアオイから聞いた話は義松の胸に深く刺さった。  アオイの内面の、すごく繊細な部分に触れさせてくれたような……。  ――アオイさんにとって、俺は本当にタダの客なのかな?  自惚れでも何でもいい。  もっとアオイに近付きたい。そんな気持ちが、以前よりもっとずっと強くなった。 ――俺、アオイさんが好きだ。本当に。心の底から……。

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