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第6話
7月15日。この日も雨だった。小雨がぱらぱらと昭和ガラスを濡らす。この時期は梅雨が明ける事もあるが、今年はまだ続いている。
「春、おはよ。」
がららと扉を開け、圭助が来た。ビニール傘を畳んで、中へ入っていく。ガタイが大きいので、傘からはみ出したのだろう、黒いTシャツの上に羽織っているリネンシャツの肩が少し濡れていた。全て俺が用意すると言ったので、手ぶらで来ている。
「ん。行くか。」
空のペットボトル、花、線香、ライター、スポンジ、祖母の好物だった葛餅を持って墓へ向かって歩きだす。
雨も強くはなかったので、徒歩で向かった。15分程で到着し、1ヶ月ぶりに墓の前へ立つ。以前活けていたお花は枯れていた。墓地の端にある、備え付けの蛇口からペットボトルに水を汲み、墓を綺麗に掃除し、花や水を替え、お供物を置いた。
線香をそれぞれ2本ずつ持ち、香炉 に線香を寝かせ、ゆっくりと手を合わせる。
「ばあちゃんお久しぶり。今日は圭助来てくれたよ。覚えてるかな?」
俺は返答はない墓に向かって小さい声でいつも話しかけている。
「隣でケーキ屋するんだって。似合わないよね。」
「おい。」
一緒に合掌していた圭助がつっこみを入れる。俺はくくっと笑った後「ほら、挨拶しな」と圭助を肘で小突いた。
「お久しぶりです。圭助です。ケーキ屋をすることにしました。」
これは俺が作った菓子です、とリネンシャツのポケットをごそごそとすると、中からラッピングされたフィナンシェが出てきた。よく見ると、上のスライスアーモンドが砕いたピスタチオに変わっている。
俺と目を合わせ、「お供物追加で。」と笑ってきた。
「今は梅雨で、傘屋は大盛況だよ。忙しいけど、色んなお客さんの傘と触れ合えて嬉しい。引き続き頑張ってくね。あと、圭助のケーキ屋も潰れないように見守ってて下さい。」
「いやいや、大盛況になるように見守ってて下さいだろ。」
「くく…、大盛況になるようお願いね、ばあちゃん。」
そうやって墓に笑いかけている俺をそっと優しい目で見てくれていたのは祖母ぐらいしか見えてないだろう。
圭助とあーだこーだと言いながらも、無事に墓参りが終わった。
雨足は変わらず、弱くも強くもない。
「春はいつも一人で墓参りきてるの?」
「うん。何で?」
歩道が狭いため、縦一列に並んで会話をする。圭助が前で俺が後ろだ。圭助は少し振り向きながら話しかける。
「お母さんは?」
「……知らん。行ってるかもしれないけど、一緒には行ってない。」
「そっかぁー。他の人とも来ないの?」
「墓参り積極的にしたい人は俺の周りにはいないぞ。」
お前以外な、と心で答える。
「ふーん。」
会話が途切れるが、前後で歩いているとあまり気にならない。
「春って好きな人いないの?」
「……は?何て?」
前を向いたまま圭助が言うので、俺の聞き間違いだと思い、もう一度聞き返す。
するとビニール傘越しに見えていた逞しい背中がくるっと回り、目が合う。
「春って好きな人いないの?」
「………急になんだよ。」
どどど、と胸が脈打つのがわかる。傘の手元を握る手のひらからじんわりと汗をかく。
「えー知りたいから。」
「…………俺は知られたくない。」
知られたら終わりだ。毎日来てくれる事もなくなる。隣の店なのに、顔を合わすのすら大変になる。言える訳がない。圭助は再度前を向き、歩きながら会話の時は俺の方を向いて話す。
「知られたくないの?」
「……………ああ。もういいだろ。おしまい。」
早くこの場を去りたかったが、圭助を置いて先に行くのは変だと思い、ぐっと我慢し、「前向け」と伝える。
「ええー、終わってないー。大好きな春ちゃんの事知りたいのに。」
