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男と男

 あっという間に教育実習期間も折り返し……今日最後の授業は高二D組だ。 「さて始めるぞ」  男子生徒だけの教室の乱れた机の間を、古典の教科書片手に朗読しながら巡回する。 「今日は伊勢物語二十三段だ」  教育実習の一番最初に任された朝のHRで、僕の声がざわついた教室に吸い込まれていくのを体感した。それはまるで自分の存在が抹殺される恐怖にも似ていた。だから声がかき消されないように腹の底からぐっと出す。もう二度と居場所のない惨めな思いをするのは嫌だ。 「では後に続いて『筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに』」※伊勢物語23段『筒井筒』  男子生徒の欠伸混じりの眠たそうな声が、雨の湿気を含んだ教室に曇天のように広がっていく。  やれやれ……伊勢物語なんて男子校ではウケないよな。しかもこんな空模様では気分も押し下がる。つい僕の方も生徒寄りな憂鬱な気持ちになってしまうな。 「じゃあ次は現代訳だ。ノートに取って」 「はぁい」 「井戸の井筒と背比べをした私の背は、もう井筒を越してしまったようだ。あなたに会わないでいるうちに」 「先生っ質問!」  窓際に座っている背の高い生徒が、すっと手を挙げた。 「何だ?」 「この二人って男女?それとも男と男?」  ドッと教室に笑い声が沸く。  黒崎という生徒からの質問に、少々たじろいだ。まったくイマドキの高校生って侮れない。 「……男女に決まっている。これは幼い頃、井戸の周りで遊んでいた幼馴染の男女の話だ。大人になり互いに顔を合わせるのが恥ずかしくなったが、男は心の中で女を妻にしたいと、女もこの男を夫にしたいと思っていた所に届いたのが、この手紙だったのさ」 「へぇ……でも男女とは言い切れないよな。それで女も返事したんですか」 「ん?あぁちゃんと返歌もある『くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずしてたれかあぐべき 』とな」 「それ、どんな意味ですか」  普段は窓の外ばかり見つめている黒崎が妙に熱心に聞いて来るのが不思議だった。そういえば……彼は陸上部に属していて最近は雨のせいで練習が満足に出来ないと嘆いていたな。  彼は高校時代の僕とは真逆の人間だ。あの頃の僕は部活動なんて以ての外、いつも一人で校庭を羨ましく眺めていた。 「先生?」 「あぁ悪い。現代語訳は『比べ合った私の振り分け髪も肩をとっくに過ぎました。あなた以外の誰のために髪を結い上げるのでしょうか』という感じかな」 「へぇハッピーエンドなら良かった!」 「まぁいろいろあるが最終的にはな」  そこでチャイムが鳴った。 「よし今日の授業はここまでだ。このまま帰りのHRに入ろう」  教育実習の一環としてこのクラスごと任されているので、HR後の掃除までが僕の担当だ。  それにしても放課後の教室は長閑な風景だな。生徒たちは箒でチャンバラごっこと、まだまだ幼く思わず笑みが漏れる。 「おいっふざけていないで、ちゃんと掃除しろよ」  するとさっき僕に質問した黒崎が、箒を片手に近づいてきた。  うっ……なんかコイツ妙な大人っぽい雰囲気だな。 「なぁさっき思ったんだけど、先生の声って可愛いよな」  はぁ?何でタメ口?  しかも僕より背が高い彼に、真正面からそんなことを言われて少し癪だ。 「何言ってるんだか。男の声が可愛いなんて気色悪い」 「えー酷いな。今日だって真面目に質問したのに」 「あれが?」 「そうだよ。もしかして男と男の可能性もあるよな。平安時代の人達もオレと同じ人間だったんだろう?」  オレと同じって、どういう意味だ?  揶揄われていると思い、相手にするのはやめて早々に教室から出た。 「先生っ待てよ!放課後の部活、見に来てくれよ!もうすぐ雨が止みそうだから」 「お前につきあってられるか!報告日誌を書くから職員室にもう戻るぞ」  強い口調で切り捨てながらも、心の中では激しく動揺していた。  黒崎の熱い視線が僕を真っすぐ捉えるもんだからドキッとした。  そんな目で見るな。  昔の自分と重なり心がざわついてしまう。  何で年下の生徒に動揺を?

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