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第1話

 今年の春、大学を卒業して就職した。Webサービスやアプリの開発などを手がける会社だ。設立してから十五年ほどだけど、知らない人はいないというほどのアプリも開発している、実績は確かな会社だ。  夢の社会人生活。入社式で見た、御歳五十三のダンディーな社長、その甥で企画部部長の長身イケメンな白鳥凰児(しらとりおうじ)さん、これまた長身イケメンなマーケティング課課長の元木陽(もときあきら)さん。あんなふうに、いかにも“デキる男”になってやる! …そう、意欲に燃えていたはずが。  入社式の翌日から二週間行われる新人研修は、地獄としか例えようがなかった。教官は全員スパルタで毎回課題を出されるんだが、課題が間に合わなかった奴はもちろんのこと、ダメ出しをされた奴もできあがるまで居残りをさせられる。講義前には社是の朗読。最終日にはその社是を暗唱させられる。間違えた者は、覚えるまで何度も繰り返させられる。  特に厳しかったのはマーケティング課の課長、元木陽教官。効率が悪いだのバイト感覚で来るなだの、字が汚いだの姿勢が悪いだのと怒鳴る。入社式のときには、笑顔がかっこよくて眼鏡とスーツがよく似合う、整髪料でオールバックにした髪も清潔そうで、女子にモテそうな雰囲気だったのに。あれじゃあ、女子には絶対モテない。女の子にも怒鳴って、講義中に泣かせてしまうんだからな。  僕だって酷く怒られた。講義後に呼び出されて。 「灰田睦彦(はいだむつひこ)、お前はK大の情報学部で四年間も一体何をやっていたんだ! バイトと同好会で明け暮れていただけなのか?!」  元木課長が出した問題集、コンピューター関連の専門用語を説明するという課題だ。僕は自信を持って書いたけど、三分の二ほどしか正解していないと怒鳴られた。元木課長の基準では、九十点以上は認められないそうだ。  唯一の救いは、たまに顔を出して激励に来てくれた、企画部の白鳥部長だ。スリムで背が高く、脚も長くてモデルみたい。顔が小さめだから、九等身だろうな。そんな小さな顔は、アッシュブラウンの柔らかそうな髪に縁取られている。優しいスマイルにチラリと覗く八重歯。僕たちは、白鳥部長というスーツを着た天使に癒される。  過酷な二週間が過ぎ、会社での勤務が始まる日には、二十人いた新入社員は僕を含めて七人に減った。それでも今年は、よく残った方だそうな…。ゼロって年もあったとか。  さらに最悪なことに研修後僕が配属されたのは、なんとあのマーケティング課だった! 鬼の元木課長のもとで、お世話になるなんて…。どうせなら、白鳥部長のいる企画部がよかったな。毎日あの笑顔に癒されたい…。  元木課長は、厳しい人だ。何度もネチネチとは言わないが、叱るときは大抵怒鳴る。物に当たったりはしないが、とにかく怒鳴る。仕事のミスはもちろん、エチケットがなってないときや、姿勢が悪い、デスクの整理整頓ができていない、など。  もちろん、怒られる方が悪いのだから仕方のないことだが、去年や一昨年入社した先輩方は、いまだに怒鳴られることがあって、課長のいない所では悪口を言いまくってストレス発散をしている。意気地なしの僕は、陰口でさえ怖くて言えないのに…。  研修後に辞めてしまった十三人と同じく、僕も辞めてしまえばよかったかもしれない。けど辞めたとしても、次の面接が怖い。あがり症の僕は他社の面接でしくじってしまい、たった一社だけ内定をくれたのがこの会社だけだったんだ。だから、なかなか辞められない。面接のことを考えると胃がキリキリ痛くなる。  かといってこのままこの会社で、僕はやっていけるんだろうか。元木課長の顔色をうかがうだけでも、心臓が痛くなる。どっちにしても、僕は長生きしない方かもしれない。  それから約一ヶ月たち、僕は同じミスを二度はおかさなくなった。だって課長が怖いから。マーケティング課では、だれも気を抜いたような態度は取らない。だって課長が怖いから。おかげで社長がいきなり来ても、誰もビビらない。普段からみんな、シャキーンとしてるから。その点では、元木課長に感謝している。  それでも廊下で白鳥部長とすれ違うたび、企画部に配属されたかったなあと思う。イケメンで優しくて次期社長だし、いつも女の子に囲まれてる。男性からも慕われている。  今日も一階ロビーで、部下にコーヒーを奢って談笑している。いいなあ、僕もあんなふうに優しい上司とお茶したい。 …なんて白鳥部長を眺めていたら、目が合ってニッコリ微笑まれた。僕は気まずさに顔が熱くなり、慌ててお辞儀をしてその場を去った。  白鳥部長は確か三十二歳、元木課長と同い年で同期だ。いずれ常務、専務、社長と上がっていくんだ。できれば僕は、白鳥部長の秘書になりたい。秘書課への転属願いを出せば叶うだろうか。  白鳥部長のスケジュールを管理して……ああそうだ、車も運転しなきゃ。学生時代にバイトしながら免許を取ったけど、一度も道路に出ていない。父さんの車を借りて、練習してみるか――  と、ぼんやり考えながらコピーを取っていたら、部数の後ろに“0”をつけてしまい、用紙の無駄だと元木課長に怒鳴られた。

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