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第3話

 昨晩、一人分だけ用意された夕食に首を傾げた俺に、総一は言った。 『お前は? 食わないのか』 『食えない事はないが、必要がない。お前が気になるなら……そうだな。僕はお茶でももらおうか』    こうした会話を経て、今朝も味噌汁を啜る俺の向かいでーー総一の用意した一人分の朝食を食べる俺と、総一はお茶だけを啜っている。  朝からしっかり朝食を摂り、家を出ようとする俺を総一は玄関まで見送りに来た。 「慌てて帰ってこなくたって、ちゃんといるから」 「ああ。そうだな……ちゃんと傘差して帰ってくるよ」 「そうしてくれ。ばあちゃんの見舞いも、行ってこいよ。日課だったんだろ」  総一に言われてハッとする。  何故総一が知っているのか分からないが、その通りだった。  先月、風邪を拗らせ肺炎で祖母は入院した。あれから度々体調を崩し、短い入退院を繰り返している。バイトもギリギリまでセーブして、授業が終わると祖母の様子を見に行くのが日課だった。 「唯一の家族だろう」 「うん……」 「またお前のばあちゃんに会いたかったな」  寂しげに目を細める様子に、俺は思わず「あのさ」と声を掛けた。 「総一も、一緒に来ないか。その……ばあちゃんの見舞いに。ばあちゃんも、お前の事好きだったし、喜ぶと思うんだ」  総一は一瞬瞠目し、そしてまた寂しげに目を細めた。 「そうしたいのは山々だけど……僕はこの家から離れられないんだ」 「そう……なのか」 「ああ。でも、ありがとう。ばあちゃんによろしくな」  そして今度こそ総一に見送られ、俺は家を出た。  ☂  見舞いの帰り、俺はバイト先に向かった。  最寄り駅近くの惣菜屋で、俺は高1からバイトをしている。両親のいない俺は店主夫婦によく可愛がってもらった。  昔から、よく廃棄前の惣菜を分けてもらった。今日は店の奥さんからメールをもらい、顔を出しに行く。  俺の顔を見るなり、思ったより元気そうだと奥さんは笑った。  それから一人じゃ食べきれない量のメンチカツと、日持ちするからと言って切干大根の煮物を保存容器に入れてくれた。  店を出て、既に総一が夕飯の支度をしている可能性に思い至る。  今の総一がスマホを持っているわけもない。  一瞬の逡巡の後、俺は家の固定電話に電話をした。  どうだろう、総一は出るだろうか。  5コール目で総一が出た。 「はい、水口です」  俺は思わずブッと吹いた。 「泰知か」 「うん、そう。電話、出るんだな」 「出ない方が良かったか? 何か用事があるから掛けてきたんだろう」 「うん。なあ、もう夕飯の支度してるか」 「いや。米を炊く準備はしてるが、冷蔵庫に何もない。このままだと夕飯はレトルトのカレーだぞ」  そいつはいい。好都合だ。 「メンチカツ貰ったんだ。お前も食べないか」 「ああ、良いね」  通話を切り、俺は歩き始めた。  片手には惣菜屋の袋を提げて。片手できちんと傘を差して。総一のいる家に。  惣菜屋の袋を見て、総一は懐かしむように目を細めた。 「まだこの店でバイトしてたんだな」  結局レトルトのカレーにメンチカツを乗せ、メンチカツカレーにして食べた。  メンチカツはサクサクで美味かった。  廃棄ではない、俺の為に揚げてくれたんだろう。  食べきれない分は冷凍し、煮物は明日の朝飯にしようと総一は言った。  こうしてまた、一日が淡々と終わろうとしている。  総一の用意してくれた湯船に浸かりながら、俺は雨音を聞いていた。ボツッ、ボツッと丁度風呂場の外に植えられた榊の葉を雨が打っている。  雨は、降り続いていた。  三日後の夜、と総一は言った。  明日の夜、雨は上がるのだろうか。  明日の夜、総一はいなくなってしまうのだろうか。    昨日の、総一の唇の感触を思い出そうとする。  しかし触れ合ったのはほんの一瞬で、どうやったってその感触を思い出す事なんて出来なかった。  あれっきり、総一は俺に触れてこない。  ☂  喉の渇きを覚え、俺は目を覚ました。  夜明け前、雨は降り続いている。夕食の味が濃かったからなぁ、と台所に向かいながら俺は覚えず微笑んでいた。  サクサクのメンチカツ、美味かったな。  俺の人生クソみたいだなんて思う事もあるけれど、こうして周りの人に支えられて生きている。  そう、俺は生きているのだ。  そう言えば、総一はどこでどうしているのだろう。  昨日も一昨日も、あいつがどこで寝るかなんて気にかけてやる余裕もなかった。  今晩、初めて「そう言えばお前はどこで寝ているんだ」と問いかけた俺に「気にするな。適当にやる」と総一は言った。   コップ一杯の水を飲み干した後、もしやと思い自室に戻る前、そこに向かう。  アジサイの咲く庭の前の縁側に。  やはりというべきか総一はそこにいた。  学ラン姿の男はそこに佇み、ただそこから外の様子を眺めていた。 「寝ないのか」 「眠る必要はないからな」  総一はこちらをチラと見た後、すぐに外に視線を戻す。俺はただ相槌を打って、同じように外の様子を眺めた。 「そういえば、ばあちゃんの様子はどうだった」 「ああ、元気そうだったよ。顔色も良かったし」  しかし、不安は残る。心臓が弱っているのだ。  目に見えて痩せたのが分かる。元々小さかった体が更に小さくなった。  どんどん、どんどん小さくなって、このままあの総一のように、ただのカケラになってしまうのではないか――。 「そうやって何でも我慢するつもりなのか」  ハッして総一を見る。  外を眺めていた目が、今はじっと俺を見ていた。 「言ったろ。お前の考えてる事はダダ漏れだ。なのにいつも辛そうに痩せ我慢しやがって。見ているしかできない僕の気持ちも考えろ」  我慢、か。  そうなのだろうか。自分ではそんなつもりはない。何でもって、一体どれのことなのだろう。  どうしようもない母親のせいで同級生にいじられてきた事だろうか。  同じ年頃の子のように遊べず、アルバイトばかりしていた事だろうか。  経済的な理由で志望校を受けることすら叶わなかった事だろうか。  お前の手を、取れなかった事だろうか――。  だがどれも我慢なんかじゃない。  仕方なかったのだ。  どれもこれも仕方がない、俺じゃどうしようもなかったのだ。  だけど、本当は。 「不安だ。ばあちゃんまでいなくなったらと思うと、不安で仕方ない。俺は一人になっちまう」  総一は黙って頷いた。 「お前みたいに、急にいなくなったらどうしよう……」  段々、呼吸が為難くなる。  喉の奥が熱い。  言葉を紡ぐ事も困難なのに、一言感情を吐き出したら、次から次へとせり上がってくる。  不安が、苦しみが悲しみが。 「総一はもういないんだ。この世のどこにも、もうお前がいないなんて……耐えられない!」 「先に離れたのはお前だろう、泰知」 「それはどこかで幸せに生きてくれてると思ったからだ! その相手は俺じゃなくたって良い。お前が、幸せなら……」 「それでお前は身を引くって? バカバカしいな」  感情的に吐き出した俺とは対照的に、静かに答える。  凪いだ瞳で俺を見つめ、しかしその瞳は確実に俺の欲を煽った。 「お前はいつも我慢してばかりだ泰知。欲しい物は欲しいと言ってみろ」  つくづく厄介な男だ、お前は。 「お前が欲しいよ、総一。今すぐに」

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