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第10話:そして運命は繋がる

 イヴァンたちはこれから他の仲間たちと一緒に周辺の見張りに回るとのことで、車から降ろして貰ったセイは、ゆっくりと別荘へと続く夜の森を歩いていた。  いってらっしゃいと見送ってくれたイヴァンは少し瞼が重たそうに見えたが、平気だろうか。まだ子どもなのだから、無理な夜更かしにならなければいいのだが。気にかけながら進む夜道は近くに大きな湖があるからか肌寒く、湿気の匂いに包まれている。  街灯が設置されていない道は月明かりだけが頼りで若干心許ないが、何度も行き来したことがある分不安は小さい。そんな場所を歩いていると、程なくして窓から明かりが零れる建物が見えてきた。  途端に、鼓動が踊る。  ――――中でエドが待ってる。  それだけで進む足は駆け足となり、止まらなくなった。 「エドっ!」  別荘の入り口まで辿り着くと同時に、勢いよく扉を開ける。 「セイ!」  顔を合わせた瞬間に身体が勝手に動いて、セイは衝動のままエドアルドの胸の中へと飛び込んだ。 「セイ、会いたかった!」  走り込んできたセイを、エドアルドは当然と言わんばかりに受け止め、逞しい腕で抱き締めてくれる。それから示し合わせたかのように互いの首筋に唇を寄せ合った。  一息吸い込めば、たちまち肺がエドアルドの香りで満たされ、全身が沸き立つ。続けて胸の奥底から焔のごとき激情が迸り、セイの頭は高熱に浮かされたかのように何も考えられなくなった。  いや、正確には一つだけ浮かぶ言葉はある。  エドアルドが愛おしい。彼の傍にいられるなら、もう他には何もいらない。目の前にある体温と一ミリだって離れたくないと、セイの指先までもが余すところなく叫んだ。  これが魂で繋がった番の、決して覆せない本能なのだろう。 「僕も……会いたかった」 「嬉しい。初めてセイの方から私を求めてくれましたね」 「うん……最初はエドと必要以上に会っちゃいけない、関係を深めちゃいけないって、いつも自分に言い聞かせてきた。でもエドを知る度に心が揺さぶられて、どうしようもなく惹かれる自分がいて……。だからエドと会うなってヴィーから命令された時は、身体の半分が引き裂かれたみたいに辛かったんだ」  血の掟やヴィートの怒りよりも、エドアルドの体温を感じられなくなることの方が怖い。いくら誤魔化そうとしても消えない思いを前に、運命の番の引力には絶対に抗えないのだと思い知らされたぐらいだ。 「私も同じです。貴方と会えない間は、生きているのか死んでいるのか分からなくて……セイと交わしたキスの温もりを思い出すことだけを寄り所にして生きる毎日でした」 「やっぱり僕たちは魂で繋がってるんだね」 「ええ、そうです。ですから何人たりとも私たちを引き裂くことなんてできません」  セイを深く抱き締めるエドアルドの背を同じように腕で強く包むと、愛おしさが込み上げてきて、思わずこのまま混ざり合って一つの個体になりたいとまで思ってしまった。 「愛しています。もう、一秒だって離れたくない」 「僕もだよ」  ほんの少しだけ抱擁を解き、額をくっつけ合う。 「このまま二人で一つになれたら、どれだけ幸せなことか……」 「ふふっ、奇遇だね、僕も同じこと考えてた。運命の番って、思考も似るのかな?」 「あり得ない話ではないと思いますよ。私たちのような関係は、未だ科学でも全て解明されていないほど特別なものなので、双子のように考えが似たり、シンクロしたり、という現象が起こっても不思議ではないかと」 「そっか、何かそういうのって素敵だね」  科学ですら紐解けない関係だなんて、その言葉だけで強い繋がりを感じられて嬉しくなる。ただ――――その嬉々に心が明るくなればなるほど、忍び寄る陰を色濃く感じた。 「セイ? どうしました、何か愁いに思うことでもあるんですか?」  気持ちが顔に出てしまっていたのだろうか、何かを感じ取ったエドアルドがこちらを不安そうに見つめてくる。 「ううん……別に……」 「…………ヴィート、のことですか?」  一瞬で見抜かれ、セイは続く言葉を失った。 「分かります。私もヴィートという壁をどう乗り越えるかばかり考えているんですから」  組織の頭脳と呼ばれるほどの知能を持つ二人が集まっても、こればかりは正解が掴めない。それどころか浮かんでくるのは、「もし二人がマフィアじゃなかったら」や「同じファミリーだったら」なんて現実逃避のたられば論ばかりだ。 「セイ、一つ聞いても?」 「うん」 「ヴィートとセイが生まれた時からの関係だということは、貴方自身から以前聞かせて貰いましたが、何故、彼はそこまでセイに執着するのでしょう?」 「執、着……」  エドアルドからの質問に、ヴィートの慟哭が浮かぶ。 「私が想像するに、昔からの仲だけではない何かが二人の間にあり、それがヴィートの激情を生んでいるように見えたのですが、間違っていますか?」  やはりエドアルドは聡い男だ。ヴィートが異常な執心の持ち主だということは知っていても、それ以外の情報を持っているわけではない。なのに原因が生まれとは別にあると気づいてしまうのだから。 「それは…………ううん、間違ってないよ」 「では二人に何が?」 「そうだね……前にも話した通り、昔からヴィートは僕が傍にいないと癇癪を起こす人間だったけど、今みたいに酷くはなかったし、言っても子どもの我儘に収まるものだった。多分、大きな転機となったのは、十八の時に起きた誘拐事件だと思う」 「誘拐事件っ?」  思いも寄らない真実がセイの口から出てきたことに、エドアルドは瞳を見開きながら驚愕を露わにした。 