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第3話

「色々思い出してたんだけど、初めてじゃなかったわ」  二日がかりでログハウスの大掃除、作業場の整理を終えた理は小さな庭を掃いて、ついでに散歩がてら拾ってきた薪で焼き芋の支度をしていた。 湿らせた新聞紙とアルミホイルでひたすら芋を包んでいる。基が実家を出る時に送ってきたという芋は実に立派なサイズだ。  それを横目に、庭の一角、周りに木々のないところを選んで環が穴を掘っていた。掘った穴に芋を並べて土をかけ、その上で焚き火をして自然に消えた後掘り起こせば焼き芋の出来上がりだ。  深くなりすぎないよう、用意した芋が入りきるようにザクザクとスコップを地面に突き立てる。基も最初は手伝っていたのだが、友達に呼ばれて出かけてしまった。 「あんま聞きたかねーけど……何が」 「理のこと、かわいいって思ったの」  一瞬手を止めはしたものの、すぐに作業を再開した理の問いに対する環の答えに、今度こそ理はゴトンと音を立てて芋を取り落とした。拾う体力も顔を上げる気力もないとばかりに盛大なため息をつき、膝に肘をついて頭を支える。組んだ指に乗せた頭は重くて、いっそ部屋に戻って寝てしまいたかった。  環は芋が落ちた音に驚いて、数歩分の距離を詰めて理の顔を窺う。 「具合悪い?」 「頭が痛い」 「薬箱どこだっけ」 「そういうんじゃねーから」  理は支度のできた芋を抱え、少しでも環から距離がとれるように遠回りして穴へ向かった。  クリスマスから三日、理は傍目に見て分かりやすく環を避けていた。目を合わせない、なるべく近寄らない、自分から話しかけない。  猫っぽさに拍車がかかったな、と基は笑ったが、環は少し寂しく思っていた。 「理さ、笑わなくなったよな。昔は、ホントにちっこい頃はすげー可愛く笑ってたし、もっといろんなもの好きって言ってた気がするんだけど」  黙々と芋を並べるだけで応えない理の傍に、逃げられないように人二人分間を空けて環がしゃがみこむ。じい、と見つめ続ければ、居心地悪そうに眉間にしわが寄った。 「関係ないだろ、おまえには」 「大アリだよ。しかめっつらもかわいいけど、笑ってる方がもっと可愛いもん」 「やっぱり一回眼科行ってこい。脳神経科でもいい」 「ひっでーの。褒めてんのに」 「二十六の男に対してカワイイは褒め言葉にはならん」 「いくつになったって、男だって女だって、褒められたら嬉しいだろ?」 「褒められ方にも寄るだろ。少なくとも俺はかわいいって言われても嬉しくない」 「最大級の愛情表現なのに」  理が作業の手を止めて顔を上げると、環は手を伸ばして芋を並べるのを手伝い始めた。  一度も染めたことのない黒髪が日に当たってほんの少し青みがかって見える。理が妹の進言で髪の色を抜く前だったとしても、あんなに綺麗な黒ではなかった。  無精故に少し長めの髪の隙間から顔が見え隠れしていた。口元のホクロが見えないと思っていたら、環が顔を上げて理を見た。 「だって可愛いだよ?愛す可しだよ?愛すってのができちゃうんだよ?」 「お、おう……?」  珍しく熱弁を振るう環は、今気づいたんだけど!と前置いてひどく嬉しそうに語った。 「自分で言うのもなんだけど、好きなものそんな多くないおれが愛せるって思えたのってすげーことだよ!理すごいな!」 「……ごめん、文脈が理解できない」  本当に今話しながら気づいたのか、環は珍しく興奮してテンションが上がっている。大半の芋を並べ終え、理が手に持っていたものが最後になった時、環は理の手ごと芋を掴んだ。 「おれ、可愛いって思ったことあるの理だけだもん。女の子はキレイとかやわこいとか思ってたけどかわいいって感じじゃなかったし」 「いやいやいや、ちょっと待て。甥は。姪は」 「あいつらはほら、ちっこくてワケわかんなくて面白いじゃん?」 「ワケわかんないのはおまえだ」  理は必死で思い出していた。世界的にも有名になった「カワイイ」を使ったことがない日本人なんているはずがない。  しかし、たしかに甥姪に対してかわいいと言っていた記憶がない。歴代彼女の話をしていた時も、どこに行った、あれそれしたと惚気られた記憶はあるのにかわいくて、という表現に聞き覚えがない。  そんな馬鹿なと目の前のふわふわ笑っている顔を凝視する。この声で聞いたことがないわけではないはずだ、聞き覚えはあるのだから。 「……あ、アレだ、随分前に今年最初の茶の花が咲いたって」 「ああ、アレかわいかったろ!理も覚えてる?おれ未だにあの写真待ち受け」 「基が考えたロゴ入りのカップができた時」 「あーあれな、よくあんなかわいいの思いつくよな」 「……小学生の頃獲ったカブトムシ」 「カブトムシは正義だろ」 「ことごとく人じゃない……!」 「へ?……ああ、そりゃそうだろ、理が特別なんだもん」  環は何を当たり前なことを、とばかりにけろっと言ってのける。理は息をするのも忘れてまじまじと環の顔を見つめてしまった。  脳に酸素が足りなくなって、体が勝手に呼吸を再開する。思考が動き出すと庭先で芋を持った手を握られたまま見つめ合うという間の抜けた絵面であることに思い至り、理はここ数日で何度落としたか知れないため息の回数を更新した。 「はあああああ……とりあえず、放してもらっていい?」 「え?やだ、もうちょっと」 「やだじゃねえし」  理は環の手に握られたまま芋を穴に収め、改めて引き剥がしにかかる。が、環はのらりくらりと力の方向を変えて放さない。  力尽くではどうあっても放さないらしいとわかると、理は言葉を重ねた。子どもではないのだから話し合いは出来る。相手の土俵で戯れに付き合ってやる謂れもない。 「……腹減った。芋焼きたいから放せ。今日は緑茶がいい」 「たしかに腹減った。お茶入れてくるから火起こし任せていい?」 「おう」 「んじゃ、よろしく」 「ん⁉」  流れるような自然な動作で理の額にキスを落として、環は立ち上がる。手は繋いだままだ。  自分が何をされたのか必死に理解しようとする理の顔を眺めて、環は無意識に顔が緩むのもそのままに呟く。 「やっぱり可愛い」 「お、まえ……!」  環は殴られる前にと、絡ませた指を解いて背を向けた。背中に睨むような視線を感じるが、それすらも愛おしいと思っている自分が新鮮だった。  人の体温は、こんなにも離れ難いものだったろうか。環は、しびれるように熱を持つ指先を握りしめた。

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