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1:『そういうもの』
野山陸には恋人がいる。
放課後のホームルームを終えた彼が廊下を出ると、陸と同じ制服を着た細身の少年が待っていた。
「君の担任は無駄話が好きだな」
少年は呆れたような声で言って縁のない眼鏡を不機嫌に押し上げた。切れ長の目が陸を捕らえる。
少年は三井桐崇 。彼こそが陸の可愛い恋人であった。
陸は笑顔を浮かべて軽く謝った。
「ごめんな、桐崇。行こう」
付き合ってまだ三ヶ月。手も握っていない、清い関係である。
最近、ようやく下の名前で呼んでくれるようになったばかりだ。
(セックスに持ち込むまで五年ぐらいかかりそう)
桐崇は不機嫌な顔のまま、先に歩いていってしまった。
桐崇はいつまでも陸を待つのに、合流すると先に歩いてしまう。
今まで不思議に思っていたが最近になって、皆の前で並んで歩くのが恥ずかしいのだと分かり、桐崇がいいと思うまで先に歩かせている。
桐崇はだいたい下足室あたりから、態度を軟化させてくる。学校ではろくに目も合わせてくれないのに、家が近づいてくるほど、桐崇は甘えてくる。それがたまらなく可愛かった。
下足室を出ると、陸はようやく桐崇の隣に並んで歩いた。
「今日さ、帰りにマルドに寄ろうよ」
ファストフードに行こうと言う陸の提案にも、桐崇の表情に変化はない。
「もうすぐテストだろう」
「じゃあ一緒に勉強しよう」
「君はいつもそう言ってすぐサボるじゃないか」
「はは、バレた」
陸は笑いながら、桐崇を見た。彼は無表情だったが、陸の目にはどこか嬉しそうに見えた。
「りっくん〜」
陸は自分の名を呼ぶ声に振り返った。同時に桐崇も陸から距離を置いた。
陸には知人や友人が多い。
『人気者の君が、僕と付き合ってるなんて知られたら、色々と不便だろう』
陸がどんなに否定しても、桐崇はそう言って、誰かが来るたび、陸から離れる。
陸を呼ぶ人物は校舎からこちらへと走ってきた。高校生と呼ぶには顔も体も幼い少年である。
「ユウ」
田宮悠 。陸の二つ年下の幼馴染である。ユウは陸の元まで来ると人懐っこい笑顔を浮かべた。
「校長先生が、りっくん探してたよ」
「校長が?」
特に思い当たることがなく、陸は首をかしげたが、直後に校内放送が響いた。
『三年二組、野山陸くん、至急校長室まで来てください』
「げ、マジだ。ありがとうな」
陸がユウの頭を柔らかく撫でるとユウは嬉しそうに笑った。彼と別れると遠巻きに見ていた桐崇が近づいてきた。
「彼と仲がいいの?」
「あぁ、家が隣なんだ」
「だって、彼……、オメガだろ?」
桐崇が言いにくそうに言った。
陸たちの通う公立高校の生徒は、ベータばかりである。ベータ限定ではないのだが、アルファやオメガは、専門の高校に行くので、結果的にベータしかいないだけだ。無論、陸も桐崇もベータである。
そんな中で、オメガであるユウは確かに異端であり、浮いた存在であった。
「それがどうしたんだ?」
陸はきょとんとして、桐崇に聞き返した。
陸には性別の重要性がいまいち理解できない。アルファだろうと男だろうが、大切なのはその人間性と考えていた。
陸の様子に桐崇は珍しく感心したように頷いた。
「君はすごいな。僕はどうしても『そういうもの』に囚われてしまう」
指で顎を掴んで桐崇は少し考え込んでいた。
桐崇だって、普通の人が『そういうものだ』と吐き捨てて目をそらすことに、いちいち立ち止まり、悩む。
付き合おうと言った時も、男同士のベータが付き合うなんて変だって随分悩んでいた。
陸は、桐崇の自分が受け入れ難い価値観に、悩みながらも理解しようとするところが好きだった。
陸は桐崇がそれ以上考え込まないよう、わざと茶化すように桐崇の耳元で囁いた。
「……もしかして、妬いた?」
「馬鹿、早く行ってこいよ」
相変わらず冷たい態度の桐崇に、陸は苦笑を浮かべながら、校舎へと戻っていった。
※※※
「君はアルファだ」
校長室で陸が告げられた言葉はあまりにも衝撃だった。進学用に提出する性別検査に陸の性別がアルファと出たらしい。陸は困惑して反論した。
「あり得ないですよ。だって、俺の両親もベータだし、小学校の時に受けた検査でもベータだったのに」
「わかっている。こちらも何かの間違いではないかと何度も検査したんだ」
二人は校長の前に並べられた書類に目を落とした。そこには確かに陸の名前の隣にアルファの文字が刻まれていた。日付が違う三枚の書類。それは、三回検査した事を意味している。
「突然転化したのか、もしくは今までの検査が誤っていたのか……。確率的には後者が有力だが。とにかく今の君の性別は、アルファだ」
校長は陸の目を見て、静かに言った。
「こういう場合は転校する事も出来るのだが、まずは君の意見を聞きたくてな」
「転校はしません。今まで通り、生活します」
陸は宣言すると、校長は納得したように頷いた。
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