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「今月末にね、親友がウチで式を挙げるんだ」 中学からの仲でね。彼は言いながら骨張った細い指でグラスの縁をなぞり、微笑みをどことなく物憂げなものに変える。 白い目元にはやや赤みが差していた。そんなに酒には強くないのかもしれない。 「俺に担当してほしいって言ってくれてさ。嬉しかったんだ。その気持ちはとっても嬉しかったんだよ、本当に。でも……」 「……その人のこと、好きだったんですか?」 言い淀んだ彼は、僕が尋ねると、ふっと吐息のような密やかな笑みを漏らした。 「二十年も片想いなんだ。笑っちゃうだろ」 その自虐的な笑い方はひどく儚げで、淡い赤橙色の照明に簡単に溶けていってしまいそうだった。 「新婦さんがさ。ジューンブライドになるのが夢だったんだって。それを叶えてやりたいんだってさ」 優しい奴なんだ。彼は呟きグラスを傾ける。 実ることのない、あまりにも長い恋を抱え続けている男。そう知った途端、その頬に退廃的な色香が滲んだ気がした。僕の目にフィルターが掛かっただけかもしれない。 「優しい男が好きですか」 「ん? そうだね……優しくされたいな。苦しいのはもう十分だ」 「優しくしますよ、僕」 「ふふふ。こんなオッサン口説いてくれるの? あ、年上好き?」 悪戯っぽく笑うその顔こそ「オッサン」とは程遠いものだったので、「正直、年上って感じはあんまりしないです」と答えたら「それは喜んでいいのかな」と苦笑した。 「僕、(くちなし)伊織(いおり)っていいます。名前を聞いてもいいですか?」 見つめる僕の視線から逃げるように、彼は口角を上げたままゆるりと目を逸らすと、 「アヤメ。好きなように呼んでよ、伊織くん」 そう言って僕の膝の上にそっと手を置いた。 外では霧雨が降りだしていて、僕たちはそれぞれ傘を広げた。意味なく相合傘をするほど酔ってはいなかった。 「もう少し飲みますか?」 「伊織くんはどうしたい?」 「アヤメさんとキスしてみたいです」 「あはは、伊織くん、可愛い口説き方するね」 並んで立つと彼は僕より五センチばかり背が低く、うっすら濡れてしまった肩口はもっと華奢だった。 愛想のないビニール傘の下、人通りも少ない雨の裏路地は世界から隔離された空間のようで、彼の肌の白さだけが景色から浮きあがって見える。 不出来なコラージュのような表情を浮かべて彼は言った。 「俺、恋人もセフレも欲しくないんだ。だから、一夜限りだけど。それでもいい?」 それは僕にとってすぐには頷きかねる言葉だったが、どちらにしても、もう今日は彼以外を抱く気にはなれなかった。ずるい、と思う。 唇を尖らせた僕を見ると、彼はまた小さく声をあげて笑い、濡れたアスファルトをホテル街の方向へと歩き出した。 そんな経緯があったから、二度目に会ったとき、彼は少しばかり怒っていた。 場所は同じく“dadi(ダーディ)”、初めて会った日からちょうど一週間後の平日。この日も夕方から雨が降っていた。 顔を合わせるや否や、思いっきり眉を顰めた彼の憤りはもっともで、僕自身、非難を覚悟でやったことだった。 「手癖が悪いんだね、伊織くん」 「すみません。……来てくれないかと思いました」 「来るよ。ないと困るもん。さ、返して」 差し出される手のひらの上に、僕はポケットから取り出したジッポを大人しく載せた。Y.Aとイニシャルの彫られたブランド物で、年季が入っている。 彼は情事のあとにだけ吸うタイプの喫煙者だった。裸のままベッドでピースの甘い煙を燻らせながら、愛着に満ちたまなざしで眺めていたそのジッポを、僕は別れ際にこっそりくすねたのだった。 「連絡先は抜きそこねたので、マスターに伝言をお願いしたんです」 「君は見かけによらず育ちが悪いと見た」 「アヤメさんにまた会いたかったので」 身体の相性が良かったというだけではない。幼い笑顔も物憂げな瞳ももう一度見たかった。この一週間、彼のことが忘れられなかったのだ。 溜め息を吐きながら彼は僕の隣に座り、先週と同じ酒を注文した。オールバックに眼鏡のマスターは、待ちかまえていたとばかり、グラスに氷を入れた。

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