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1.ニコ

最愛の男が、俺に向かって僅かに笑いかける。 「僕を殺して」 彼が、俺の手に拳銃を握らせる。 投げ捨てようとしたがその上からがっちりと押さえ、彼は自分の腹へ拳銃を突きつけた。 「イヤだ、できない」 駄々をこねる子供のようにひたすら首を振る。 けれど彼は、静かに笑っているだけだった。 「こんなことを頼めるのは、レンしかいないんだ」 さらに彼が、自分の腹へぐっと拳銃を押さえつけた。 ガタガタと手が、身体が震える。 どうして、こんなことになっているのだろう。 俺はただ、彼を幸せにしたかっただけなのに。 いつ、選択肢を間違った? あれか、それともこれ? いくつもの出来事が浮かんでは消えていく。 けれどこれは――俺が、彼と正面から向き合わなかった結果なのだ。 もっと、もっと。 彼ときちんと話していれば。 こんな結果は避けられたのだろうか。。 「ニコ!」 元首官邸、ウォルフローンに行くと、主であるニコは黒猫を抱いて眠そうに目をこすっていた。 「ウォルター中将、なにか用……?」 パジャマ姿でないのが不思議なくらい、大きなあくびをしているニコ。 そんな姿にかっとあたまに血が昇る。 「何時だと思ってるんだ! いい加減起きて仕事をしろ!」 太陽はとっくに頭上高く昇っている。 人々はそろそろ、昼飯など考え出す時刻。 「してるだろ、いま……」 ふぁーぁ、なおもニコの口から出る大きなあくび。 「ニコ!」 「……それで。 用はなに? ウォルター参謀総長?」 ニコが両手を組んで机の上についた両肘の上に顎を載せ、空気が凍り付いた。 それまでのけだるそうな表情から一変して、鋭い眼光で俺を見る。 いつも呼んでいたレン、ではなく、ことさら姓と役職を強調した声。 完全にニコから拒絶された、そう悟った瞬間。 「その、最近おまえに対してよくない話を聞くし。 それに会議にもあまり顔を出さない、とか」 「……それだけ?」 うっすらと笑うニコに、背中を冷たい汗が滑り落ちる。 部下に〝機械人形〟と呼ばれ、恐れられているこの俺が。 「それに、セドリードとのよくない噂も」 総理大臣の、セドリードとの噂。 ニコはセドリードの愛娼で、毎晩どころか昼間でも寝室から嬌声が響いているという話。 この話を聞いたとき、持っていたペンをへし折り、指先に怪我を負った。 あの痛みは傷の痛みだったのか、……それとも。 「それがどうかしたの? 僕が誰とどうなろうとウォルター参謀総長には関係ないよね。 というか、君には口出しする権利〝すら〟ない」 「……」 感情のない、冷たい声で吐き出されたニコの言葉に、なにも返すことはできなかった。 ニコを拒絶したのは……俺のほう。 「話はそれだけ? 仕事の話だと思って会ってあげたけど。 君からのお説教を聞く気はない。 もう二度と、僕の前に姿を現さないで」 「……っ」 ぎりっ、噛んだ唇から血の味が口の中に広がってくる。 まるでなにも映さない、硝子玉のような冷たいニコの瞳。 「……おいで、ロー」 「にゃー」 ニコが呼ぶと、近くで丸くなっていた黒猫が腕の中に飛び乗った。 セドリードが総理就任直後、ニコに送ったという雄の黒猫。 ビロードの青い首輪に白金の花のチャームは特注だと聞いたことがある。 「ロー、今日のお昼ごはんはなにかな? 白ウィンナーが食べたいって頼んでおいたんだけど、どうだろう?」 まるですでに俺はいないかのように猫に頬ずりし、ニコは話かけ続ける。 そのまま部屋を出ていき、ばたんとドアの閉まる音で我に返った。 ……二度と姿を現さないで、か。 完全に嫌われたものだ。 自業自得といえば、そうだが。 どこからともなく聞こえる、嘲るような乾いた笑い。 それが自分の口から漏れているのだと知るまでに、少し時間がかかった。

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