「うん、あれは僕とヴィーの両親が亡くなって、ヴィーが跡を継いだ直後のことだったんだけど、僕、自分の不注意から敵対するファミリーの人間に誘拐されちゃって……」 「攫われたのは、セイなんですかっ?」  エドアルドが双眼をさらに大きく開く。見る見るうちに真っ青になっていくその様子は少々大げさなぐらいに見えたが、それは当然の話だった。  マフィアの誘拐は、被害者が手酷い拷問を受けることが多い。敵の情報や弱みを手に入れるための暴行や陵辱なんて珍しくもないことだ。ゆえにあの日、自分が敵対組織に誘拐されたと知ったセイは、はっきりと己の命の終わりを覚悟した。  おそらくエドアルドも、そういった情景を頭に浮かべたのだろう。 「あの頃、僕も親の跡を引き継いだばかりだったから、まだマフィアとしての自覚が足らなくて、護衛も着けずに外に出ちゃったんだ」  当時のセイを言い表すなら、まさに未熟という二文字がぴったりだっただろう。自分は成人もしているし、車にも乗れる。それに近くの店に商品を取りに行くだけだからと、親や先代がファミリー間の抗争で命を落としたことをすっかり忘れ、安易な行動を取ってしまった。その結果が、攫われてしまうという情けない事態を生んでしまったのだ。 「僕を誘拐した組織はスコッツォーリが管理する権利書が欲しかったみたいで、僕と引き替えにそれを要求したんだ」 「そ、それで……」 「結果はヴィーが相手の行動の裏を読んで迅速に動いてくれたおかげで、僕はこの通り命を失わなかったし、酷い暴行も受けなかった。勿論、スコッツォーリも何も失うことはなかったよ。でも…………僕を助けに来た時にはもう、ヴィーは人が変わっていた」  当時の光景を思い出し、セイは視線を床に落す。 「昔は我儘ではあったけれど僕と同じように人の命に重きを置く性格だったのに、僕に危害を加えようとする人間に生きる価値はないって、相手組織の構成員を一人残らず……」  おそらく、両親を一気に失ったことも原因の一つだろう。組織の長として悲しみは表に出さないようにしていたみたいが、ヴィートは先代を失ったことに強いショックを受けていた。その傷が癒えぬ間にセイまで失いそうになったことで、ヴィートは一人になる恐怖に耐えられず、心を変化させてしまったのだ。 「それからなんだ、僕への執着がより強くなったのは……」  他人を信用しなければ、部下も信用しない、少しでもセイに近づこうとする者には容赦なく鉄槌を下す。傍から見れば異常と言われても可笑しくない人間になってしまった。 「だから、ヴィー相手に話し合いで解決するのは難しいかもしれない」  そう考えるのは、決して諦めているからではない。ヴィートへの説得は無駄であり、むしろ逆効果になる可能性が高いと知っているからだ。 「しかし、そうだからとセイのことを諦めたくはありません」 「勿論、僕だって同じ気持ちだよ。だから――――」  一度目線を下げ、セイは深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。  今から彼に告げる言葉は、途轍もなく重たいものだ。口にしてしまえば様々なことが大きく動いてしまうであろう。けれど、セイの中に形にしないでおくという選択はなかった。  顔を上げ、再びエドアルドを見据えたセイが、揺らぎのない瞳で言い放つ。 「エド、僕の項を噛んで」 「なっ、にを……」 「無茶なことを言ってるのは分かってる。でも、もう時間がないんだ」 「時間がない?」 「僕、ヴィーから次のヒートで強制的に番にするって言われてる。だから今回を逃すと……」  次に顔を合わせる時、セイの首には他の人間の所有印が刻まれている。そこまでは言葉にしなかったが、瞬く間に顔を怒りで赤らめたエドアルドを見る限り、すぐに理解したのだろうと察した。 「そんなこと許せるはずがありませんっ! 合意もなしに番契約だなんて、それじゃあ貴方のことを奴隷扱いしているのと同じじゃないですかっ」  いくら立場が主従関係だったとしても、番関係を強制することは許されない。エドアルドは強く憤るが、セイは静かに首を振った。 「普通ならね……。でもヴィーにはそんなこと関係ないんだ。僕の気持ちが友情以上のものになろうがならなかろうが、ましてや僕とエドが運命だろうが、ヴィーは宣言通り僕を番にするよ。でも、それは嫌なんだ……」  あの言葉が脅しではないと、今でも確信を持って断言できる。 「勿論です。希望しない相手との番契約は、項を噛まれて身体が変わろうとも苦痛でしかないといいます。私だってセイが他の人間に奪われてしまったらと考えると……いえ、考えることすらおぞましい。ですが……セイはそれで本当にいいのですか? 彼の許しを得る前に番えば……」  ヴィートの恐ろしさを知るなら、当然、結果も容易に想像できるはず。エドアルドはそう問いたいのだろう。 「勝手なことをしたらどうなるかは分かってるよ。でも……どうしても耐えられないんだ。エド以外の人間となんて。そんな未来しか許されないっていうなら僕は……いっそ死んだ方がましだ……」  きっとこの感覚は、運命と出会った者にしか分からないだろう。二人にとって対は人間に酸素が必要であることと同じように、生きるために不可欠な存在なのだ。 「だからお願い、僕の項を噛んで。貴方だけのものにして」  もう一度エドアルドの胸の中へと飛び込み、背を強く抱き締める。すると、拒むことなく深くまで受け止め、セイを優しい体温で包み込んでくれた。 「――――分かりました、貴方がそこまでの覚悟を決めたというのなら、私も心を決めましょう」 「エド……」 「セイ、私と番になってください」  耳元で甘く、そして熱く請われる。  勿論、答えは一つしかなかった。

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