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第10話
「こうなったら、言いますね。俺、ずっと前からあなたのこと知ってたんです」
「え……?」
「あなたはいつも俯いてたから俺のことなんて知りもしないでしょうけど、いつも帰る時間が同じくらいで何度も見ているうちに好きになったんです」
潤んだ瞳で見上げると颯太は優しく微笑んだ。
「近いうちに話しかける予定でいたんです。でも、あの日、あなたが俺の名前を呼んで、……俺の名前じゃなかったわけですけど、チャンスだと思って……吊り橋効果って知ってます?」
「ううん」
「吊り橋の上みたいなところで不安になったり怖くなったりしません? そういうところで会った人に対して恋愛感情を抱きやすくなる、っていうヤツなんですけど、それでホラー観たり、ジェットコースター乗ったり」
「…………」
「恋人がいるのは知ってたけど、俺、諦められなくて。奪ってやろうと思って。すみません。俺、盛大な勘違いをしてたようで、そんなことがあったなんて知らなくて。本当にすみません」
タオルをぎゅっと握りしめている手に温かい手が重ねられる。
「帰りたくないと言われて帰せるような理性は持ち合わせていなくて。抱いてしまって順序が逆になってしまったけど、……千尋さん、俺と付き合ってください」
「……ダメだよ……」
「俺のことが嫌いですか?」
「そう聞くのは、意地悪だよ……」
「じゃ、付き合いましょうよ」
「そんな簡単な問題じゃない。僕は、蒼大さんを裏切ることになる」
「なぜですか? 蒼大さんは幸せになれ、って言ってくれたじゃないですか」
「それって裏切りじゃないの?」
俯いてしまった千尋に颯太はシーツを手繰り寄せて身体にかけてくれた。
「俺は裏切りとは思いません。俺が蒼大さんなら」
「誰かと一緒になったら、蒼大さんのこと忘れなきゃならないでしょ?」
「なんで忘れなきゃいけないんですか?」
「だって……その誰かに悪いから……」
颯太が肩を引き寄せて千尋を抱きしめる。熱い呼吸が耳元に響いた。
「千尋さんは真面目なんですね。不真面目になれって言ってるんじゃないですけど、忘れる必要ないですよ。できるだけ思い出してあげれば蒼大さんはきっと喜ぶ」
「颯太くん」
「蒼大さんが幸せになれって言ったのはね、楽しいことや嬉しいこと、そういうことをたくさん感じろってことですよ。俺が千尋さんを置いていく時には、きっと蒼大さんと同じことを思うし、言うと思う」
「楽しいこと……嬉しいこと」
「素敵な恋人ですね、蒼大さんは」
だった、と過去形で言われなかったことで、なぜか千尋の心は軽くなった。蒼大を忘れなくては、忘れてはいけない、という相克した想いに揺さぶられてこの三年、ほっと息をつく間もなかった。それをそっと解きほぐしてくれたのは颯太だ。千尋の目にまた涙が溢れた。
「俺といて、少しでもそんな感じにならなかったですか?」
「……なった」
「ならいいじゃないですか。俺とそういうこともっとたくさん経験していきましょうよ」
「……うん」
「それに千尋さんは自己評価が低すぎる。すごく魅力的な人ですよ。自信を持って」
颯太の胸に顔を埋めて、千尋はしがみついた。
「愛してますよ、千尋さん。俺と付き合ってください」
「……はい」
カーテンの隙間から朝日が零れた。ずっと続いた雨がようやく上がって、明るい一日が始まる予感に満ちていた。
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