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第2話:死なずの死にたがり

 荒天は続いている。  緩めたネクタイをしゅるりと抜き取り、水野は再びカウチに腰掛けた。  スーツのベストのボタンを片手で外し、ワイシャツのボタンも3つ目まで外して首元を楽にする。胸ポケットからタバコを出しつつテレビを付けると、女性アナウンサーが神妙な面持ちでニュースを伝えていた。 「倉庫街で計五名の遺体が発見された事件の続報です。遺体の身元は指定暴力団、桜東組傘下の構成員二名と、同じく指定暴力団、志藤会の構成員三名と判明しました。いずれも拳銃のようなもので撃たれた痕があるということで、警察は志藤会三次団体の長尾(ながお)組長が殺害された事を発端に、二つの組織の抗争が……」 「抗争ね……」  冷ややかに画面を見つめ紫煙をくゆらせる水野には、事件の裏が見えていた。  これは、仕組まれた抗争だ。  長尾が殺された現場に桜東組の代紋が入ったバッジが残されていたことが事の発端であるが、わざわざそんなものを残していくことが不自然である。  元より桜東組と志藤会はシマ争いで対立関係にあり、いつ抗争が起こってもおかしくない状態であった事は確かだが、今回の件にしても、遺体で見つかったのは両組織共に末端の構成員である。五人全員が致命傷を与えられるほど拳銃に慣れていたとは考え辛い。  何より、数年前に跡目争いで志藤会から分裂した山埜井(やまのい)組が妙に静かな事が気にかかっていた。  水野は、桜東組と志藤会の混乱に乗じて一大勢力へのし上がりたい山埜井組が仕組んだ事だろうと考えている。そして、次は幹部級の人物を狙い、本格的な抗争へ持ち込むつもりだろうとも予想していた。  その為、水野は数日前からこのホテルに身を寄せている。 「殺されてたまるかよ」  舌打ちをしてテレビを消し、灰皿にタバコを押し付ける。  ガラス天板のローテーブルに置かれたミネラルウォーターに手を伸ばしたところで、部屋の内線が鳴らされた。 「お休みのところ失礼致します、坂本(さかもと)様」  内線はVIPフロアに常駐しているコンシェルジュからだった。  坂本というのは桜東組のフロント企業として不動産関連会社の代表を勤める水野の偽名で、『本職』を隠す為のものである。 「お連れ様がご到着されましたが、ご案内差し上げても……」  予め、今日は友人が宿泊すると伝えてあった。  どうやらその人物が到着したようだが、何やらコンシェルジュが困惑している様子である。 「ええ、結構ですよ」  左様で、とまだ困惑を残す返答があり、次いで「では、ご案内致します」と言って内線は切れた。  程なくして部屋のベルが鳴らされる。水野は覗き穴から外の人物を確認して、コンシェルジュが困惑していたのはこれかと、くつくつ喉を鳴らした。  そこに立っていたのは、黒いTシャツとチノパンを身体に張り付かせた、濡れ鼠の青年だった。 「そのナリで来たのか、ロク」  コンシェルジュにさぞかし訝しげな視線を向けられた事だろう。クックッと笑う水野に、ロクと呼ばれたずぶ濡れの青年が、端正な顔立ちを少しばかりむくれされて答えた。 「傘が役に立たなかったから」 「さすがのお前も雨には勝てねぇか」  文字通り水の滴るロクを室内へ招き入れようとすると、青年はすとんと正面から水野の胸にもたれかかった。 「おい、濡れるだろ」  言いながら、それでもロクの濡れた黒髪を撫でてやる。  もう一方の手で肩を抱き、体を反転させ扉を閉めると、顎を掴んで此方を向かせ、乱暴に唇を重ねた。 「は、ん……」  雨に濡れた冷たい唇から、熱い吐息が漏れる。  漏れた息を塞ぐように舌をねじ込み、上顎を舐り、歯列をなぞる。また、吐息が漏れる。  しばらくそうして深い口付けを楽しむと、ロクはその余韻を残したままの瞳を水野に向けて言った。 「……風呂、入りたい」 ***  広さのあるバスルームに、シャワーの水音が響く。  バスタブの横に設けられたガラス張りのシャワーブースで、水野はロクを後ろから抱き竦めた。 「また傷が増えたか」  首筋に舌を這わせながら、臍のあたりをまさぐり傷跡を確かめる。  男性にしては華奢でありながら、しなやかに鍛えられた身体には、あちこちに傷跡が残されていて、腹部にナイフで切られたようなまだ新しい傷が出来ていた。 「あんたのせいだよ」  ロクは乳首を弄んでいた水野の手を取り自ら下腹部へ誘いながら、熱っぽい流し目を向けた。  ロクは水野が飼っている殺し屋である。  水野より一回り以上も下であるが、その歳にして腕の立つ殺し屋だった。  自ら『鉄砲玉屋』と名乗る変わった男で、危険が増せば増すほど仕事に魅力を感じるという。行ってこいであるはずの鉄砲玉だが、しかし瀕死を負っても必ず生還するということを繰り返している。  おかけで、ロクの身体には傷が絶えない。  何がこの男をそんなにもせっつかせるのか誰にも理由は分からないが、その様は死にたがっているようであり、「死にたがりのロク」「死なずの死にたがり」というのが通り名だった。  水野が初めてロクと出会ったのは、一年ほど前。 「面白い奴がいる」と幹部の一人に紹介され、土地買収の後始末を依頼したことがきっかけだった。  鉄砲玉を買って出るような輩である。どれほど筋者じみた見た目をしているのかと思っていたが、ロクは艶やかな黒髪の、色白な青年であった。  さすがに驚いて、水野はロクの上から下、下から上へと何度か視線を往復させた。  年の頃はハタチそこそこ。178センチの水野より10センチほど背が低い。細身であるが、半袖から伸びる腕はしなやかに筋肉がついていて、鍛えられていることを窺わせた。どこか薄幸そうにみえるのは、肌の白さのせいだろうか。  その白い肌に走る傷跡が妙に映え、それがどこか神々しく、美しく。は『生きている』のだと思わされた。  有り体に言えば、惚れたのである。それも、一目惚れだった。  それからロクを口説き落とし、自分の手元に置いている。 「ひぅっ……!」  自分のモノを扱かれ、後ろでは激しいピストンを加えられながらガラスに押し付けられたロクの嬌声が、シャワーの音に交じる。  泣きだしそうな顔をガラスに押し付けよがるロクを背面から眺めながら、水野は言い知れぬ征服感に高揚した。 「どうだ、イイか、おい」  ロクのうなじを押さえつけ、ガラスに擦り付ける。  ひゅう、と苦しそうな息をして、ロクがふるりと身体を震わせた。 「ころして」  吐息と一緒に切なげに漏れたのは、いつもオーガズムに達する寸前にロクがうわ言のように呟く言葉だった。 「おれを、ころしてよ……」

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