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苦い思い出
「男と男か……」
かつて僕は、それに悩まされ続けた。
僕が高校生の時に恋した相手は担任、つまり笠井先生だった。大学を出たての先生は身近な存在で五歳程しか歳も変わらなかった。
中学から男子校育ちで中世的な顔立ちと細っそりとした躰つきのせいで同級生や先輩に誘われる事はあったが、その手の趣向には関心がなかった。なのに笠井先生だけは違った。僕の方から好意を持ってしまった。
体調不良の欠席が続いた放課後、追試を受けるために居残った教室の窓から校庭を眺めると、陸上部の顧問の笠井先生が、生徒と一緒に汗を流し走っている姿が見えた。
梅雨空の曇天なのに、先生の周りだけは生命力で溢れ輝いていた。
生き生きとした姿が眩しくて、憧れから恋が生まれた。
あの頃の僕は虚弱体質で、もしかしたら急な心臓発作で死んでしまうかもと悲観している節があった。
幼い時に大病を患い、心臓の冠動脈に瘤が出来る後遺症が残ったため、激しい運動を控える身上だった。更に心筋梗塞の発作を防いだり血管を詰まらせないように薬を飲み続け、定期的に心臓の精密検査を受ける日々だった。
治りたいという気持ちとは裏腹に成長と共に症状が悪化し、高三の夏休みにとうとう心臓の大手術を受けることになっていた。
手術の日程が決まってからは不安で眠れない夜を幾日も過ごした。誰かに縋りたかった。不安な気持ちを分かって欲しかった。
両親は僕を不憫に思い腫れ物に触るように扱った。素直な気持ちを吐き出せる場所がなく悶々とする日々だった。
「もっと……もっと僕の魂に、僕の命に直に触れて欲しい!誰か……」
もしかしたら笠井先生なら、僕のもどかしい気持ちを分かってくれるかもしれない。生命力に溢れた笠井先生の逞しい身体が羨ましく、あの身体に触れてもらいたいと願ってしまった。気付いた時には一番身近で一番生命力に溢れていた先生への思いが拗れていた。
手術を一週間後に控えたある日、僕は年賀状の住所を頼りに先生の住むアパートに向かっていた。先生の家は通学路を通り過ぎた先にあったが紫陽花の美しさなんて目に入らなかった。途中から雨に打たれ全身がびしょ濡れになってしまった。
インターホンを押すと先生が僕の身体を心配し、すんなりと部屋にあげてくれた。
「水嶋?そんなに濡れてどうしたんだ?とにかくあがれよ」
「……いいですか」
「もちろんだ。それより早く着替えろ。手術前に風邪をひいたらまずい。俺の部屋着でいいか」
「……はい」
僕は先生の目の前で濡れた服をゆっくり脱いだ。意識的に見せつけるように上半身裸になった。こんなやせ細った躰では先生のこと惹きつけるられないと思ったのに、先生は顔を赤くしてすっと視線を逸らしてくれた。
もしかして僕にもチャンスがあるのか。
借りた部屋着からふわっと先生の汗の匂いがして、その時点で変に身体が火照ってしまった。そんな僕を見つめる先生の瞳の奥も熱を持っていた。
「先生……」
それは仄暗い感情が交差した瞬間だった。
「水嶋……君の心臓の手術は来週だと聞いたが、ひとりで怖くないか」
その言葉がずっと欲しかった。
「先生、怖い……」
「それが当たり前の感情だ。その年齢で心臓の手術だなんて怖いよな」
励ますように隣に座り背中を擦ってくれた温もりに甘えたくて……先生を求めたのは僕だった。
先生の優しさに付け入ったのかもしれない。
先生のことを熱く見つめ、瞼を静かに閉じると、先生は戸惑いながらもキスしてくれた。
雨で濡れた唇に、先生の温もりが心地よかった。
僕にとってはファーストキス。
でもそれだけじゃ十七歳の欲情は止まらない。
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