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第41話
"匂い"がした 嫌な匂いが
彼女から漂ったそれはおれの大事なものを端から順番に食っていく。
ぐらりと沸る頭で思った。
「おれの男を返せ、ソレはおれの龍だ。」
◯◯◯◯◯◯◯◯
「来ないな。」
「そうですね。きっとお忙しいのですよ。」
桃妃宮では既に着物を身に纏った桃李が姿見の前でくるくると身体を回していた。
薄い少しくすんだ様な桃色の着物の裾には、色とりどりの小さな扇や"のしめ"、と言われるリボン、それに丸く繊細な花丸紋が所狭しと描かれている。
クリーム色の帯には朱色の朱雀の羽が散りばめられており、背中には泰然と翼を広げる姿が描かれている。この刺繍を桃李はひと目見て直ぐに気に入っていた。
何か要望が有るか、と聞かれ"出来るだけ派手にしないでくれ"と言うのと他にひとつだけ可能ならば、とこっそり付け加えてもらえた。
ーー朱雀の刺繍を入れてみたい。
小さくて良いから、と言ったのだがまさか堂々と帯に描かれるとは桃李も思わなかったが、いっそ派手なくらいが良いのかも知れないな。
こうして帯を見て、触れて、そこにあると思うだけで腹が据わる。
騰礼の背負う四龍•朱雀の役目を桃李も共に背負おう。
そんな決意を何か形にしたかったのだ。
側で大人しく座る虎徹も、窮奇も不思議そうな顔でこちらを見ている。
「良いなぁ。」
「ええ、すごく良いですね。」
可愛い着物の割に小粋な帯が出来た。
この刺繍の意味に騰礼は気付いてくれるだろうか。
「きっと喜ばれますよ。」
鈴に励まされ、桃李はそっと片手で帯を撫でた。
その時、突如として荒々しく桃妃宮の扉を叩く音がした。お止め下さい、と制する護衛の声が桃李の耳に届いた。
「桃李様、わたしだ祝融だ。龍王様の許可は頂いていないが、至急御目通り願いたい。」
「祝融!?マジかよ、どうしたの」
まさか祝融が知らない訳がないが、
ここ桃妃宮の扉は騰礼の許可無しには誰であろうが入る事が禁じられている。
それが例え龍王の側近であったとしても、
例外は無い。
ーーおかしい。
桃李は微かに鼻を鳴らして違和感を覚えた。
彼女から微かに緊張と恐怖の"匂い"がする。
「桃李様、至急龍王様のお部屋へお越し願いたい。」
「何か有...っ、」
「緊急なのだ、わたしはこの扉から一歩も入らずとも良い。桃李様、直ぐにここを発ってくれ。」
彼女は何かを焦っている。
遮られた言葉を今度は鈴が言う。
「祝融。落ち着いて下さい、私が詳細な説明を求めます。」
「恐れながら鈴殿、それは道すがら御答え致します。ですから今は、一刻も早く御足労を願いたいのです。」
「桃李さん、どうされますか。」
どうされますか、だと。
そんな言葉で決断出来るほどの話か?
どう見えもそんな雰囲気じゃ無い。
監禁されたり、火事に遭ったり、次はこれか。
こんな緊張感を背負わなくちゃいけないのか。
良い加減、人間のキャパ超えてンぞバカ。
だが、世の中にはシュールなジョークをぶっ飛ばすガイコツだって居る。
鼻歌を歌って軽やかに杖を振っている。
そいつと同じジョークをおれだって飛ばせる。
ーあぁ、おれ人間じゃ無かったわ。
ちょっと笑える。
そう言えば祖父にちょっと嫁に行け、と言われてもう一年も過ぎている。
飲み会に行った帰りにまさかコスプレ集団に遭遇するとは思わなかったし、まさか自分が昔話のお姫様だった、なんて本当に笑うしか無い様な話だろ。
それでも、こうしてここまで来れた。
友康も鈴も、四龍も、祖父も祖母も大好きな人達が桃李を励ましてくれた。
「あーーあぁーーー…」
良いや。やろう。
難しくてもキャパ超えても誰かが味方でいてくれる。それが、分かっただけでもう今更だけど、桃李は腹を決めた。
やる事は分かってる。
やらなきゃいけない事も分かってる。
やれるのはおれしかいない。
おれがやって駄目なら、せめて誰かの糧となる事を願うよ。
血の気の引いた指でさらり、と帯を撫でる。
これだけで少し気分が良くなった。
ふぅと息を吐く、吸って整える。
桃李には、ひとつ確かめたい事があった。
更にもう一度、息を吐いて鼻から吸うその刹那、
ーーやっぱりだ。
"匂い"がした。
祝融が入ってきた時から気になっていた。
微かだが間違い無いそれは"穢れ"の匂い。
「虎徹と窮奇も連れて行こう、おれひとりじゃ心配だ。それと、祝融。急いでるんだよな。」
「あぁ、とにかく早く。」
「庭から虎徹に乗って行く。良いかな?」
祝融は一瞬、面食らった様な表情を浮かべたが勿論だと強く頷いてくれた。
「虎徹、窮奇こっちに来てくれ」
仙桃妃の"気"は別格で、最上に澄んでいる。
それは凄まじいパワーを備えた四龍をも満たせるチカラだ。
この"気"を取り込む事で、二匹は普段とは違う雄々しく逞しい立派な虎へと変化する。
「「ガウゥッ」」
「よし、行くぞ。」
虎徹には桃李と祝融が、窮奇には鈴を乗せて2匹の虎は大きな足四つ足で地を駆けていく。
秋の風を全速力で突っ切るのは寒かった。
普段の散歩ですら敵わない程の冷気が頰を鋭く切りつけてくる。
「今日龍王様は城下の者を含めた会議に出ておられた。その中で気になる報告を受けた。会議は早急に切り上げられた後、龍王様は様子見として現場に向かわれた。」
わたしもこの目で見た。
低く、恐れに近い声で祝融が言う。
「この、紅朱国の木が...枯れかけていた。」
ハッと息を呑む気配がした。
それは隣を駆ける鈴からで、桃李は前に聞いた祖父の話を思い出した。
木が枯れる、と言う事は"気"が枯れる、つまり心が枯れるという事。
地中深く根を張る木々は誰も感知できない時からじわじわと穢れに侵されていたのだ。
ーーその毒が今、騰礼を蝕んでいる。
そうだった。桃李の勘はよく当たる。
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