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第5話:「ピロートークが下手な男は政治家に向かない」

「――与党内部の造反者については、ほぼ正確にリストアップして対処しました」  江田野から情報をリークされて、僅か三日後の夜。  菅谷の部屋に呼ばれていた麻尾は、簡潔な報告と共に渡された資料にニヤリと笑った。 「さすが菅谷ちゃん、迅速な対応だな。恐ろしい」 「お褒めいただき恐縮です」 「なるほど、不満分子は吹き上がった若手どもか。元気がいいねえ」  リストにざっと目を走らせた麻尾は、最後の名前で眉を上げた。 「これはこれは」 「リスト最後尾の人物が全体のパイプ役だったようです。……予想はしていましたが」  菅谷が淡々と言った時、麻尾の後ろでドアがノックされた。  中の応えを待たずに、ドアが開く。  菅谷は立ちあがり、入ってきた人物を見据えた。 「あなたが党内若手の造反騒ぎを起こした犯人ですね。――雪弥さん」 「――なんだ、バレちゃった?」  菅谷の視線を受け、その人物は悪びれもせずに微笑み、髪をかきあげる。  その顔は、現内閣総理大臣・安部晋之介と瓜二つだった。  雪弥は滑るように麻尾の横をすり抜け、ソファに腰掛けた。  歩いた後にうっすらと甘い香りが漂う。  岸 雪弥。  現在、与党に籍を置いて衆議院の議員を務める彼は、晋之介の双子の弟である。  叔父夫妻の養子となっているため苗字は異なるが、党内部でも彼らが双子であることは公然の事実であった。  「もしかして、今夜呼ばれたのはその話?」  しかし、微笑む雪弥が纏う雰囲気は、晋之介とまるで正反対である。  同じ容姿の晋之介が陽であるなら、雪弥は薄暗がりに密やかに佇むがごとき陰を秘めていた。  伏し目がちの瞳から時折送られる流し目からは、雄の本能を無性に掻き立てるフェロモンが匂い立つ。  小柄な肢体を包むスーツは光沢を帯びており、体の線が浮き上がる仕立てになっているため、所作のひとつひとつが艶めかしく見る者を挑発した。  いたずらっぽい笑みのまま、ソファへゆったりと腰掛ける姿は、とても党幹部の大物二人を相手にしているとは思えない。  「総理が就任して間もないこの大事な時期に、あなたはいったい何を考えているのですか」  菅谷は冷たく雪弥を見据えた。  「党を二つに割るなど、言語道断の所業です。下手をしたら、野党に転落もあり得る。それが分かっているのですか」  雪弥はとろりとした目つきで菅谷を見つめると、ふっと麻尾へ視線を流した。 「――若すぎる」  赤くふっくらとした唇から、艶めいたアルトの声がこぼれた。 「現在の内閣支持率は、若すぎる総理を国民が物珍しがっているだけだ。こんなかりそめの熱狂は、時間が経てば冷めるどころかマイナスに転じる」  菅谷が目を見開く。 「大体、あんな頼りない男が一国の責任を負って、各国の首脳陣と渡り合えるものか――」 「雪弥さん!」 「って、皆言うんだよ」  雪弥はため息をついてソファに体をうずめた。 「つまんないよね。ピロートークが下手な男は政治家には向かない」 「……全員と、ですか」  菅谷が唇を引き結んで、リストに視線を落とす。 「あなたはまさか、若手の不安をあおってお兄さんを追い落とそうと」 「まさか」  雪弥は首を振る。長い前髪がさらりと額にかかった。 「僕はただ、相槌を打っただけ。分かるよ、君が言ってることは他の人も言っていたから、って」 「お前……」 「そうしたら、何だか変な風にまとまりだしちゃってさ。妙な雲行きになりそうだったから、今夜にでも二人に報告しようと思ってたんだ」  雪弥は懐から書類を抜き出し、テーブルの上に滑らせた。  厳しい目つきのまま、菅谷がそれを広げる。  中に書かれていたのは、菅谷が作ったものと全く同じリストだった。  顔を上げた菅谷が書類を放り出した。 「それで言い逃れできるつもりですか。この話が露見しなければ、取り返しのつかない事態になっていたのですよ」 「成功するわけないよ。何かするつもりなら、民意党の江田野さんに話を回せって言ったら、彼ら、素直に江田野さんのところへすっ飛んで行ったからね」  雪弥は肩をすくめた。 「あの人が兄さんをどういう目で見てるのかはよく知ってる。彼が噛んでいれば、もしもの時に後手に回ることはないと思って保険をかけておいたんだ」  ふっ、と嘲るような笑い声を小さく漏らし、雪弥は足を組み替えた。 「ちっぽけな妬みや欲に目がくらむような奴らは、この先火種にしかならない。さっさとつまみ出しておかなきゃ、変な風に起爆されても迷惑」 「あなたが煽らねば、彼らはそもそも火種などにならなかったのでは?」  刺すような菅谷の言葉を受け止め、雪弥はうっすらと笑みの種類を変えた。  それは笑みの形でありながら、冷徹さと侮蔑を湛えたものだった。 「人に少しつつかれたくらいで党を裏切るような志の者は、兄さんのためにならないよ」 「……あくまでも、総理のためだとおっしゃるのですか」 「もちろん」  雪弥の顔から拭ったように冷たさが掻き消え、またいつもの小悪魔的な微笑みに戻った。 「僕が兄さんを裏切るわけないじゃないか」 「信用ならねえ」  菅谷が口を開く前に、麻尾が固い語調で吐き捨てた。 