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第37話 恋がはしゃぐ

 そうめん美味しかった。  先生と二人でお膳囲んで食べたんだ。エアコンがなくても風がよく通るからか、暑くなくて。外の蝉の鳴き声がよく聞こえた。蝉の音なんてあまり好きじゃなかったはずなのに。 「あっち、アチチチ」 「抱っこしてやろうか?」 「え? うわぁ!」  冗談だと思うじゃん。だって、先生、すごい悪戯っぽく笑ってたし。それにまだTシャツも脱いでないし、かろうじて、ビーサンを浜辺の岩肌のところに置いてきたけれど。ものすごい軽装、水着にビーチサンダルでTシャツを着てただけ。ラッシュガードは? っていうから、持ってないって答えたんだ。だって、日焼け対策なんて必要ないんだもん。毎回毎回、どこでどれだけ日に当たろうが赤くなって終わってしまう。色白のままちっとも変わらないんだ。だからガードする必要がなくて、持っていない。  そんな俺をTシャツごと先生が海に投げ入れた。 「ちょっ、うわああああ!」  一瞬でふわりと浮き上がって、暴れる暇もなくそのまま海に早歩きで向かう先生に投げ飛ばされた。すごい水音。すごい衝撃。けど、俺、泳ぎなら得意だもん。 「もおおお! 先生!」  怒って立ち上がると先生が大きな口を開けて笑ってた。  先生が声に出して、笑ってる。 「信じらんない! 投げた!」  ほら、またすごい楽しそうに笑ってる。  夏真っ盛り、ここに来るまでの間、いくつかあったビーチはどこもものすごい混雑で満員のプレートを掲げた人があっちこっちに立っていた。でも、ここは、プライベートビーチっていうか、海の家もなければシャワーもなくて、観光客は皆素通りだった。地元の人しか来ないようなビーチっていうよりかは海岸。 「どこかぶつけたか?」 「……へ、平気」  大きな声で笑ってたのに、急に俺の手首を掴んで引き寄せて、抱き締めないと聞こえないような低い声で心配なんてさ。 「びしょ濡れだな」 「せ、先生が投げたせいじゃん」 「まぁな」 「服、濡れちゃったじゃん」 「脱がせるわけ、ないだろ」  くすっ、て穏やかに先生が笑った。静かなこの海みたいに小さな波音に似た声で囁かれたら、ちょっと、無理。 「……まったく」 「先生……好……ン」  キスしたくなる。だから好きって言って、キスをねだろうと思ったけれど。ねだる前にもらえた。先生から、キスを海の中、誰もいなくて、岩陰に隠れながら、先生に抱っこされたまま。 「ん……先生……」 「ん?」  唇を啄ばまれて、蕩けそう。 「あの、ね……先生」  嬉しくて、溶けちゃいそう。 「連れて来てくれてありがとう」 「……」 「すっごい、嬉しかった」 「……あぁ、俺もだ」  好きって口にしていないけれど、でも伝わった? 今、齧り付くようキスくれたけど、たくさん伝わった? この抱きついてる腕から。  ほぼ空き家状態だったんだ。お昼のそうめんとめんつゆは先生があらかじめ持参してくれてたおかげ。でも夕飯の材料まではない。冷蔵庫はもちろん空っぽに決ってる。  掃除をして布団を干して、あと買い物しないと。けれど、着替えなんて持って来ていない。先生が海に俺を放り込んでびしょ濡れで、夕飯の買い物いけないよ? って思ったんだ。  びっくりした。  最寄のスーパーまで片道二十分くらいかかるのも、その間にTシャツが乾いてしまうのも。 「田舎だろ? 自転車でよく母親とそこのスーパーに買い物に行ってた。週末だけな」 「平日は、お仕事?」 「まぁな」  お母さんと二人暮しなら、きっと仕事していただろうから。  そっか、ここの道を自転車で。そう思いながら海辺に目を向けると、夕方になって潮が満ちて、波は穏やかになった。 「自転車のカゴいっぱいに食材買い込んで」 「……」 「ちょうど、うちの手前にある坂がきつくてな」  たしかに坂になってた。うちに向かうには上り坂。でも学校や出かける時には楽チン。急坂じゃないけれど、そこの坂道をカゴいっぱいに荷物があるなら大変かもしれない。 「どこに行くのも歩きじゃ難しくて。なんもないし。あるのは海くらいなもんだ」 「……」 「それに潮風、ベタつくだろ?」  並んだ言葉はあまり褒めていないようだけれど、そう呟く先生の横顔は少し笑ってる。  