8 / 21
先き立つ者 7
「抵抗しないのか?」
「……」
「まあ、どうでもいいけど」
俊幸が無反応を返すと、雪耶は覆いかぶさっていた上体を起こし、押さえつけていた手首を解放した。
「俺は理由を聞きたいだけだ。あんたがそれを話してくれたら、俺はもう消えるから――」
「悪かった」
ゆっくりと上体を起こし、掴まれていた手首をさすりながら、俊幸は謝罪の言葉を口にした。
「俺は最低の父親だ……いや、もうお前の父親と名乗る資格すら、持ち合わせていないが……」
「答えになってない」
雪耶の瞳に再び怒りの火が灯る。凄味を帯びたその声に、自然と肩が竦む。居たたまれなくなり、視線を下げ、掴まれた痕が残る手首を見つめていると、突然雪耶の腕が伸び、それを取られた。
「これは何だ?」
左腕を掴まれ、手首に刻み込んだ傷痕を見られる。
「死ぬつもりだったのか?」
「……生きる意味があるのか?」
晒された痕から目を背け、俊幸は淡々と答える。実の息子に手を出してしまった後悔は、何よりも俊幸自身を苦しめた。その後悔の果てに選んだ道が、自らの手でその生涯を終わらせること。結局死にきれずにこの年まで生きてきたのだが、その思いは今でも変わらない。
「そうだ、お前は俺を恨んでいるだろう。いっそのこと、俺を殺してくれないか?」
いまの俊幸にとって、それこそが最善の答えだと思った。
「殺してくれ、だと?」
「ああ、そうだ……お前の手で、俺の人生を終わらせてくれ……」
「……ふざけんなよ」
俊幸の左腕を掴む雪耶の手は、怒りに震えていた。唇を噛み締め、今にも泣き出しそうに目元を歪めている。こんなに感情的になるほど、雪耶は俊幸のことを意識していてくれたのだろうか。たとえそれが憎しみの感情だったとしても、悪い気はしなかった。
だが、俊幸が楽観視できたのはここまでだった。
「二度と俺の前でそんな口きくんじゃねえ……っ」
悲痛な叫びを上げた雪耶は、そのまま俊幸の腕を引っ張り、居間から出て寝室へと連れこんだ。突然のことに動揺した俊幸は、ろくな抵抗もできなかった。雪耶は畳に転がるゴミを足で払いのけながらずかずかと突き進み、敷きっぱなしの布団の上に俊幸の身体を放り投げた。
「う……っ」
勢いよく着地した衝撃で辺りに埃が立ち昇る。それらを思い切り吸い込んでしまって、俊幸は俯せたまま何度か咳き込んだ。
その間に雪耶は一度部屋から出て、戻ってきたときには手にビニール紐の束を持っていた。先日、古新聞をまとめる時に使って、そのまま放置していたものだ。
「なあ、鋏はないのか?」
「……え」
雪耶の意図がわからずに、間の抜けた返答をしてしまう。
「切るものはないかって聞いてんだよ」
刃物類は鋏を残して、すべて処分してしまった。しかし今更その理由を口にすることはできない。自殺したくても死にきれなかった過去を嘲笑われるのが怖くて、俊幸はただ、首を左右に振ることしかできなかった。
ともだちにシェアしよう!