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零れた感情は溢れるばかりで、

 俺達の関係に名前を付けるとしたら、何になるんだろうか―― 「……弥彦くん。そろそろアレの時期だから、またしばらくの間お願いできるかな?」 「……分かった」  その日、皆が寝静まった深夜。京家の当主、京弥彦は自分の付き人であり、京屋きっての女形である、伊坂千景の部屋を訪れる。 「千景さん、入りますよ……」  少し躊躇いながら返事を待たず、弥彦は戸を開ける。どうせ今の千景は、まともな返事など出来ないのだから。 「ああっ……ふっ、んあっ……あっ、ああっん」  部屋の奥に敷かれた布団の上で、千景は着物をはだけさせ、涎を垂らし、処理しても処理しても収まらぬ熱に浮かされ続けていた。もうどれだけそうして収まらぬ自身の熱を扱きあげたのか。戸を開けた時に感じた、栗の花にも似た精液の鼻につく臭い。そして彼に近寄って分かる、自身を扱きあげすぎて腫れた亀頭に、何度も達した事によって失われそうな理性。今回はまだ、かろうじて目の焦点は合っている。 「……っ、千景さん。俺が誰か分かります?」  精液の臭いとは別に、千景がこうなっている時だけ強烈に香る、甘い匂い。まるで毒薬のように、この香りを嗅ぎすぎると理性が効かなくなる。全身が『千景を犯したい』と叫ぶのだ。 「……あっ……っ、やひ……こ……くん?」 「……っ痛!?」  千景は弥彦を認識するや否やダンっ、と弥彦を布団へ引き摺り倒す。  今しがた千景を見下ろしていたはずの弥彦は、一瞬にして千景を見上げる立場になる。 「……はぁっ……んんっ……あっ、はぁ……やひこ……く、ん……挿れさせて……っ」 「……なあ「駄目だよ」」  口を開きかけた弥彦の言葉を遮って、千景はもう一度言う。 「挿れてもいい……?」 「……準備、出来てる」 「うん……、ありがと」  もうほとんど理性なんて残ってないはずだろう。それでも、千景は頑なにそこだけは譲ろうとしなかった。 「あっ……くっ……んっ、んっ」 「はぁ……はっ、ああっ……ふっ……あっ」  この行為にもだいぶ慣れた。男の自分が〝挿れられる側〟という事に不満が無いわけではないが、それでも相手が千景なら良いかとも思う。以前千景に『何故、自分が下なのか』と聞いたら、千景の体質のせいで千景自身が〝抱かれる側〟になるのは無理なのだと言われた。千景のこの特異な体質については、外国で何やら研究されているらしいが、詳しい事は分からない。弥彦が知ってるのは〝千景に三か月に一度、発情期が来る〟という事だけ。それ以外はいくら聞いても教えてもらえない。自分で調べようにも、この日本において、そんな事例は発生していないようだった。いや、無い事はないんだろうけど、多分隠されている。実際千景がこうなっているのは、未だに千景と弥彦だけの秘密だった。  そもそもこんな事になったのは、千景が京屋の先代――つまり弥彦の父親が、千景を家に迎え入れ、彼を弥彦の付き人に指名してからだ。 ◇◆◇  あれは雪がしんしんと降りしきる、冬の寒い日のことだ。  弥彦の父親でもある歌舞伎座〝京屋〟の先代が、酒に酔って帰って来た事があった。普段は厳格な父親であったけれど、酒がまわると途端にその様は一変した。酒はその人本来を引き出すというし、これが彼の素なのかもしれないがそれは当時まだ幼かった弥彦には知る由もなかった。 「やひこぉー、土産があるぞー……ヒックッ……」  近寄っただけで分かる酒臭さ。親父は大きな演目を成功させるたびに、こうして飲み明かす。いつもは若い弟子達が親父を介抱しているのだけれど、その日は珍しく見知らぬ人物だった。 (……女……? いや……女にしては、身体つきが……) 「えっと……、怪しい者じゃないからお父さんの部屋、教えてくれないかな」  それが今や京屋の女形に欠かせない存在となっている、千景との初めての会話だった。『腕が限界なんだ』などと言う、弥彦の父親に肩を貸す千景の腕はぷるぷると震えていた。  後になって知ったことだが、千景は陰間茶屋で働いていたそうだ。歌舞伎界では度々、演目に欠かせない〝女形〟を育てるために顔の良い若い者をその手の茶屋に預け、修行させることがあった。そして、頃合いを見て身請けさせる。逆に元々男娼だった者を身請けして、女形に育てることもある。こちらは極稀なことだが、千景は後者だった。先代が、身内を引き取りに行った際、ついでに身請けしてきたらしい。  それから少しして、京家への正式な入門が決まると、千景は女形としての修行を積みながら、弥彦の付人も兼任するようになった。その人柄からか、千景はすぐに京屋の者達と親交を深めているようだった。 (……少し、羨ましい) ◆◇◆  今も昔も、〝京屋の息子〟その立場は、弥彦にとって重荷でしかなかった。大人たちは父親の機嫌を取るために、弥彦に構う。演技だって、まだまだ未熟な自分を皆が大袈裟に褒め称える。気持ちが悪い。陰では散々、弥彦の事を悪く言っているのだろう。そんな中、千景だけは弥彦に態度を変えなかった。 「なあ、千景さん。どうしてアンタは、俺に普通に接してくれるんだ? 他の奴らは、少しでも親父の機嫌を取ろうと必死だろ。なのにアンタは……」 「……私は若、あなたの付人ですから。それに元々の仕事がご存知の通りなので、これ以上何かを望んでは罰当たりでしょう?」 その千景の優しさだけが、弥彦の唯一の救いだった。 「今時……変わった人なんだな、アンタ。