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第3話:死にたがりのララバイ
ベッドルームの灯りは消されていて、ロクの白い肌が時折光る雷に照らされ浮かび上がる。
ベッドに腰掛けた水野がサイドテーブルのタバコに手を伸ばすと、ロクが後ろから抱きつくように手を回し、用意していたらしいタバコを水野の口へ挿し込んだ。
「それで、今回は何の仕事?」
そのままライターで火をつけてやり、さらりと尋ねる。
自分がこの男に呼ばれたという事は、仕事かセックスかその両方か、とにかくそういう事であると自覚している。
「まだ調べ中だが、山埜井になるだろうな」
「思いっきり難易度高いのがいい」
「……どうしてそんなに死に急ぐんだ、お前は」
この場合、難易度が高ければ高いほど生還の確率は低くなる。
ロクはどうしてそこまでして死に向かっていくのだろうか。
生きることだけを考えてきた自分には到底理解できないだろうと今まで尋ねたことはなかったが、何故だか思わず尋ねていた。
「死にたいから」
「いつもそれだな。死にたい、殺してくれって」
「死ぬことが生きることの目的だから」
意味が分からんと一蹴するには、ロクの瞳は真剣すぎた。
無意識に息を呑み、極道の世界で生き抜いて来た自分が気圧された事に少しばかり動揺する。
「でも、似てると思うよ。あんたと俺」
「はっ、どこが」
生きることに執着している自分と似ているというロクに、今度は反論しながらも、どこかしら重なる部分があるということは水野も感じていた。
生と死、全く反対であるが、どこか似ている。
確信的なものは何も無かったが、ただぼんやりとそう思っていた。
「今日はよく喋るな」
どうも調子が狂う。
話を逸らそうとからかい気味に言うと、ロクは水野の首に絡ませていた腕を離して言った。
「雨の日は余計に死にたくなるんだ」
ロクが眉尻を下げて悲しげに笑ったその時、水野の携帯の着信が鳴った。
ディスプレイには、直属の部下の名前が表示されている。
「何だ」
『カシラ、部屋にいますか』
緊迫した声で安否を確認するような部下に、水野は直感的に何かが起こった事を感じ取った。それも、すこぶる悪い方の何かだ。
『志藤会の久須 がやられました』
「ああ? いつだ」
『三時間ほど前です』
久須は志藤会の本部長を務める幹部である。随分と早く事が動きすぎではないか。
「状況は」
『詳しくは分かりませんが、桜東組を名乗る男のカチコミだった、と。久須の他にも五人ほど組員が居たらしいんですが、一人を残して他はやられたみたいです』
単独のカチコミでそれだけの人数を相手にするとは、手練れである事に間違いない。一人は『証人』として生かされたと考えるべきだろう。後は桜東組の幹部あたりを殺し、全力で潰し合いをするよう仕掛けてくるはずだ。
「やったのはどんなヤツだ」
『上下黒の服装で、目出しを被った小柄な男だったと』
「……なん、」
それを聞き、俄かに水野の背筋が凍る。
覚えがあった。
多人数の組事務所へ単独乗り込み、意図的に一人を残して他を始末し、尚且つ生きていられるような男。
黒の上下で、小柄な、おそらく全身に傷痕があるであろう、綺麗な顔の男。
『とにかく、用心してください。誰が狙われるか……』
部下の言葉を最後まで聞かず、水野は通話を切った。
そして、そこに居るであろうその男の方をゆっくりと振り向く。
「……お前、何してた」
「何って?」
「ここに来る前、何してた」
「……雨に、降られたんだ」
黒い服は返り血を目立たなくし、雨は血の匂いも洗い流してくれる。
だから。
「わざと、濡れて来たのか」
「……着替える時間が無くて。早く会いたかったから」
その返答は、暗にイエスを示している。
それは、水野が何を言わんとしているのかを察しているという事に他ならなかった。
「てめぇ、ナメた真似……!」
言って一歩前に踏み出して、どういう訳か力が抜けてガクリと膝から崩れ落ちる。
俄に息が苦しくなり、目の前が霞んで見えた。
「タバコに、何か仕込みやがったか……」
ひぅひぅ苦しくなる息で、ベッドの上から自分を見下ろすロクを睨みあげる。
どうしてこんな事をと言いかけて、すぐに止めた。答えはたぶん、決まっている。
死にたかったから。
きっとそうだろう。
桜東組の若頭に飼われる身で、山埜井の話に乗り桜東組と志藤会、両方の組織の組員を狙う。こんなにリスクのある、いつ死んでもおかしくない仕事は他に無い。
「……そんなに、死にてぇか……」
「また死ねなかった」
クスリと笑うロクは、どこか物悲しい笑みを浮かべていた。
徐々に意識が遠ざかる。耳に届く雨音に、水野は自嘲した。
転機はいつも、梅雨の時期なのだ。
「でも、本当に思ったんだ」
ストロボの光のような稲妻が、見下ろすロクを青白く照らす。
「あんたに殺されたいって」
薄れていく視界の中で、ロクが涙を零していた。
「ロ……」
「おやすみなさい、水野さん」
――死にたいと言いながら、お前はたぶん、誰よりも。
走り出した車両にマスコミ各社が一斉に群がって、カメラを向け、フラッシュを焚き、様子をリポートしている。
「17年前の暴力団構成員刺殺事件を彷彿とさせる今回の事件ですが、少年の様子を伺い知ることは出来ません!」
半ば強引に進む車両の中で、少年は薄いため息とともに呟いた。
「……死ねなかったなぁ」
雨はまだ、降り続いている。
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