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第1話
強い雨の影響で地下鉄の車線は遅延していた。じっとりした車内で、乗客同士の身体の距離が近い。一駅ごとに密度は高まる。女性客は居なかったが、ユキヒロはつり革を両手でで掴む。背後の男の体温がべったりと張り付いて不快だった。
ーーそんなにくっついてこなくたって。
じりじりと耐える。
ユキヒロの冴えない表情が開こうとするドアの窓に映る。
ファッションビルでの仕事終わり、高い湿度に帰りの車内でもこの様子では休まらない。やっと最寄り駅に到着する。ようやくの開放感だった。
しかし、今度は前方に歩く部活帰りの学生の傘が、不躾に眼の前で揺れる。そして連れの同級生たちと大きく笑い声をあげはしゃいでいだ。こんな雨の日に何がそんなに面白いんだ。
ーーこういう集団からも少し離れたい。
ユキヒロはいつもの通路の角を壁際に逸れた。階段が見える。ユキヒロを誰も省みる事なく学生達や帰路に着く他の乗客たちは次々と滑らかに登って行った。それを見送る。やがて人が居なくなってもユキヒロはその角からなかなか次の一歩、足を踏み出せ無かった。
ユキヒロにメッセージ受信の振動がポケットから伝わる。夏川からだろう。
「この服どうかな?」という質問と共に画像が送られていた。退勤する前にこのメッセージを確認し、返事をしないままだ。
仕方なくスマホを取り出す。既読無視をした状態で、夏川からの反応がどうなるのか気になって仕方なかった。だが、次には「服のことくらいこたえてくれないの」と悪びれる事なく文字が画面に浮いていた。
どう返せばいいのだろうか。
こっちから距離を置く提案のメッセージには返事が無かった。それから次のメッセージがこの服のコーデのことなのだ。
困るんだと、少しでも追ってくれるような感情のある言葉を待っていたのがバカだった。直後の反応が服のことだとは全く想像していなかった。こんな調子の男に返事など返せばまたこの男のペースを許容することになるに違いない。
それはもう嫌だ。嫌なのに、ユキヒロの気持ちは夏川に対して拒絶までに到達しないのだった。諦めの決定打となる所までには行き着かない。ユキヒロは迷う。この迷いの感情にさえも疲れが漂う。
もう迷いたくないのにーーそう思うとどうしようもなく悲しくなった。ユキヒロは階段を見上げた。この階段を夏川も同じように毎日使って通勤していることを知った時の、久しぶりの晴れ間を見たような嬉しさが思い出された。あの感覚は何だったのだろうか。鼻の奥がつんとしてくる。
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