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第二章・黒龍の鱗①

 中島敦の悪癖が治まり泉鏡花との同居を再開したのは、敦が先輩である太宰治と同居生活を始めた数日後の事だった。あまりにも短い期間で事態が終結した為、太宰の相棒である国木田独歩のみならず鏡花も疑念を抱いていた。  然し誰の問い掛けにも太宰は多くを語らず「もう大丈夫だから」と云うだけだった。 「難儀な業を負ったな」  武装探偵社が誇る名探偵江戸川乱歩は太宰の顔を見るなり一言そう告げた。然し其の言葉に対しても太宰は普段通りに曖昧な笑みを浮かべるだけだった。  誰しもが違和感を覚えつつも、当該人物の「何でも無い」の一言に其れ以上踏み込めずに敦の悪癖が再発しない事を願うだけだった。仮に何か善く無い方向へと物事が進んで居たとしても太宰ならば大丈夫という考えに至るのは決して誤りでは無い。其れが仮令信頼とは相対するものであっても。  一つ変化があったとすれば、以前とは大きく異なり敦が太宰と仕事中は常に行動を共にする機会が多くなった程度だった。それも太宰が敦を呼び寄せる訳では無く、太宰の姿を見る度に敦から歩みを寄せ時には腕を引いてでも太宰を外回りの任務へと連れ出す。仕事をしたがらない太宰を無理にでも連れ出す事は国木田にとっては感心に値したが、其れでも拭い去れぬ違和感は存在していた。  其の原因を乱歩以外に知っていたのは探偵社以外の人間だった。 「太宰さん、此処なんて如何でしょう?」  敦が太宰の腕を引いて到着したのは今は使用されていない廃建造物の路地裏。 「……敦君、路地裏といえど誰かが隠れ棲んで居る可能性も有り得る。 誰かに見られたら」 「だから善いんです」  太宰の言葉を遮る敦の言葉に、太宰の眉が動く。敦は太宰を壁際へと追いやり金音を響かせて腰帯を外す。 「誰かに露見しても善いんです」  「善くないのだよ」と喉迄出掛かった言葉を太宰は呑み込んだ。薄暗い路地裏、確かに足を踏み入れる物好きは少ないだろうが可能性が無い訳では無い。敦の夜の悪癖が無くなった理由は、敦が日中事ある毎に太宰を連れ込み其の歪んだ欲を対象へと直接放出していたからであった。  青少年の欲望の底は図り知れず、自分は此れ程では無かったと思い乍らも夜迄溜め込むよりは昼にこうして発散させた方がましであると、太宰が出した結論だった。其の結果今こうして太宰の躰に必要以上の負荷が掛かろうとも。  誰も訪れる筈の無い薄暗い路地裏。敦の発散行為が終わる迄誰も現れる事は無かった。然し其の人物は建造物の屋上から其の光景を眺めて居た。其の身に纏う黒外套で今にも敦の頚を掻き切らんと滾る怒りを必死に押し込み。  其の者の名は芥川龍之介。太宰の嘗ての部下であり、一度は太宰に見捨てられた男。

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