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第5話 はい、こちら青鬼
嫁が可愛い。
嫁が可愛すぎて辛い。
けれど…
私は結婚したばかりだというのに既に離婚の危機に陥っている。
時折、この世界には異界からの客人が現れる。
我が嫁のイリヤもその一人だ。
客人は様々な界から現れる。
その現れ方でどのような界からの客人なのかおおよそ見当がつく。
嫁は天から落ちてきた。
嫁の出身地はチキューだ。
チキュー人は異世界にいく時には落ちるものらしい。
チキューはこの世界より上にあるようだ。
嫁も水溜まりに落ちたと言っていた。
モクセ人は地中から生えるし、メイオセ人は水から出てくる。タイーオゥ人は火から、他にも木の中から、カスェ人は花の中からと異世界に繋がる穴はどこにでもあく。
そんな異界人のなかでも、チキュー人は特異な存在である。
まず会話が成立する。
他の界の者は基本的に意志疎通が非常に困難だ。
チキュー人の特にニホン人は古来よりこの国の成り立ちに大きく関わっている。
とかくニホン人は同じチキューや他の異界からの客人と比べて柔軟性が高いのだ。
これに関しては異界文化に特化した知識の書物「らのべー」が大量にあるかららしい。
嫁もそのお陰で取り乱さずに済んだとも言っていた。
嫁との出会いは突然だった。
私の頭上にぽっかりと空いた穴から落ちてきた嫁を私が受け止めた。
それが出会い。
受け止めたその体は羽のように軽く、鬼人の中では小柄な私でさえ軽々と抱き上げられた。
自分より大きな女性か同じくらいの大きさの女性を横抱きにできる筋力が無いことに劣等感を抱いていた私はまるで小鳥のように小さく軽い異界人に酷く驚いた。
私が抱き上げられるのは幼い甥と姪くらいなものだったが、最近甥が重くなって抱き上げるのが辛くなり…
これでは奇跡的に嫁をもらっても腕に抱いて家の門を潜る前に落としそうだと、深刻に悩んでいた。
結婚式の後、新居に行くまでに抱いた妻を落とした男は落妻者の不名誉を与えられ離婚される恐ろしいしきたり。
とはいえ、そもそも私の嫁に来るようなもの好きなど居ないので余計な心配事ではあったのだが…
全てを諦めるにはまだ私は若く、だが、ありもしない希望にすがるほど夢想家でもなかった。諦めるために一つ一つ己で希望を潰していく、そんな日々。
だからこそ、抱き留めた異界人の小ささと軽さに驚愕したのだ。
少なくともこの子ならば、家に入る前に取り落とすなどという不甲斐ないことにはならないだろうと。
その瞬間、誰かと共に老いる未来を諦めるための理由を一つづつ積み上げていた自分が、性懲りもなく希望を抱いたのは確かだった。
私の腕のなかにすっぽりと収まった愛らしい黒い小鳥のような異界人は「イリヤ」と名乗りその出会いのせいだろうか、随分と私になついた。
「ニオアさん」
私を呼ぶ声は機嫌の良い猫の鳴き声のように愛らしかった。
しかし、その愛らしさに多くの鬼人が惚れに、惚れた。
鬼人は小さく愛らしいものに滅法弱いのだ。
小動物じみた愛らしさのあるイリヤは鬼人の好みをすべてよせ集めたような存在で…
己に自信のあるもの達は挙ってイリヤに求愛をした。
見事な美しい丸角が自慢の近衛兵。
鬼らしい肉体美を誇る兵達、滑らかな爪の美鬼女、鋭い瞳をもつ美形揃いの皇子達もイリヤの愛らしさに心奪われた。
しかし、イリヤはそんな鬼人達にとって憧れの存在である彼らを尽く袖にした。
いや、袖にしたというのは語弊がある。
イリヤは彼等が現れると一目散に私の後ろに隠れ、背中にしがみつき、瞳に涙をうかべ
「ごめんなさいぃぃ~」
と情けなく謝るのだ。
何故私の後ろで…と思わなくもなかったが、恐らくイリヤにとって私は隠れるのに最適な岩や壁のような扱いだったのだろう。
どんな理由にせよ頼られるのは嬉しい。
たとえ、イリヤが居ない場所で様々な嫌がらせに遭おうとも。
唯一、後悔する点があるとするならば、震えながら私の後ろから顔を覗かせるイリヤはとんでもなく愛らしいと評判だったが…
岩役の私はその姿を見る機会がなかったという点だろうか。
長年、鍛練所に剣技の型の確認のために導入したいと申請しては壊れやすいために却下されていた大きな姿鏡の購入費に認可の判を押したのは、せめて一度でいいから鏡のある場所で私の後ろで隠れるイリヤを見たい。という個人的な下心からくるものではない。