先生はここで育った。 「……田舎だ」 「……うん」  そうだね。俺が住んでるところに比べたらずっとそうだと思う。 「けど、静かで好きだよ」  たしかに海からずっと風が吹いている。少しベタつくし、ずっと潮のにおいがしてる。でも、何もないけれど落ち着くよ。  先生が育ったここが――。 「あぁ、俺も、好きだよ」 「うん。素敵なとこだよね、俺、こういうとこ好き」 「……お前のこと」  目を細めて、優しく微笑む先生の前髪を潮風が揺らしてる。 「好きだよ」  今日は「先生」をしていない俺の先生が、眩しそうに目を細めて、そう呟いたんだ。 「夕飯、何にするか、葎」  ねぇ、先生。 「早く行くぞ。片道でこれだけ歩くってことは帰りもそれだけ歩くからな」  ねぇねぇ、先生。俺も先生のこと好きだよ。大好きだよ。いつもいつも何回も今まで告げたけれど、もう、なんでだよ。なんで、今、一番言いたい言葉なのに、そんな時に限って出て来ないなんて。  胸がいっぱいで出てこないなんて、もう、本当に。 「葎、ほら、へばってもおんぶは、……」  好きって、今すごく伝えたいから、精一杯つま先立ちをして、肩にしがみ付きながら口付けた。  うんとうんと背伸びをして、その唇に触れたんだ。  そうめんをお昼にあんなに食べたのに、夕飯のおかずを考えてたら急にお腹が減り出して、たまらずパンを買っちゃった。  コロッケパンとメンチカツパン。  それを半分ずつにしてどっちの味も食べられるように。  帰ってからもご飯食べるよ? って言ったら、また笑ってた。ちょっと調子に乗りすぎたかな。でもさ、今日の先生がよく笑うから嬉しくてついはしゃいじゃうんだ。  お夕飯はお米を炊けないから焼きそば。あと海苔巻きをスーパーで買ってきて、二人で食べた。  向かい合わせで囲む食卓はなんだかとても夢みたいで、嬉しくて、楽しくて、ちょっと食べ過ぎちゃったかもしれない。食いしん坊だと呆れたかな。  育ち盛りだからとか思われなくない。  子どもだって思われなくない。 「今日は色々ありがとな。葎」 「……え?」  食器を洗い終えたところだった。まるで今日一日のまとめみたいな言葉を言われて、思わず振り返っちゃったじゃん。 「疲れたろ?」 「……」  それは、子ども扱い? それとも、牽制?  ねぇ、どっちもやだ。だから、Tシャツの裾を掴んで、クン、って引っ張った。 「……先生」  そういうの考えたりもした、よね? もう何度もしてる相手をここに連れて来たのって、そういうのもありえるって思ったよね。俺のこと、ここに上げたのは、セックスだってありえるって思ってのこと、だよね? 「布団、今日も干したし、普段はいとこ達が管理手伝ってくれてるから大丈夫だぞ? 眠かったら」 「しないの?」  さっきくれた「好き」はセックスだってしていい「好き」だよね? 「今日、しない、の?」 「……」 「したい、から、お風呂先に入っていい?」  やっと、捕まえられる。 「準備、してくるから、先に入ってもいい?」  先生のこと。 「待ってて」  急がなくちゃ。  早くしないと先生の気が変わってしまうかもしれない。やっぱりって、さっきの「好き」を取り消してしまうかもしれない。だって、先生はずっとくれなかったもん。でも、俺とセックスする時、すごく可愛がってくれてた。言葉以外ではたくさん伝えてくれた。それでもくれなかった言葉だったから、早くしないと、また隠してしまうかもしれないでしょ?  先生はまた好きをどこかに隠してしまうかもしれないから、慌ててお風呂で準備をしないとって、急いで裸に――。 「葎」 「!」  下着を脱ごうとして手を止められて、間に合わなかったのかと思って、身体が竦み上がる。 「……せ」  そんな俺の下着を脱がせてくれたのは、先生だった。 「ぁっ……ン」  キスをして、首筋にキスマークをつけて、もう反応しかかってる股間を撫でてくれたのは先生の大きな手。 「先生」 「……慌てなくていいから」  先生が笑った。 「好きだよ」  笑って、甘く口付けられて、この大きな手の中で溶けちゃうって、本気で思った。

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