5 / 5
第一章・白虎の燥⑤
例えば一滴の涙が落ちて仕舞えば続く涙を止められない様に。
夜空から昂然と見下ろす月の光を受け、敦は四つん這いに身を起こし床に手を着く。そう、目前には獲物が居た。
「太宰さん……」
敦の呼び掛けに太宰が視線を送るより少し速く太宰の目前に敦の腕が置かれる。只の腕、拘束力のあるものでは無い。其れでも此のたった一本の腕で太宰は自らが予想し得る最悪の結果を引き当てた事に気付く。
続いて下りて来る頭部。荒い息遣いと共に近付く其れは先端を細くした舌先で位置を違う事無く太宰の耳孔へと進む。
「……ッ、」
耳の中で直接響く水音に太宰は敷布を掴む。想像は自由だ。匂いを嗅ぐ事も、気分は害するが灰色域だろう。では直接的な接触となる耳は。何処迄が赦され、何処からが赦されぬ事なのか。
目前に着かれた腕は肘を折り、二人の空間が縮まる。併せて耳許への愛撫は続き、厭が応にも直接の刺激が有る耳許へと意識が奪われれば敦の其の腕は太宰の胸元を弄り、寝間着の裾から地膚に触れる。
怯え乍ら、其れでも明確に敦の指は太宰の肌をなぞり上げ胸元を探る。敦の興奮同様に太宰も緊張から心臓の鼓動が通常時より多く打つ。「いけない」と心の中では思っていても、其の先の未来に起こる【幾つか】の結末が太宰の脳裏に浮かんだ。
「……駄目だ、止め給え敦君」
敦を止める事による未来が太宰には見えなかった。太宰の胸元に自らの白濁を塗り付けた敦は、其の手を滑らせ下腹部へと伸ばす。寝間着の脚衣は前立てが在るような上等な物では無く、腰護謨との間に手を滑り込ませれば簡単に脱がせる事が出来る。敦は不器用な手付きで下着の中へと手を滑り込ませ太宰の雄を緩く握り込む。同時に双丘に腰を押し付けて前後に動く。
「敦君ッ! 敦君……!」
太宰が背中を向けて居た状態から敦を振り返ろうと身を返した時、月明かりに照らされた敦の顔が太宰にもはっきりと見えた。
――敦は泣き乍ら笑って居た。
「御免なさい、御免なさい太宰さん……」
太宰は其の敦の顔に何時かの誰かを重ね硬直した。敦は太宰の脚衣と下着を腿迄下ろすと慣らしても居ない其処に反り勃つ己を押し付ける。
――「止める」という選択肢。回避出来ない此の流れ。云うは易く行うは難し。あの瞬間から敦の脳裏に強くこびり付いた其れは今待ちわびた此の瞬間の為に向かって居た。
躊躇いがちに向けた視線、決して軽蔑を含んでは為らない。
――善いのだよ、君が望むなら。
――此の選択肢は変えられないものだから。
太宰は肩の力を抜き、仰向けに敦を見上げる体勢の儘両腕を伸ばす。
「……おいで、敦君」
目を大きく見開いた儘、敦は太宰に誘われる儘躰を太宰へと寄せる。後悔と歓喜に満ちた複雑な表情を浮かべ、太宰の中へと飲み込まれて行く熱棒に時折窮屈そうに息を吐く。
「……御免なさい……御免なさい」
「んっ、……もう、謝らなくて善いから……ッ、ぁ……」
謝る言葉とは真逆に敦の欲は太宰を繰り返し穿つ。泣きじゃくる子供をあやす様に太宰は背中をそっと撫で時折爪を立てる。
太宰の頭の中には逆回しに映像が流れた。時折とはいえ国木田の性欲処理を担って居た事。そして更に其の奥にある『恋仲』と称される存在の事を。
国木田との行為に際し、後ろめたさ等一切持っては居なかった。お互いに其れが処理の為であると割り切っていたからだ。然し敦は如何だろうか。処理を処理と割り切れず、其れ以上の物を求めて仕舞う場合、誰かが傷を負う以外の解決策は存在しない。
――御免ね。
太宰は窓の奥から黙って見詰める月に視線を馳せ心の中で呟いた。
ともだちにシェアしよう!