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第5話

「どうやら、現れたようですね」 「こんな人が多いところまで、真昼間からご苦労なこった!」  魔獣騒動――数日おきに繰り返される残虐な事件は、ほとんど人が通らない森の中の道などでたまたま通った旅の商人などが狙われるケースばかりだった。しかし魔獣たちが察したとおり微かな腐臭と遠くから人の悲鳴が聞こえてくる。 「昼間に出てくるってことは、『夜の世界』の連中ではなさそうだな」 「確かに、彼らが『昼の世界(こちら側)』に干渉してきたことはここ数百年は確認されていませんから。……ただ、魔獣でも『夜の世界』の者でもないのだとしたら、本当に熊か何かでしょうか?」  そんなの知るかと、忌々しげにエウレが吐き捨てる。それを聞いているのかいないのか、フィーデスは走りながら今出てきたばかりの術士ギルドが入っているレンガ造りのボロい建屋や、同様のレンガで作られぎっしりと密集した下町の様子を見やった。 そんなに大きくない王国のやや西寄り、海に近いところに王都があり、小高い場所に王城。それらを取り囲むように貴族たちの館が連なり、海に近づくにつれて庶民たちの住まう家々が扇状に広がる。 護霊庁は王城を守るようにすぐ近くにあるので海が遠く遥かに思えるのだが、ギルドから出ると海鳥が警戒するように鳴きながら飛んでいくのが横目に見えた。 温暖な気候で寒さとは縁遠いせいか、庶民たちは割と肌を露出した格好をしており、ほとんど肌を露出しない恰好を基本とする貴族や護霊官との違いを際立たせている。今も隣にいる青年は肩を出した上着をまとい、少し裾の緩い穿きものを膝くらいで括るという庶民ではありふれた格好をしていた。腰のあたりで巻いている長い腰紐が青年の動きに合わせて揺れ動いている。 「本物の熊だったら美味しく食べてやる。術士ギルドの貧乏っぷりをなめるなよ!!」  悲鳴が起きた方へと走っていくと、既に血肉の塊となった牛らしき大きな動物とその飼い主だったらしい人間が転がっていた。またしても遺骸には大きな獣が襲ったような痕跡が見て取れる。その血の足跡を辿っていくと、ほどなくして森の中へと入っていった。 「大丈夫ですか、エウレ。顔が青いですが――もしかして血が苦手ですか?」 「ぬかせ! それより、ようやくお出ましみたいだ」  普段から走り回っているエウレはともかく、フィーデスは護霊官の制服である長衣を纏っているのに汗一つかくことなくエウレについてきた。面白くなさげに目を細めたエウレだったが、暗い森の中に漂う腐臭と『なにかがいる』気配に表情を変えた――が、フィーデスが指摘してきたとおり確かにその顔色は思わしくない。 「……あれは……なんだ?」  呆然と呟いたのは、どちらだったのかすら分からないくらい、彼らの衝撃は凄まじい。木陰から人らしき腕を口に銜えて現れたのは――熊などではなかった。エウレが知っている魔獣とも大きく姿かたちがかけ離れている。全身にウロコが生え、手足には長い爪が生えて四つん這いの姿勢を取っている──だが、それはどこか崩れながらも人のような形をしていた。人よりも若干突き出た口には鋭い牙が生えているようで、それでがっちりと人らしき腕を銜えているのだ。 「とにかく、人を殺めているのはあいつで間違いないな。あんなの撃退だ、撃退!」 「極力生きている状態で捕まえたいのですが……無理かもしれませんね」  フィーデスが腰に帯びていた鞄から長細い筒を取り出し、その中に入っていた水を口に含む。火・水・風・土を司る四大精霊の力を借りて術を発動する時は、その精霊に関わる要素――例えば水の精霊なら水、火の精霊なら灰など――を体に取り入れる必要がある。体に取り込むことで力を漲らせている間に、エウレはそういった『儀式』など使わずに化け物へと向かって術を使い始めた。 「私が障壁を作ります」 「いらねーよ。力で捻りつぶしてやる!」  エウレが得意なのは水の力で、それは学院にいた頃から変わっていないらしい。より実戦的になった力は確かに凄まじい威力を持って相手へと襲い掛かっていった――が。 「おい、弾いたぞ? てめえ、間違ってあっちに障壁貼ったんじゃないだろうな?!」  相手へと直撃するはずだった水の刃たちは相手に貫通することなくその手前で水しぶきとなって弾けて消えていく。 「いくらなんでもそんな間違いはしません! それより、エウレ――」 「じゃあいつまでその障壁が持つか、試してやろうか……!」  フィーデスが止めようとする声を聞きながらも、エウレは再び右手を挙げて森の中に漂う水の気配を集めると化け物へと向かって振りかざす――そして、化け物は耳を劈くような咆哮を上げたかと思うとエウレの水の刃たちを弾いた上で跳ね返してきた。 「防御――!」  瞬時に危険を察したフィーデスが障壁――バリア――をエウレと己を守るように張り巡らせると、透明な壁にあたった凶悪な水の刃が大きな音を立ててはじけ飛んだ。

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