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第2話 彼と、出会った。

そいつは、とりあえずのところ無害だった。 最初こそ、ベンチに腰掛けたものの、おっかないやら落ち着かないやらで彼のことを見たり目をそらしたりを忙しなく繰り返していた。けれど、彼が本当に何も危害を加えてこないので、少し安心する。  改めて彼を見つめた。 体は僅かに透けている。色白な細身、真っ白な着物、裸足。とろんとした優しげな瞳は黒いが、女のように長い髪も真っ白だった。間違いなく、人間の姿をした別の何かだ。問題は、一体なんなのか。 「……アンタ、なんなんだ?」 率直に尋ねてみたが、彼は困ったように首を振った。 「それが、わからないんです」 「わからない?」 「はい、……お恥ずかしい話ですが、何も覚えていなくて……」 俺は眉を寄せた。記憶の無い地縛霊なんて聞いたことがない。そもそも、何かの恨みや未練が有ってこの世に留まるのが幽霊だと思っている。その記憶が無いなんて、なら何のためにここにいるのか。 「……本当に、何も?」 「はい……。名前も、どうしてここにいるのかも、何故誰にも見えないのかもわからず……。ただ、一つだけわかっているのは、どうやら私は、その祠に繋ぎとめられていたようなのです」 彼がおもむろに、ベンチのそばを指差す。そこには俺がビジネスバッグでぶち壊した何かが有った。つまり、俺が封印を解いてしまった、ということなのだろうか。封じられているぐらいだから、おっかないものなのかもしれない。しかし当人に何の記憶も無いのだから仕方がない。 祠は柊の木の下にある。柊は、昔から魔除けの木らしい。そんな木の下に有るのだから、そういう物なのかもしれない。そしてその近くでニコニコ座っている彼も別に、悪いものでもないのかもしれない。 何もかもが憶測だ。何の情報も得られていない。 「……あの」 彼はおずおずと、俺の顔を覗き込むようにした。白くて長い髪が、しゅるりと流れて揺れた。 「お名前を、聞かせてもらっても?」 「……」 俺は少しだけ考えた。彼に名前を教えるリスクについて。しかし、彼が記憶を失い、かつここから動けない以上、教えたからといって何の害もない気がした。 「……清晴。夜霧 清晴(やぎり きよはる)」 「きよはる。綺麗な響き」 彼が微笑むものだから、俺は居心地が悪くなった。 「そうでもないよ」 「どういう漢字を書くんです?」 「そのまんま、清らかに、晴れる。苗字と合わせたら、夜の霧が、すっきり晴れる」 「すてきなお名前ですね」 彼が嬉しそうに言うから、本気でそう思っているのが伝わってくる。なんだか照れくさくなって、彼から顔を逸らした。 「名前負けしてるよ。俺は全然そんな、素敵でもないし、爽やかでもないから」 「では、あなたはどんな人なんです? 教えてください」 妙に食いついてくる。まるで子供だ。なんで、と問い返せば、彼は俺をじっと見つめて言った。 「私は、ここでずっと一人でしたから」 こうして会えたあなたの事を、もっともっと、たくさん知りたいんです。 彼はそう言ってから、嫌なら、構いませんけれど、と少し残念そうに言った。これじゃあ、俺が悪い奴みたいじゃないか。俺はクシャクシャと頭を掻いて、それから、「全然楽しい人生は送ってないんだ」と前置きしてから、話し始めた。

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