断じて違う。
全くの偶然である。
日々イリヤに言い寄る男が増えていく事態を鎮静化するべく王は速やかに相手を定めよと通達を出した。
つまるところ早く結婚をして身を固めろということだ。
それはイリヤがこの世界に落ちてきて3ヶ月も経っていない頃だった。
その告示があった直後から一層熱を上げて殺到する鬼人達からイリヤは泣きながら私の後ろに逃げて告白を断っていた。
そんな日々が数日続いた頃、イリヤは、私の目前で累々と膝をつき、涙にくれる鬼人達の前で珍しく私の正面に立って私を見つめ…
「ニオアさんだけは…僕に結婚の申し込みをしてくれないんですね…」
と悲しそうな顔をした。
その瞬間…私はその場の全ての鬼人を敵に回した。
私は殺気溢れるその場から待避するべくイリヤを横抱きにし家まで連れて帰った。
逃げ足だけは速いと揶揄され続けてきた私だが、その逃げ足に感謝したのはこの時が初めてだった。
選ばれる可能性は無いと知りながらイリヤのために用意していた新居の扉を蹴り開け、新品の椅子にちょこんと座らせれば、物珍しげに辺りを見回す姿が非常に愛らしかった。
私はそのままイリヤの隅から隅まで舐めしゃぶり…
たかったが、流石にいきなりそれはまずいだろうと、煮えきった頭でも解っていたのでぐっとこらえた。
突然過ぎる事態に洒落た言葉など浮かぶわけもなく、私は座るイリヤの前に膝をついて、
「好きだ」と伝えるのがせいっぱいだった。
目の前で真っ赤に頬を染めたイリヤの感情が怒りや不快感ではなかったことにほっとしたが…
喜びなのかどうかは私にはわからなかった。
けれど、涙を浮かべるその瞳が私を、私だけを写していることだけは確かだった。
そして、イリヤの表情が嫌悪に歪まないことに後押しされ伝えてしまった。
「私と共にこの場所で新たな家を作らないか?」
家を失ったイリヤに安らぐ場所を与えたかった。
それは結婚という形ではなくてもいい。
ただ、共に支え合えれば。
友人でも、仮そめの家族でもなんでもいいと。
結局のところ、否と言われた時のために逃げ道を用意する卑怯な男なのだ。
けれど、イリヤはそんな私に小さくかすれた声で「はい」と答えてくれた。
そして、「ニオアさんのお婿さんにしてください」と自ら胸に飛び込んできた。
そこは嫁にしてくれ。
と内心思ったがそれを理由に結婚話が流れるのも困るので敢えて訂正はしなかった。
それから先はただひたすら愛している、きれい、かわいい、大好き、愛してる、好きだ、と延々繰り返しながら唇で、舌でイリヤを隅から隅まで味わいつくした。
とろとろに溶けて「にーぁさぁんっ」と回らぬ舌で呼ぶその声がどんな声よりも可愛くて止められず延々と貪った。
婿ではなく嫁だと気付いてくれと願いつつ。
しかし互いの体格差はいかんともし難く、イリヤの心身共に結ばれるのはそれから少し先のこととなった。
舌と指で腰も立たずくたくたになったイリヤに「責任を取る」と言いはり用意してあった婚姻届に判をおさせた。
「用意周到過ぎるよ!?」
と叫ぶイリヤだったが…そもそも用意していた訳ではなかったが、その勘違いはそのままにした。
婚姻届は、そんな未来は来ないと思いながらも、私とイリヤの名前を書き入れた婚姻届を勝手に作って、引き出しの奥底にこっそりとしまっていたものだ。
疲れた時にその引き出しをあけ、並ぶ文字を愛で、ひとりで一時の幸せに浸る…という非常に女々しくも虚しいものだった。
まさかそれが役にたつ日が来ようとは微塵も思っていなかったのだが。
そして翌日、私は婚姻届けを出した。
そして、私が帰宅してから目覚めたイリヤにあちら風のぷろぽおずなるものをした。
「お前の作る味噌汁を毎日のませてくれ」
そう言ってイリヤの左の薬指に指輪をはめた。
イリヤは驚いたあとぶふっと笑った。
「くくっ…お味噌汁…」
くくくっと笑うイリヤに私は途方にくれたが目尻の涙をぬぐいながら
「古式ゆかしきプロポーズですね…じゃあ僕はお味噌汁をちゃんと作れるようにならなくちゃ…」
と嬉しそうに言うイリヤを再びベッドに沈めたのは仕方の無いことだろう。
そして、私は半ば…いや、かなり強引に、ほとんど騙し討ちのようにイリヤと結婚した。
だから……
なのだろうか。
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