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第1話

「暇だなぁ」 私の目の前では黒いドーベルマンがヘコヘコと腰を振って交尾の真っ最であった。 私はそれを見ながらあくびを噛み殺しつつ座っている椅子の上で足を組み換えた。 「何か楽しいことはないかなぁ」 「ぐっ…」 私が椅子の上で居住まいを正すと椅子からは小さな声があがる。 少しそのままで居るとカタカタと視界が揺れだしたが、私は気にせず少し足を揺らすとその揺れが収まってきた。 「うぐぅぅ!!ヴぅぅ…」 犬がくるりと足を上げて相手と背中合わせの様な体勢になってからかなり時間がたっている。 犬はまだ興奮しているのか、はっはっと涎を撒き散らしながら腰を振っている。 「ヴぅヴ!!」 犬の動きがピタリと止んだかと思うと、犬が少し中腰になって腰を小刻みに揺らしている。 大きく見開かれた目は恍惚に光っており、口も大きくだらしなく開いていた。 「そろそろかな?」 そろそろ頃合いかなと椅子に手をかけると、もう少し時間がかかるかと思っていたが犬が腰をあげる。 壁に掛かっている時計では、交尾をはじめてから50分ほどたっていた。 ビュッ、ぶちゅ、ぷぴっ 犬が腰を上げた事で相手からは犬がマーキング用に出した尿と、後から精液が下品な音と共に飛び出してくる。 雄犬は射精後、雌犬にマーキングの為に胎内へ放尿をするらしい。 それが体外に排出される下品な音が庭に響いている。 「よしよし。いい子だね…」 犬は大きく尻尾を振りながら私の方へ駆け寄ってきたので、頭を撫でてやった。 ピンっと立った耳が私の撫でる方向にゆらゆらと揺れる。 もっと撫でて欲しいのか縁側に上がってきたので背中も撫でてやった。 「ほら、お腹が空いただろ?ご飯を貰っておいで」 暫くドーベルマンのつるつるとした毛並みを楽しんでから、幹部の立っている方へ犬を促す。 犬は床に爪が当たるカチャカチャという音をさせながら去っていく。 私は犬が去っていくのを見送ると、先程まで犬の相手をしていた雌犬を見下ろす。 雌犬は涙をポロポロと流しながら後ろ手に縛った手の拘束を外そうとウゴウゴと肩を蠢かせている。 「犬の相手はどうだった?」 「ヴヴぅ、うぐぐ」 雌犬は本物の犬ではなく、人間の形をしていた。 現在は口に枷をはめ、腕は後ろ手に拘束している。 逃げる為の足は膝から下が無く、力が入らないのか投げ出されたままになっていた。 私はにっこりと雌犬に笑いかけてやりながら、自分の首にぶら下がっているネックレスを触る。 すると芝生が敷かれた中庭に横たわっていた雌犬はプルプルと震えながら身体全体を使って後退りしていく。 「ふふふ。壊れていないみたいで嬉しいよ…博之の後始末をしなさい」 「…はい」 私がゆっくりと椅子から立ち上がると“椅子”は立ち上がって私に一礼する。 この椅子は、雌犬こと美世 博之(みよ ひろゆき)の兄の店で“粗大ゴミ”に出されているところを医大生だと言うことで博之の面倒を見させる為に拾ってきた。 名前は確か吉高 学(よしたか まなぶ)と言っただろうか。 一応良いところのおぼっちゃんらしいが、私になついてしまって平日は医科大に通いつつわざわざ横浜から私の家まで1時間かけて通ってきている変わり者だ。 「ヴぅヴ!!!」 「ご主人様の前だぞ…静にしろ!」 中庭に降りた学が、博之に取り付けている首輪に手をかける。 博之が抵抗すると、それを学が叱りつけていた。 私はそれ見るのにも興味を無くして書斎へ移動する。 「はぁ。面白くないなぁ」 書斎にある机の上には写真立てが置いてあり、飾ってある写真を撫でる。 そこには博之の一番上の兄である美世 義博(みよ よしひろ)が写っていた。 私はその写真の唇部分をゆびでなぞると、また大きく息を吐く。 「暇で死にそうだ…」 私は道明寺組の組長である道明寺 桜花(どうみょうじ おうか)。 最近の言葉で言うならば反社会的組織の元締めだろうか。 私のシマは某温泉地で、全国から色々な流れ者がやってくる。 そんな脛に傷があるような奴らをまとめているのが私の取り仕切る道明寺組だ。 私の組は世襲制ではなかったが、先代が私に目をかけてくれて組を継ぐことになった。 本当は独立と言う話もあったのだが、先代は脳卒中でぽっくり先に旅立ってしまったので実質ナンバー2であった私があっさり組の頭になり、この組を何とか続けている。 「あーあ。義博くんに会いたいなぁ」 私はまたしても溜め息をつくが、口許が弧を描いてるのが写真立てのガラスに映る。 現在ペットとして飼っている博之は、本来は組の同盟の為の人質だった筈だった。 先代の頃より更に地固めを進めた私の組はそれなりの力をつけていた。 そんな私が唯一欲してやまない唯一の人物が美世組の組長である義博くんだ。 もう一度写真立ての中の義博くんをなぞる。 