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第一章・白虎の燥④

 明確な叱責が有った訳では無い。国木田からでは無く太宰からの口頭注意が最大限の譲歩だったのだろう。公に出来る物では無いから秘密裏に自制するようにとの配慮だった。取るに足らない小さな失敗、気に病む必要も無い程度の事ではあったが、敦の心には強い衝撃であった。  風呂上がりの太宰は柔く石鹸の香りを漂わせ、碌に髪も乾かさぬ儘煎餅布団へと転がった。ふわりと漂う其の香りが敦の鼻腔を付いた時、敦の利き手は自らの下肢へと伸びる。  其の僅かな衣擦れの音は太宰の耳に届くも、武士の情けと太宰は貍寝入りを決め込む事にした。 此れは一時的な衝動で男ならば誰もが一度は通る道。敦にとっては其れが今で偶々其の対象が自分であったというだけで、気が済めば其の内治まる生理的な現象。其の切欠を作って仕舞った事に負い目を持って居た太宰は敦との同居を受け入れるしか無かった。 「……ッ、……ぁ……」  布団に口許を押し付け限界迄気を使って抑えられた声。其の気遣いが鏡花に対しても出来て居たならば此の様な事態は迎え無かっただろう。  太宰が本当に寝ているのか、敦にとっては如何とも善い事だった。欲しいと求めて仕舞う衝動に手淫の速度は上がり、其れでも未だ何かが足りないと誘われるように甘い匂いへと近寄る。まるで猫に木天蓼というかの様に敦を強く惹き付ける其の芳香は石鹸の匂いに紛れ太宰から発せられて居た。  太宰が気付いたのは其の時だった。只目蓋を落とし仰向けの儘意識を霧散させていた。視界を落とす事で其れ以外の感覚が鋭敏に機能する。だからこそ気付いた自らに近付く気配を。相手の行動すら意識を集中させれば手に取るように解る。敦は恐らく吐息が掛からんとする程近い真横に接近している。ひたすら何かを嗅いでいるようだった。欲情した雄の吐息に睫毛一本動かさぬ儘平静を保った。 「んっ、んん……」  くぐもった声と収縮する筋肉の音に敦が達した事に気付いた。敦にすら気付かれぬよう太宰は安堵から胸を落とす。編綴の無い寝返りを装い敦に背を向け肩迄布団を掛ける。 「――手を洗っておいで」  制止の言葉すら無かった太宰からの言葉に敦の瞳孔が小さくなる。此の何処迄も優しい先輩は口頭で注意を与えた後、敦が自らの意志で過ちに脚を踏み外さぬ事を見守って居たのだ。残念乍ら其の願いは叶わなかったものの、当人を前に行う事がどれ程対象に厭な思いを抱かせるか、身を持って学んで欲しいと願っていた。  昨晩自慰をしていた事が太宰や国木田に知られて居るという事は、当然敦の対象が太宰である事も太宰本人は気付いて居るだろう。其の上での同居は多少の抑止力を考えた上での采配であっただろうが、其れ処か今本人を目の前にして行って仕舞った失態。三度目に間違えなければ善い、そんな考えを敦は持ち合わせては居なかった。  窓から月明かりが差し込み敦を照らす。  ――後悔の無い選択を

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