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第5話

行きつけのバーは職場近くにある。帰宅した道を戻る形になるが、そこのバーのマスターはゲイであるし、適度に慰めて欲しいと思った。過度なものは惨めになるから要らない。それはきっと察してくれるだろう。  混み合った車内でユキヒロは自分の服や肌が湿度にベタついていることに気づいた。いくら傘をさしていても少しづつ雨が染み込んでいた。  ユキヒロは周囲の客に悪いなと思う。ただでさえ呼吸が重く感じられるほど不快な空気なのに、雨が染み不幸に落ち込んだ男が同乗してくるなんて。  そんな風に自分を卑下しているユキヒロの後ろから太ももに、何かが触れていた。誰かのカバンか傘の持ち手なのだろうと思う。  しかしすぐにその感触は人が撫で回していると気づいた。そっと、ユキヒロは見える範囲で様子を伺う。男ばかりだ。その手は際どく、足の付け根にまで到達してきた。薄い生地のテーパードパンツは指の太さまで予想できた。  ユキヒロは抵抗する気力を持とうとしなかった。怒りも恐怖も湧いて来ない。どうでもいいと思った。もうなにも望まないーー  自暴自棄の気分で、受け入れ続けていると卑劣な男の体温が近づいた。知りたかったのはこんな男の指使いや体温じゃない。そしてとうとう、密着された肉体から硬いものが突きつけられた。一瞬、涙が体の奥底から込み上げてくる。この先、後ろの男の欲望の行き先はどうなるのだろうと思考し、堪えた。  ユキヒロは思い切って、後ろに手を回してそれに触れて握ってみる。男は驚いたのか、その部分は一気に萎んだ。どうやら安物のスーツの生地だと察知する。それを離さないでいると、ユキヒロの手が掴まれた。もはやそれは誰が掴んだのかもはっきりしない。逆に痴漢に仕立て上げられる可能性もあった。 どうなったってもう構うもんか。 ユキヒロは手の感覚に集中する。汗ばみ僅かに震えているその手は痴漢の手だと確信を持つ。痴漢の罪悪感か。ユキヒロは、その震えている手を強く握った。そして握り返された。また握り返す。互いの湿気ばんだ緊張で肌が吸い付き合う。 「いいのか」  そっと耳打ちされ、頷いた。どんな容姿風貌だろうが、なにも望まない。そのまま手を繋ぎ、次の停車で引っ張られた。  降りたことのない駅で、男の姿を初めて確認する。想像よりマシではあったが、好みではない。安価なスーツはくたびれていて、清潔感も無かった。鞄も使い古されて形が崩れている。靴もそうだ。そんな痴漢の男がこちらを値踏みするようにじっとりとした目で見てくる。  一回限りのつもりでいる。汚れてうんと下まで落ちきってみたい。愚かしい行動なのもわかっている。だがそんな風に求められる快楽を貪れば、夏川からの仕打ちへの不満と帳尻が合うような気がした。 「……少しの酒ぐらい奢るよ。発泡酒になるけど」  男は不安げに後をついてくるユキヒロを見て声を掛ける。金もあまり無さそうなのに、変な気配りをするものだと思う。実は真面目なのだろうか。思わず笑いが込み上げた。 「こういうの慣れてる?」 「まさか。怖かった。でもいいんだ……」  男はユキヒロの正面に立ち、すまないと言って謝罪を口にする。そして、君は可愛いからと下手に出て来る。  地上に出ると雨はまだ降っている。  ずっとずっと降り続ければいいとユキヒロは願った。 了

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