写真の義博くんは口許にうっすらと微笑みをたたえているが、冷えた目で写真に収まっていた。 + 義博くんと私が出会ったのは、私がまだ組の幹部だった頃。 組長(オヤジ)と他の組の重鎮たちとの会合で都内にある料亭に来ている時だった。 会合も円もたけなわになり、普通の年寄り同士の飲み会になっていたので夜風にでも当たろうと廊下を歩いていると脇腹に衝撃が走った。 衝撃があった場所が場所だけに、私は一気に衝撃の相手を確認するべくそちらに目を向ける。 「す、スミマセン…」 「あぁ…いえ…」 そこには私より頭2つ分位小さな少年が焦燥した様子で立っていた。 学生服と思われるカッターシャツは乱れ、ボタンが全部飛んでしまっている。 ズボンのボタンは乱雑に留めたのか、インナーが中途半端に入った状態だった。 物憂げに伏せられた睫毛には大粒の水滴が着いており、目元もやや赤い。 首筋には鬱血した痕が見え、この子供は誰かの“イロ”なのだとすぐ分かった。 「君…」 「スミマセン失礼します!!」 私が声をかけようとしたところで、少年は足を引きずりながらではあったが走り去っていった。 その時はそれを呆然と見送ったが、すぐにその少年と再会することとなる。 次に会ったのは、うちの組長(オヤジ)の誕生日のパーティーに美世組の組長代理としてあの時の少年が優雅にやって来たのだ。 料亭での事は無かったかの様に学ランをかっちりと着て花束を持っていた。 私は年甲斐もなくその姿に見惚れる。 その時何を言っていたかは思い出せないが、あの時確かに少年の義博に私の心は奪われた。 「道明寺の組長には子供の頃に本当に優しくしていただいて」 「そうですか…」 美しく育った義博が組長(オヤジ)の葬式に訪れた時に見せた涙に料亭での事を思いだし劣情を抱いた。 義博は他の組の幹部や上層部の人間に幼い頃より“性的悪戯”をされていたらしい。 私が出会ったのも、その“性的悪戯”から逃げ出して来たところだったと後から調べて分かった。 うちの組長(オヤジ)はやめさせようと働きかけていたようだが、私にとっては好都合だ。 これで義博を手にすることができると喜んだのだが、組を再構築するのに思いの外時間がかかったせいで美世の組長(オヤジ)が義博に組長の座を早々に譲り、手出しが難しくなった。 あの時の悔しさは想像を絶する物で、ついつい義博を慰みものにしていた奴らをばらしてしまった程だ。 マスコミで反社会的組織抗争勃発と記事になってしまったが、私の組がやったとはバカなマスコミは分からなかったらしくすぐに静かになった。 「ふふふ。義博くん喜んでくれるかな」 私はすぐにばらした奴等の身体の一部を箱に入れてから綺麗にラッピングして美世組に贈ってあげたのに、これも送り主が私だと分からなかったのかお礼の一言もなかった。 しかし、その荷物が届いてから目に見えて元気の無くなっていく義博に私もヤキモキさせられた。 でもその事件での緊急の会合では、またしても何事も無かったかの様に振る舞う義博に私は益々好意を抱いた。 私が秘密裏に解体させた組は近隣の組が面倒を見ると言うことで話がつき、その日の会合は終わった。 「義博くん!」 「あ、道明寺組長…ご無沙汰してます」 義博が帰り支度をしているところに声をかけると、目元を緩め微笑えんでくれた。 心の中では何と奥ゆかしいのだろうと感心と共に喜びが沸き上がる。 私が贈ったプレゼントは気に入ってくれたのか気になったが、ここはあえて私が送り主だと言う必要もないだろうと私も微笑み返す。 「物騒な話でしたね。私のところも心配になってきましたよ」 「美世は伝統のあるいい組じゃないですか」 「兄弟達の助力のお陰ですよ」 他愛ない話を楽しんでいると、とてもいい事が思い浮かんだ。 「吸収した組を解体するにしても、統括するにしても大変でしょう。うちの組から手伝いをお出ししましょうか?」 「いえ…道明寺組も大変でしょうから」 「いやいや、タダとは言いませんよ。代わりに美世組長がうちの組に来てくだされば」 「え…」 私の言葉に驚いた顔をした義博に、私の笑みが更に深くなる。 声を出して笑いたい位に気持ちが高ぶる。 「ははは。冗談ですよ…」 「え、えぇ…」 「でも、ご兄弟のうちどなたかをうちの組に預けていただくなんてどうでしょう?」 「それは…兄弟達共話し合ってみない事にはなんとも」 義博が来てくれるのが一番だが、それは流石に無理だろう。 せめて兄弟のうちの誰かが来てくれれば義博の情報が手に入る。 そこからじわじわと攻めて行けば良いだろうと思ったのだ。 確か義博の兄弟は義博を入れて4人だという情報は入ってきている。 義博は答えを渋っていたが、統率を取るために猫の手も借りたい状態であるのは確かなので最終的にはいい返事が返ってくるだろう。 私はその時の事を考えてにっこりと笑みを深くした。

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