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【50/蒼生】最終回
数年後――
「蒼! 初稿の校正まだ?」
「急かしておくよ」
資料をかき集めて、鞄に押し込みながら答えた。
編集の仕事は常に締切との戦いなんだ。毎日があっという間に過ぎていった。
「装丁の打ち合わせは14時よね? どうするの?」
「現地集合で。俺は今から営業に寄ってから、夢菜先生との打ち合わせに行くからね」
「っという名のランチでしょ?」
「ちゃんと仕事の話もしてくるさ」
俺は笑いながらスマホをポケットにねじ込むと、カジュアルなジャケットを羽織りながら、パソコンの電源を切った。
「その笑顔でたぶらかしてきなさい。そして締切を守らせなさい」
同僚のハナに苦笑いをしながら、俺はホワイトボードに戻り時間を記入した。
「あ! ちょっと待って!」
「ん?」
「蒼、ついでにコレ寄ってきてよ」
ハナから渡された資料には、YAIと書かれていた。確か、書籍化企画の時に話題になっていた作家さんだ。俺も1票入れた記憶がある。
「あっちの課では付き合いが長いんだけど、やっと書籍化することになったの」
「とうとうこっちに流れてきたんだね」
俺はこの仕事が天職だと思っている。作家さんの成長も、楽しみの1つだった。
「軽く顔合わせしてきてくれればいいから」
「了解、移動しながらチェックするから、情報メールしておいて」
「おっけー」
親指と人差し指てマルを作りながら、ハナはハナで忙しそうに受話器を取った。
***
YAI先生は職場から電車で1時間の場所に住んでいた。商店街を抜けて住宅街を進むと、そのマンションは静かに建っていた。
オートロックの前で部屋番号を押して待つ。が、反応がなかった。仕方がないのでスマホを取り出し、YAI先生の番号にかける。……やっぱり出ない。
顔合わせのことが上手く伝わっていないのかもしれないからね、もう一度呼び出しボタンを押して、ダメなら会社に電話して……なんて考えながら再びパネルに手を伸ばしたその時、自動ドアが開いた。
「あおぴー……」
そこで息を切らして立っていたのは、優斗だった――。
***
「どうぞ……」
差し出されたカップがカチャカチャと震える。
「ありがとう」
俺も予期せぬ再会に、心が騒いでいた。
「出版社に就職してたんだね……びっくりした」
優斗は困ったような顔で笑った。
「俺も、優斗が小説を書くなんて驚いたよ。ユウの影響なのかな?」
その名前を口にすると、胸が締めつけられた。
ずっと仕事に集中して、考えないようにしてきたそれは、自分でも気づかないうちに大きく膨らんでいたらしい。優斗の姿が、声が、しぐさが……存在全てが、僕の心の中を震わせていた。
「ユウの影響っていうか……ごめん、僕が悪いんだ……」
優斗の目に、うっすらと涙が浮かぶ。俺がハンカチを差し出すと、優斗は小さくありがとうと言って受け取った。
「ずっと、あおぴーに謝らなくちゃって思ってた。でも、今更連絡するのも迷惑かもしれないし……なんて言い訳して、ズルズルと何年も……本当にごめん」
後悔の色をにじませた目で、俺を見る。
「俺だって、あれから和馬くんと連絡をとったのはたったの2回だからね、気にしなくていいよ」
その後悔から救いたくて、俺は微笑みかけた。でも、優斗の顔は浮かないままだったよ。
「あおぴーが引っ越す1年前くらいに、僕は……僕は、自殺を計画してた。ユウに一緒に死のうって提案したんだ」
「自殺?」
初耳だった。
「何を言っても言い訳になっちゃうけど、僕は限界だったんだ。ユウの才能に嫉妬したり、和馬に罪悪感を抱いたり、自分の環境を呪ったり、母を憎んだり……自信も何もない、全てがマイナスな中で、和馬だけが支えだった」
ハンカチを目元にあてながら、優斗は淡々と話した。
「その和馬が、神永と一緒にいる姿を見た時……和馬は僕といない方が幸せなんじゃないかと思えてきてさ、頭の中がぐちゃぐちゃになった。そしたらユウの記憶や感情まで流れ込んできて、ただただ消えてなくなりたくて……僕の正直な気持ちを動画にしてユウに見せたんだ」
優斗が当時、苦しんでいたことは知っている。でもまさか、そこまでとは思っていなかった。ユウと2人、小説を書くことに夢中になっていて、きっと俺には見えていなかったんだ。
「でも、何故かユウが出て来なくなってさ。和馬と静かに過ごしているうちに、落ち着いたというか、気持ちのコントロールが少しはできるようになってきたっていうか……」
