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第40話 怪しさしかないそんな場所

 午前中に集まって、撮影が終わった頃にはもう夕方を過ぎていた。しかし飲みに行こうと誘ってくる女性陣やスタッフに特大の愛想笑いを貼り付けて、晴は光喜を捕まえたままスタジオを出た。電車に乗ってからもその手は離されず、逃げようとしようものならギンとした目で睨み付けられる。  こうなった時の晴はてこでも動かない。諦めて光喜は陽の暮れた窓の外を眺めた。  電車は乗換駅を越えてどんどんと進んでいく。晴が再び光喜を引っ張り始めたのは夜の店が賑わう繁華街。それほど夜遊びをしない光喜にはあまり縁がない場所だ。けれど晴はそうではないのだろう。迷うことなくスタスタと道を歩いて、華やかな道をそれると裏道を通り抜ける。 「ちょっと晴、どこ行くの?」  しっかりと掴まれた腕は端から見ると腕を組んでいるようにも見えるかもしれない。しかし周りはさして気にする様子もなく通り過ぎていった。駅からおそらく二十分くらいは歩いた頃だろうか。ふいに晴が雑居ビルに足を向ける。  そこは特別看板が出ているわけでもなく、なにが入っているのかもよくわからない。けれど晴の迷いのなさは相変わらずで、殺風景な場所にあるエレベーターの呼び出しボタンを押した。 「それで、光喜」 「な、なに?」  到着したエレベーターに乗り込むと急にずいと顔を近づけられる。それに驚いて光喜が肩を跳ね上げても、やけに燃えたぎっている目はそらされない。 「森のクマさんは体格がいいの?」 「え?」 「背は高いの?」 「え?」 「手は大きい?」 「ちょ、ちょっと待って、いきなりなに!」 「さっさと答えな!」  突然の質問攻めにうろたえるとじとりと目が細められる。これはきっと答えるまで繰り返されるに違いない。晴のしつこさは蛇並みだ。大きく肩を落としながら諦めたようにポツポツと光喜は質問に答え始める。 「体格はいいかな。身体が大きいよ。太ってるとかじゃなくて元々が大柄って感じ。身長は確か、百九十七、とか言ってたかな。手も大きい。全体的に俺と比べてもかなり規格外的な大きさ」 「ふぅん、なるほど」 「ねぇ、なんなの?」 「……よし、じゃあ光喜! はっきりしないなら押し倒せ! やっちまえばこっちのもんだ!」 「はぁっ? なに言ってんの!」  一人勝手に納得したかと思えば、突然突拍子もないことを満面の笑みで言い始めた。それには光喜の声も大きくならざるを得ない。開いた扉の向こう、そこに声が反響した。けれどそんな剣幕など意にも介さず晴は光喜の腕を掴んだまま足を踏み出す。  エレベーターを降りた先は薄明るい蛍光灯の光で照らされた一畳ほどしかないようなスペース。正面には木枠のガラス扉があるけれど、その向こうは黒い布のようなものが引かれていてそこがどんな場所かはわからない。  人目を忍ぶような雰囲気が醸し出されていて怪しさばかりが募る。しかしかなり腰が引けている光喜をよそに、華奢な身体のどこにそんな力があるのかと思えるほどの握力で晴は腕を引っ張った。  そしてなんの躊躇いもなく扉を開いて中へと踏み込んでいく。黒い布は暗幕に似たカーテンだったようで、そこをくぐると暖色系の柔らかな明かりが灯っていた。 「なんだ、晴。久しぶりだな」  室内正面、小さな黒いカウンターの内側に男が一人立っている。暗めの照明の中でもわかる浅黒い肌と筋肉質な身体付き。ツーブロックにしたダークブラウンの髪と相まってかなりワイルドな印象を受ける。些かキツい目を細めて彼は気安く晴に声をかけてきた。 「いまは安治に構ってる暇はないの」 「なにつれないこと言ってんだよ。……ん、ってか後ろのお友達、もしかして光喜?」  ふいと顔をそらした晴に安治と呼ばれた男はかみ殺したような笑い声を上げる。そしてまた目を細めて光喜に視線を向けてくる。その視線と見知らぬ相手に名前を呼ばれたことで一気に光喜の警戒が高まっていく。 「晴と光喜は仲がいいって噂は嘘じゃなかったんだな。なに、ここに来るってことは彼もそうなの? もしかして俺に紹介してくれんの?」 「そんなわけないだろ! 安治にはカンケーない!」 「だって気になるじゃん。雑誌で見るより可愛いし」  ニヤニヤとした笑みを浮かべる安治は舐めるような視線で上から下まで光喜を眺めてくる。その視線から逃れるように顔を俯けるとふっと息を吐くように笑われた。ひどく居心地の悪い空気に、光喜は腕を掴む手を払って立ち去りたい気分になった。

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