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「よくそう言われるけどね、実は六月は暇なんだ。雨が多いだろ?」 彼が言いながらグラスを少し揺らすと、琥珀色の液体の中で氷の欠片がからからと鳴った。 淡いオレンジの照明の下。くっきりと影を落とすほど長い睫毛を見つめながら、頼んだばかりの同じ酒で僕は唇を湿らせた。 「繁忙期は秋。次が春かな。特にウチの式場はガーデンが売りだからさ」 「ああ、雨じゃ屋外は使えないですもんね」 「そう。参列者も大変だし、人気ないんだよ、梅雨は」 だからこんな風に飲み歩く時間もあるってわけ。笑い混じりに彼はグラスを傾けた。 仄暗い調光にピアノジャズが流れる、ここ“dadi(ダーディ)”は裏路地に隠れるようにしてひっそりと佇むゲイバーだ。 他にもこういった店はいくつか知っているが、僕が利用するのは専らこの店だった。ブラウンとダークグレーのシックな内装に釣り合って、客も静かで落ち着いた飲み方を好む人が多い。 彼とは今夜初めて会って、言葉を交わした。 カウンターの端に一人で座っていた彼に「隣、いいですか」と声を掛けると、微笑んで頷いた。それがほんの三十分ほど前のこと。 お互いに少量のアルコールを入れての会話はそこそこ弾んでいた。彼は結婚式場で働いているという。いわゆるウエディングプランナー。 「かなり激務だって聞いたことあります」 「はは、そうだね。繁忙期なんかはね、寿命縮めてんな、っていつも思う」 からからと笑う彼は、そんなことを言う割に、三十六歳という年齢よりずっと若く見える。僕と十も離れているようには到底思えなかったので、聞いたときは驚いた。 しっかりとアイロンがかけられたシャツ。既婚者かとも思ったが、どうやら違うようだ。 「結婚式が好きなんだ。二人の幸せがぎゅっと詰まった、宝物みたいな一日を、一緒につくれるのが嬉しい。自分では一生挙げることはないだろうけどね」 涼やかな印象の目尻に、笑うと小さな皺が寄る。それも歳相応というよりは愛嬌を感じさせた。 小造りの顔に、口角の上がった唇。セットの崩れかけた黒髪はどことなく色気を醸しているが、表情には少年のようなあどけなさもあって。 ギャップが良いな、と思う。 そもそも好みでなければこんな場所で声など掛けない。そしてそれはきっと相手も同じだろうと期待する。彼にとっての自分も、少なくとも「ナシ」ではないはずだ。 「君はどんな仕事を?」 「僕は……カメラの仕事、です」 短く答えると、彼は僅かに目を丸くし、首を傾げた。表情の豊かさは職業柄でもあるのかもしれない。 「カメラマンって事?」 「まあ、雇われですけど。趣味の延長です」 「へえ」 かっこいいな、と彼は呟いて、ふんわり微笑んだ。 「どんなの撮ってるの?」 「ずっと景色や静物ばっかり撮ってたんですけど、今は人物を撮るのを修行中で」 「見てみたいな。何かない?」 そう問われて、今はデータ持ってないです、と首を横に振った。「残念」彼は本当に残念そうな声を出して、グラスの中身を飲み干す。 カウンターの向こうにおかわりを注文する横顔を、僕はオリーブをつまみながらじっと眺めた。視線をこちらに戻した彼が「そんなに見るなよ、恥ずかしいな」とおどける。 ワイングラスに満たされたクラッシュアイス。そこに注がれたウイスキーの琥珀色は、ガラスモザイクのようだ。一舐めし、ふうっと小さく息を吐き出す、柔らかそうな唇。 それから少しのあいだ、僕たちのあいだには控えめなピアノジャズだけが流れていたが、やがて彼が口を開いた。

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