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数日振りに帰還することの許された己の屋敷は、先の戦争で疎開していた使用人が戻って来たおかげで平時の美しさを保っていた。 この国の建国とほぼ同時期に建てられた由緒正しき公爵家の屋敷は、夜の闇であっても洗礼された月白色に輝いている。 だが今、この屋敷にはその清廉潔白な佇まいに相応しくない異物が在る。 ダンケルハイトの身柄を私が引き受けてから早くも半年が経過していた―― とは言っても私とダンケルハイトが顔を合わせた回数は多くは無い。 戦後の事後処理に加え、己の隊の不祥事の後始末、更に全体的な人手不足により私は昼夜を問わず城じゅうを駆け回っている状態が何か月も続いていた。 その上公務は城だけに止まらず、馬車や馬を飛ばして王都の外に出ることも珍しくはなかった。 己の屋敷どころか王都に戻ることすら叶わない日もあり、ベッドではない場所で眠った夜も両の手では足りない。 屋敷に戻れず、ダンケルハイトに会えない間は彼がまた私の前から消えてしまうのではないかと不安に襲われ続けていた。 いっそ恐怖と呼んでも不足ではない感情を公務で誤魔化しながら押さえつけ、その反動はダンケルハイトに向かってしまっていた。 まともに顔を見る事すら叶わないでいた後のダンケルハイトとの面会は、私の我慢していた欲求をぶつけるだけぶつけて翌朝に備えて早急に部屋を出るという酷い物であった。 何度か意思疎通を試みたのだが、ダンケルハイトは相変わらず頑なに心を閉ざしており、何も出来ないまま別れるくらいならばと無体を働いてしまう。 そんな歪な関係が、もうずいぶんと長く続いている。 だがしかし、長い戦後の混乱もようやく落ち着きを見せ始め、今夜の私はゆっくりと屋敷で過ごす事が出来る立場にあった。 何時ものように湯と布巾を用意して、元は客室だった部屋に向かう私の足取りは軽やかでありながら落ち着いている。 これまでは何かに追い立てられるようにダンケルハイトの許へ駆けていたのだが、屋敷を出てから数日しか空いていない事も手伝って心にゆとりが出来ていた。 「ダンケルハイト、入るぞ……」 四度ドアをノックしてから解錠する。 使用人などの悪戯を防ぐために屋敷の部屋は全て外側からも鍵がかけられるようにはなってはいるが、それは内側のつまみで外れてしまう仕組みであったため、ダンケルハイトの軟禁部屋は鎖で厳重に縛られていた。 夜更けの静まり返った廊下に鎖の擦れる音が響き渡る。 これまでは入室の度の煩わしさから、いっそ引き千切りたい衝動に駆られていた作業も今は苦ではない。 (今夜こそ、ゆっくりダンケルハイトと話し合おう……) そう決意を固め、期待を膨らませながらドアを開ける。 ――中では全裸のダンケルハイトが、ベッドで胡坐をかいていた。 「すっ……すまない!」 驚きのあまり情けない声を上げて固まってしまう。 外に出ようかと一瞬迷ったが、同性同士でそのような反応は過剰であると改めて正面から視線を逸らしながら入室し、ドアを閉めた。 「ふん……」 私の狼狽振りを気にも留めず、ダンケルハイトはつまらなそうに息を吐いて己の身体に顔を戻した。 喉をあまり使わないのか、友の昔からの癖である息を鳴らす音は今も変わらない。 昔から素直な言葉は伝えない友の数少ない感情の現れ方だ。 「あぁ……身を清めていたのだな」 改めて見てみれば、何のことはない。 ダンケルハイトは己の身体を濡れ布巾で拭いているだけであった。 友の世話を私が手伝ったのは最初の一度だけであった。 あれから回復したのか、食事の持ち運びなどで定期的に訪れる使用人に湯と布巾を用意させ、自分で勝手に身体を拭いているようだ。 私が使用人たちにダンケルハイトの希望は出来る限り叶えてやる様にと重ねて命じたのが功を奏したようである。 (……それにしても、もう少し恥じらいを持っても良いのではないだろうか) 私が目の前に立っているにも関わらず、ダンケルハイトは股を開いた姿勢で遠慮なくそこも布巾で拭っていく。 男同士なのだから気にするなと言われてしまえばそれまでではあるが、あまりに堂々とした姿はこちらを置物かなにかと思っているのではないかと、不愉快とまでは言わないが釈然としない気持ちになってしまう。 (あのような事を続けている私に対して……ダンケルハイトはどう感じているのだろうか……) あの夜から、私はダンケルハイトのことを以前のように真っ直ぐに見ることが出来なくなってしまっていた。 二人の間に性行為という手段が現れてからは、ダンケルハイトのふとした仕草や黒髪の隙間から覗く首筋などに仄暗い熱を覚えてしまう。 だが、当のダンケルハイトはこの有り様だ。 私がどれだけ情をぶつけようが、昔と態度は変わらない。 本当は何も無かった事にしようとしているのではないかとも考えたが、あまりにも意思疎通を頑なに拒むので真意が見えない。 (使用人に湯を用意させることは出来るのだな……) 身体を拭き終わったのか、湯の入った桶の端に布巾が懸けられる様を見ながら思いつく。 使用人に用を頼む事は可能であるにも関わらず、私との対話は拒んでいるのだ。 (私とは話さないにも関わらず、他の者とは話すのだな――) また私の中に嫌なものが生まれる。 この数か月でようやく収まってきた感情が、首を擡げ始めてしまう。

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