普通はだからこそ、上に行きたいと思うもんじゃないのか?」 「……おや、若に言われるとは心外ですね。あなただって、この世界で『出世したい』なんてこれっぽっちも思ってないでしょう」  見透かされていた――。大勢の大人達の前では、いくらでも取り繕えるのに。嘘を吐けるのに。 「……大丈夫ですよ、若。私以外、あなたの本音に気付いている者はいないでしょうから。旦那様ですら気付いていないでしょうね。先日も、嬉しそうにあなたの話をしていらっしゃいましたから。若も人が悪い」 「それ、誉め言葉?」 あれから二年―― 「弥彦くん、それ終わったらすぐ着替えて。次の演目が終わったらすぐに御贔屓さんとの会食。そのあとは「千景さん」」 「そんないっぺんに言われても覚えられないって」 「ああ……ごめん、ごめん」  『アンタだけは、俺にこれからも普通に接してくれ』いつだったか、弥彦は千景にそう言った。敬語も止めて、自分の事も〝弥彦〟と呼んでくれ、と。  千景が付人になってしばらく経った頃、彼のある習慣に気付いた。普段、千景が弥彦の傍を離れることはあまりない。お互い舞台に出る時や、稽古の時を除いて、大体千景は弥彦の傍にいた。けれど、三ヶ月に一度くらいの周期だろうか。千景が自分の傍を離れる時があった。それは時間にすれば、厠で用を足す程度の時間だったけれど、それでも少しばかり頻繁だった。 「……千景さん、アンタ具合悪そうだけど大丈夫か?」 「……ッだ、大丈夫。ご、ごめん。少し席外すね……」  弥彦から伸ばされた手から逃れるように、千景はその場からいなくなる。そして、しばらくすると何事もなく戻ってくるのだ。 ―今にして思えばあの時、違う選択をしていれば未来は変わっていたのだと思う。けれど、何かに突き動かされ、俺はあの日千景さんの後を付けたのだ―― ◆◇◆ 『……っ、はぁ……ぁ…ぅ……くっ』 「……っ!?」  稽古を終え、千景と二人で家に帰ってすぐのこと。そろそろあの時期だった。  弥彦の予想通り、千景は家に着くとすぐにどこかへ向かう。その後をそっとつける。着いたのは千景の部屋だった。いつもは用心深い千景だが、その日は部屋の鍵もかけず急いた様子で布団へ向かうとそのまま倒れこむように寝転ぶと、おもむろに自慰を始める。普段の千景なら、弥彦が後をつけていることくらい簡単に気付くだろう。それに帰宅早々慌てて厠ならまだしも、自慰など彼じゃなくとも少々不自然だ。彼にしては相当珍しく〝自分の事しか見えていない〟そんな状況が、千景の状態が普通ではない事の何よりの証拠だった。 「……んんんっ、ンッっ!」  千景は声を出すまいと必死になりながらも、決して操を勃てる手を止めない。思わず〝ゴクリ〟と喉が鳴る。 「…………」  無意識に足が千景の方へ向く。千景に近付く程、感じるのは〝甘い匂い〟。匂いに引き寄せられるように、弥彦は歩みを進める。 「あっ……や、やひこ……くん……なっ、……なんで!?」 「……アンタが……いつも……急いで行くから、気になって後を……」  千景の熱にあてられながら、弥彦はなんとか言い訳を口にする。別に間違ったことは言っていない。 「……悪い人ですね。ただ……、あいにくと……君とのんびり話をしていられる程、余裕はないんです……。来てしまったものは仕方ないですね……。けど、ちょうどよかった。一人で処理するには、少々きついんです……少し、俺に付き合ってもらいますよ……っ」 「……っ」  だんだん意識がはっきりとしてくる。はっと気付いたその時には、弥彦は千景に組み敷かれていた。 「痛く、しませんから……」  こちらをいたわる様な台詞を吐きながら、その瞳は間違いなく雄のソレで、彼から発せられるのは強烈な程の色気。弥彦は抵抗することもなく、千景に身を委ねる。理由はどうあれ、いつも余裕に満ちた表情しか見せてこなかった千景がこうなっているのに、興味が湧いたのと同時に、己の中に湧き上がる欲情に気付いたから――。 「ああっ……あぁ……っあ……ふっ、くっ……」  こんな事をするのは勿論初めてで、どうしたらいいのか、自分がどうしたいのか分からずに、弥彦は戸惑い自分を押し倒し、腰を振る千景から目を逸らす。 ◆◇◆ (いま……君に孕ませられるわけにはいかない……んですっ)  くらくらとする頭で、千景は僅かに繋ぎ止められている理性でなんとか自我を保つ。  千景が自分のこの他人と違う体質について知ったのは、京家に身請けされる少し前。たまたま来た、異国の客から聞いたのがきっかけだった。研究段階ではあるものの、千景の様な体質の持ち主は、男女構わず子を身ごもる可能性がある事。定期的に来る発情期を避ければ、身ごもる可能性は低い事――。 (俺のこれは……、その発情期……。だからっ、)  本当は今すぐにでも、弥彦のモノで貫いてほしい――。本当は後ろが疼いて仕方なかった。弥彦の体質が、あの時教えてもらったどの性に該当するのか分からないけれど、今京家は大事な時だ。そんな時に、世話になっている京家に迷惑をかけるわけにはいかない。 「……や、ひこくん……、あとで殴っていただいて構いませんからっ……、今だけは……おれの熱にあてられたと思って……目を瞑ってくだ……さいっ」 「……っ、はぁ……あ……くっ」  もう何も考えられない―。もう何度、千景の熱に貫かれたかも分からない。気付けば自ら千景に縋りついて、彼を求めていた。 「……ちかげ、さ……ん……もっとっ……あぁっ!? また……で、る……っ」

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