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第1話 過去からの招待状
モバイルに送られてきた一通のメール。その差出人名を見るなり思わず眉根を寄せてしまった。
――高瀬芳則 。
忘れもしないそれは、自身が現役ホストだった頃に枕営業として身体を重ねたことのある男だったからだ。
雪吹冰 は、一瞬そのメールを開くことを躊躇った。
今更何の用があるというのだろう、どう想像しても、いい方向性のことであるはずがないと確信があった。
当時、冰は源氏名を『波濤』として新宿歌舞伎町にあるxuanwu というホストクラブで働いていた。不動のナンバーワンホストとして君臨してきたが、前経営者の粟津帝斗 から後継を望まれたことをきっかけに、今は現役を引退し、代表としてこの店を経営する側の立場となっている。
メールを送ってきた高瀬という男は、当時の数ある顧客の中でも太客といわれる上得意であった。ホストクラブに通うにしては珍しい男性客ではあるが、そんな彼と店がハネた後のアフターと称して、幾度となく深い関係を結んだのは事実だ。
だが、冰がこうした枕営業をしていたのは決して営業成績の為ではなく、彼にはそうせざるを得ない苦渋の理由があったからだった。
冰は国内では有数といわれる程の財閥の御曹司として生まれたが、母親が妾だったことで、親元で暮らすことは許されなかった。彼には腹違いの兄がいて、名を菊造 といった。――つまりは本妻の嫡男であるわけだが――その菊造から、父親を奪った妾の子供という理由で疎まれ、慰謝料と称して毎月多額の現金を要求されていたのだ。
その工面の為にホストという仕事に就いたものの、通常の稼ぎだけでは到底足りずに、苦渋の末に選んだのが同性相手に色を売るということであった。
菊造からの金の無心は容赦なく、冰にはこの高瀬の他にも身体を売っていた男性客があったが、彼らの殆どは冰が現役を引退したと同時に綺麗さっぱりと縁を切ってくれた者ばかりだった。つまりは相手側にとっても、ひと時の遊びであったということだろう。それは苦い過去を思い出したくない冰にとっては、たいへん有り難いことでもあった。
高瀬はそんな客たちの中の一人だったが、正直なところ、当時から冰はこの男が苦手だった。理由は彼の性癖が少々変わっていたからだ。
高瀬は、最初の頃こそ非常に紳士的に接してくれていたものの、関係を重ねるにつれ、次第に本性を見せ始めていった。
騙し討ちのようにして淫猥な薬を盛られ、一晩中嬲 られたこともある。縛られて恥ずかしい格好をさせられ、それを満足そうにニヤニヤと凝視されたり、時には強姦 まがいのプレイがしたいと言い、手加減はしつつも殴られたりしたこともあったくらいだ。
だが、金の面だけは糸目を付けずに、他の誰よりも高額で買ってくれるこの男と縁を切ることも出来得ずに、当時は酷く苦しんだものだった。
身震いのするような苦い経験であったが、ホストを引退し、代表に就任してからはパッタリと連絡も途絶え、冰の中では既に過去の思い出したくない記憶として、引き出しの奥底にしまったはずの終止符であった。
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