大好きと言われて、心臓が跳ねた。でもこの物言いは友達としての好きだ。落ち着け、落ち着け…。
「…キモい事言ってんじゃねぇ。」
「相変わらず辛辣〜。知られたくないって事はいるってことでしょ?もう恋人?」
「恋人とかいねぇ。」
「あら、これは失礼〜。」
調子軽く答える様子に俺の気も知らないでとイラつき、思わず膝で軽く蹴りをかます。
「いてて。春も俺の事好きでしょ?だからいいじゃん、教えてよー。」
好き。好きだよ。今更初恋の相手に再燃して、俺は大変なんだ。お前が思っているような友情じゃなくて、愛情なんだよ。ばか。くそ。平気で好き好き言いやがって。でも好きとか言えるチャンスはこういう時しかないだろう。
せっかくだ。せっかくのチャンスなんだから、軽い感じで言ったら大丈夫。
「………あー好き好きー。でも教えませんー。」
言った。言えた。この感じなら大丈夫だろう。変には思われない筈だ。言えたという達成感とバレるのではとヒヤリとする。
目の前に俺の店が見えてきた。ほっと息を吐く。
「ほら。店着いたぞ。俺はこの後ぼーっとする予定だから、お前はさっさと帰って店の準備でもしてろ。」
手でしっしっと払うと、その手をぐっと掴まれ、店の中へ入っていく。
「はぁ?!お、おい、どうしたんだよ!」
何も言わず、急な行動をする圭助に戸惑いながらも、手に触れているドキドキで身体は為すがままに動く。
店の中へ入り、傘を傘立てに置くと圭助はがしりと俺の両腕を掴んだ。体格のいい圭助の力は強い。
「ばかっ、力強ぇ。急にどうしたんだよ。」
俺の言葉に指の力が少し緩む。
「お前の癖ひとつ教えてやる。」
「は?癖?」
急に何を言いだすんだ。今日の圭助は少しおかしい。
「俺が言った事が、春の思っている事と同じ時、お前は俺の言葉を復唱するんだよ。」
「………は?」
ど、ど、ど、と心臓の音が大きく耳に奥にこだまする。
まさか、え、いや、俺は………
「俺の事好きかって聞いたら好きって言った。」
やばいやばい。どうしたらいい。
梅雨で不快な湿気が、さらに上がったように感じる。
「い、言ったけど……、あれは……」
特別な意味じゃない。友達としてに決まってるだろ。って言わないと。水分が取られたように、喉がカラカラになる。
「俺は春が好きになったよ。」
腕を引かれ、ぎゅっと強く抱きしめられる。訳の分からないうちに圭助に包まれ、圭助の汗の匂いや体温を感じる。
「え、えっ…」
俺は混乱を極めた。友達で抱き合うのか、好きは友情なのか、これはまるで告白じゃないかと。
「春の気負わない雰囲気が好き。仕事に対する姿勢も好き。家族想いのところや、隠そうと思ってても隠せてないところが好き。」
次々と言われ、顔に血がのぼる。これは。もしかして。これは、本当に……。
「俺春と一緒にこれからも過ごしたい。恋人になってエッチなことしたい。俺と付き合って下さい。」
告白してくれてる。
圭助と目が合い、じっと見つめられた。信じられなくて、びっくりして、言葉が出ない。
「…返事聞きたい。付き合う?付き合わない?」
圭助が2択を出す。嬉しくて、涙が溢れてきた。
圭助にぎゅっとしがみつき、「付き合う…」と圭助の肩を濡らしながら、俺は答えた。
✳︎✳︎✳︎
がららと今日も扉を開ける音がする。昨日梅雨明けが発表され、今日は晴天だった。
外から匂いが流れ込んでくる。雨が降った時の独特な匂いではない、甘い匂い。
その匂いを纏った彼に包まれた後、お互いの店で仕事をする。
がらら。再度扉が開いた。孫が大切にしている傘だと桃色の小さな傘をおばあさんが持ってくる。
「はい、修理承ります。」
俺の梅雨も明けたようだ。
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