優斗は深呼吸をすると、やがて決心したように口を開いた。
「ごめん、話がまとまらないね。つまり、ユウからあおぴーを奪い、あおぴーからユウを奪った犯人は僕なんだ」
当然、優斗が犯人だと言われても責める気にはなれなかった。
「俺とユウが会えなくなったことは誰のせいでもないよ」
今更何を言っても過去のことだし、当時は俺も優斗もユウも和馬くんも、みんな若かった。今思えば視野も狭かったし、思いやりも足りなかった。
当時はユウに会えなくなったことを受け入れられなかったけれど、今はただ――
「ただ、ひとつだけ気になるのはね、今、ユウが幸せかどうかってことなんだ」
今はただ、ユウの幸せを願っていた。
「どうかな? 直接聞いてよ」
「……会えるのかい?」
「ユウが望むならね」
***
ユウの書斎に通された。
どこか夢の中にいるような感覚の中、カーテンを開ける。ウィンドウボックスのプランターにはユウスゲが植えられていた。
夕方に開花し翌朝には閉じるユウスゲの花。それが静かに咲きだした頃、そっと部屋の扉が開いた。
「蒼生」
「ユウ……」
伝えたい言葉があったはずなのに……胸につかえて、喉の奥を焼いた。
「久しぶりだね」
結局、そんなつまらない事しか言えなかった。
「うん……元気だった?」
「あぁ、元気だったよ」
月日を感じさせないユウの微笑みに、止まっていた俺の時間が、ゆっくりと動きだした。
「とうとう書籍化だなんて、凄いじゃないか」
『とうとう賞をとったなんて、凄いじゃないか』
「しかも担当が蒼生だなんてね」
『いつか蒼生が編集さんになって、ボクと仕事できたらいいのに』
昔交わした言葉が、今と重なる。
ずっと感じてきた喪失感はどこかに消え去り、悪夢から目ざめたように景色が色づいた。
「会いたかったよ」
「ボクもだよ、ずっと会いたかった。忘れるどころか、昔より今のほうが……」
「今のほうが、何?」
「もー!かっこよくなりすぎ!ドキドキして目が見られないよっ」
ユウはそう言って、恥ずかしそうに俯く。俺はユウの顎を掴み、上を向かせた。
「なら、目を閉じてて……」
俺はユウの唇に、そっと唇を重ねた。
***
「ところで、何故YAIなんだい?」
俺はジャケットを羽織りながら尋ねた。
「ユウだから、一文字ずつ前に進めてヤイ。ツラくても前進って気持ちを込めたんだ」
「なるほどね、良い名前だ」
いつでも前向きな、ユウらしい発想だと思ったよ。
鞄をつかみ、玄関へ向かう。靴を履いていると、扉の鍵がカシャンと音を立てた。
「ただいま」
和馬くんだった。和馬くんは少しだけ驚いた顔をしたけれど、すぐに真剣な表情で言葉を発した。
「久しぶりだな」
「あぁ、久しぶりだね」
「連絡しようか迷っていた」
「連絡をもらわなくても、運命に導かれてしまったよ」
名刺を差しだし、今日のことを簡単に話すと、和馬くんは頭を下げた。
「ユウのこと、ずっと隠していてすまなかった」
「それはユウの意思でもあったんだろう? 優斗を救うための必然だったと俺は思うよ」
「それでも、すまん……」
薄々感じていたことだ。それに当時、もし和馬くんとユウが正直に事情を説明してくれていたら、俺は俺が優斗を救おうとして、余計苦しめたに違いなかった。
「謝らないで、俺も謝らないから」
「……わかった」
和馬くんがふっと笑う。
「もし、蒼生がまだユウを想っているなら、また前みたいに4人で……今度は卒業までの期間限定じゃなくて、ずっと4人で、俺は暮らしたいと思ってる」
靴を脱ぎ、部屋へ上がる。
「返事はいつでもいい、蒼生の意見を聴かせてくれ」
重そうなスポーツバッグを肩にくいこませながら、和馬くんは真っ直ぐ俺の目を見てそう言った。
「優斗とユウは、最近やっと安定し始めた。統合じゃなくて、共存を目指してる。交代のリズムもあるから、昔よりも付き合いやすいぞ」
「そうなんだね」
「夕方から朝にかけてはユウの時間だ。会いたければ、いつでも来てくれ」
「ありがとう」
和馬くんは俺の背中を叩くと、部屋の中へ消えていった。
俺とユウの間にある空白の時間は、これから少しずつ埋めていけばいい。後悔も詮索もしない、また1から関係を築いていこうと思った。
「ねぇ蒼生、次はいつ会えるの?」
ユウが切ない表情で俺を見上げる。そんなユウの髪をそっと撫でながら、俺は答えた。
「また明日も、明後日も、俺はユウに会いに来るよ。ユウスゲが咲く頃に――」
おわり
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