「…‥今回の件に関しちゃ、お前さんの言い分を飲もう。だが、俺はお前さんを信用しちゃいねえ。それをよく覚えておくんだな、雪弥」 「怒ってるね」  雪弥は小さく息をついた。麻尾へと体を傾け、小首をかしげる。 「そうやって凄む麻尾さんの顔が見たかった」 「ふざけるな」 「僕は本気だよ」  雪弥は足を組み替えた。甘い香りがまた薄く広がる。 「麻尾さんのピロートークには興味があるんだ。腕利きの外相の交渉技術、体験させてくれない?」  二人の視線が絡み合う。  先に視線を外したのは麻尾だった。 「あいにく、俺は辛党でな。お前がいくらケツにホイップクリームまぶして差し出して来ても、胸やけしか起きねえよ」 「食わず嫌いは良くないな。そういう人ほど、いったん甘党に落ちると抜け出せなくなる」  雪弥はふっと笑うと立ち上がった。 「――僕はそろそろ失礼するよ。この後、デートの約束があるんだ」  雪弥が去ると、菅谷は長いため息をついた。   「……どう思いますか、麻尾さん」 「雪弥か」  麻尾はネクタイをくつろげた。渋い顔になっている。 「今回、晋之介について俺達のどちらかでもロシアへ行っていたら、対処はしきれなかっただろう。……奴の目的は、晋之介を一人でロシアへ行かせることだ」  菅谷が息を呑む。 「あいつは晋之介を試してやがる。何が兄さんのためだ」 「……雪弥さんは、総理にとって代わりたいのでしょうか」 「おそらく、違うとは思う。権力には全く興味のない男だ」 「では、何がしたくて?」 「分からん」  麻尾は苦く呟いた。 「昔から、あいつの考えていることが分かった奴は誰もいねえよ」        ◆◇◆  薄暗く長い廊下を、プッチンは大股で歩いていた。  交渉相手である日本国総理大臣は、先ほど到着したと知らせが来ている。  後ろから小走りで着いてくる金髪の部下は、広く分厚いプッチンの背を見つめ、頬を赤らめていた。  その部下を振り返りもせずに進むプッチンは、若干25歳である総理が一人で乗り込んできたことに、意外さと共に怒りを覚えていた。  自然と歩調は早まり、部下は引き離されていく。 「日本は俺を舐めているのか……」  それとも、何か策があってのことか。  プッチンは鼻を鳴らした。 「ヒツジが下らん策をめぐらせたところで、まるごと嚙みちぎってやれば問題ない」  プッチンが筋肉をきしませて歯ぎしりしつつ廊下を曲がろうとした時、目の前をさっと何かがよぎった。          ドンッ! 「なっ!?」  いきなり飛び出してきた小柄な影がプッチンにぶつかり、反動でもつれあって転がる。  反射的にプッチンの体が動き、あっという間にぶつかってきた影はプッチンに組み敷かれていた。 「貴様っ、刺客か!?」  首相就任から今まで実に150回も暗殺されかかったプッチンからしてみれば無理からぬ問いであった。  相手は抵抗らしい抵抗もせず、きょとんとプッチンを見上げて来る。 「あっ、あの、すみません、前を見ていなくて……!」  鼻が触れ合いそうなほど至近距離で二人は見つめ合った。  黒い柔らかそうな髪に、まだ幼さすら残る黒い瞳。  それは異国の青年だった。  こちらを見上げる瞳に殺気が含まれていないことを見て取りながら、プッチンは片手で青年の両手を戒めたまま、素早く彼の体をまさぐった。 「あ、あっ、ちょ……」 「暗器の類は持っていないようだな」  本来なら尻の穴まで確認したいところだが、身もだえる青年は隙だらけでまるで緊張感を感じないため、プッチンは手を離して立ち上がった。 「気をつけろ」 「す、すみません、慣れない場所だったもので」  もたもたと書類をかき集める様は、確かに物慣れていない。  舌打ちしたプッチンは、さっさと書類を拾い上げて青年に突き付けた。  もちろん、青年がいつ襲い掛かってきたとしても、一瞬で首の骨を叩き折れる自信があるゆえである。 「あ、ご親切にありがとうございます」  青年は受け取ると、ぱっと笑顔を浮かべて頭を下げた。 「すみません、急ぎますので失礼します」  プッチンが何か言う前に、青年は小走りで去っていった。 「……何だアイツは」  留学生のアルバイトだろうか。 「閣下?」  ようやく追いついて来た金髪の部下が、不審そうな声をかけてきて、初めてプッチンは青年の背を見送っていた自分に気がついた。 「どうなさいましたか」 「……いや、何でもない」 プッチンは首を振り、さっと歩き出した。 「――閣下、こちらで日本国首相のシンノスケ・アベがお待ちです」 「うむ」  プッチンはドアの前で全身の筋肉を緊張させた。  スーツがミシミシときしむ。  胸に秘めた牙が鋭くとがっていることを確認すると、プッチンは頷いた。  金髪の部下が開いたドアをくぐり、部屋に入ると、中でテーブルについていた人物が慌てて立ち上がった。 「初めまして、僕はシンノスケ・アベ……あっ」  頭を下げかけた相手が息を呑む。  プッチンもまた、目を見開いていた。 「お前は、さっきの……!」  そこに立っていたのは、先ほど廊下でぶつかってきた異国の青年だった。

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