8 / 8

after party -2-

…で、今、ここ。  春川ちゃんはあたしのベッドの上で伸びている。  横には、これまた礼服姿のままの咲伯。春川ちゃんのほうに体を向けて寝ころび、片肘をついてそこに頭を乗せている。  そんな二人を、あたしはドレッサーの前の椅子に腰かけて眺める。 「冷水になんて言ったの。」  さっきのワクワクの続きがどうにも止まらない。 「……。別に。なにも言ってないよ。」 「バトったって言ったじゃない。なにを言ったの?」  言ってごらんなさいよサアサア!  咲伯は春川ちゃんの横に体を伸ばしたまま、片手を春川ちゃんの顔の上にかざして、手の甲でそっと春川ちゃんの頬を撫でた。 …深刻な内容だったのかしら。ちょっと心配になってきた。 「…なにか、冷水の癇に障るようなことを言ったわけ?」 「ううん。ぼくは冷水のことも好きだよって、そう言っただけ。」 「…そしたら?」 「『私もあなたのことが好きですよ』って。」 「………。」  変な二人。でも、それらしい二人。 「でも、ハルはもう、ぼくだけのものじゃないからって。」  咲伯は、春川ちゃんを撫でるのをやめて、ゆっくりと肘を折り曲げ、手首を枕に春川ちゃんの寝顔をじっと見た。 「…冷水は気づいたんだって。愛という感情に。」  咲伯は深呼吸をするように一度大きく息を吸って、吸い込んだ空気を静かに吐き出しながら続けた。 「ぼくはまだ気づいてないんだって、言われた。初めてだよ。冷水が自分の感情について本気で語る様子を見たのは。」  敗北を悟って落ち込んでいるのかしら…  そう思った矢先、咲伯は肩で小さく笑ってみせた。 「相変わらずワクワクさせてくれるよね、ハルは。」 「…ワクワクさせる?」 「ハルが来てから、ぼくらの間には初めてのことばかり巻き起こる。」  あたしは思わずクスリと笑った。 「誰かさんが泣いちゃったりね。」 「そうだよ。あーそういえば冷水が泣くとこ、きみ見たことないでしょう。」  それから咲伯はあたしを見てにやっと笑ってみせた。 「…そのうち見られるかもね。」  あら。 「今度は冷水を泣かすつもり?」 「だってハルがぼくのところへ戻ってきたら、今度は冷水が泣く番でしょう。」  さらりと言ってのける。  あきれちゃう。  でも、あたしは今、そんな二人にワクワクしている。  ひとつのものを奪い合うなんて、今までの二人にはあり得なかったことだもの。 「自信家ね。」  くすくす笑いながら言うと、咲伯はあたしを見たままふふふ、と不敵に笑った。 「当然だよ。ぼくが本気になったんだから。」  まあ。 「ぼくが欲しいと思って手に入らなかったものはない。ハルはぼくのもの。だって、ぼくにはそれだけの自信とパワーがあるからさ。」  うふふ、おばかさん。 「(パワー)なんてないわよ。愛の前ではみんな無力。」  咲伯は軽やかに笑い飛ばした。 「確かに。…いいの。自信はあるから。」  言いながら笑うその顔は、今まで見てきたどの笑顔よりも極上で、最高に魅力的。  北風のような冷たさを持つ冷水と、太陽のような温もりを持つ咲伯。  そんな二人に愛されて、春川ちゃんはどちらにハートを開くのかしら。  定説では太陽が勝っている。  でも、北風の隠れた魅力に気づいた旅人は、今、あえて北風へ向かって突き進もうとしている。硬く絞めていたコートもあっけなく脱いでしまった。  温もりだけでは勝てないと気づいた太陽は、果たして次に、どんな作戦に出るのかしら。  そのとき春川ちゃんが小さく咳き込んだ。 「……うぅ…」 「起きた?春川ちゃん。漢方飲んでおく?」 「み…みず…」  咲伯が体を起こして春川ちゃんの上半身を支えてあげる。  春川ちゃんは、あたしが差し出した粉薬を一気に口に入れ、あまりの苦さに「ウッ」と顔をしかめた。そのあとでお水を一気に何口か飲み、 「…ふはーっ…」 と一息ついたあと、再びペットボトルに口をつけて今度は一気に飲み干した。 「…おいひい…」 「ええそうよかったわね。さ、着替えましょう。楽な恰好で寝ましょうね。」 「……」  本人の意識はほとんどないみたい。あたしの言葉に手をネクタイまで持っていき、ぎゅうぎゅうの固結びになっているところをさらに乱暴に引っ張っている。 「はは。」  咲伯が軽く笑いながら春川ちゃんの指を握る。春川ちゃんの指がネクタイから離れたので、その隙に固結びをほどいてあげる。  咲伯は春川ちゃんの指を自分の口元へ持っていき、優しくキスをした。  あたしの心はまた高鳴る。  シャツのボタンを外し終わって、背広とシャツを一緒に脱がしてあげて、下着を引っ張り上げたところで事件は起きた。 「はい、万歳して春川ちゃん、腕上げてー。」 「…ふ……」  下着をまくり上げてあたしは一瞬固まった。  同時に咲伯も固まった。  春川ちゃんの胸に、くっきりと歯型が残っている。  キスマークも、首筋のものとは比べ物にならないほど、濃い。 「う、うぅん!」  あたしが固まったものだから春川ちゃんは自力で下着から頭を抜くと、咲伯の腕をすり抜けてそのままごろん、とベッドに倒れた。  咲伯とあたしの中にある冷水の辞書に、『情熱』という言葉が加わった瞬間だった。 「ぼくの春川をキズモノにして冷水許さない!!」 咲伯は悔しそうにわめき始めた。 「ぼくだってこんなことしたことないのに!!」 「……んうぅ…ん…… …てんちょ…うるさい…」 「…ハ、ハル……!」  顔をしかめた春川ちゃんがころんと寝返りを打つと、細くてかわいい背中には薄い引っかき傷が何本か認められた。 「…あぁ…ッ!冷水のやつ…!!」 「うるさいわね起きちゃう。ねぇもっと探してみましょうよ♡」 「やだもう誰にも触らせない!!」  咲伯は飛びつくようにして春川ちゃんを抱きしめると、またぼろぼろと泣き始めた。…昨日とは全然違う感じだけれど。 「うるさいとかっ…ぼくに…そんなこと言うなんてハル…ひどいぞ…ぼくは、きみのパトロンなのに……」 「ハイハイ。明かり落とすわよ。もうそのまま寝なさい二人とも。明日冷水に怒られても知らないんだから。」 「怖くないさ冷水なんか!返り討ちにしてくれるんだからぼくは!!」 「もうちょっと後ろに下がりなさいよ、あたしも寝るんだから。」  羽毛布団のうえに寝転がる二人の上にさらに布団を重ね、ベッドに潜り込む。  咲伯はそのあともぶうぶう泣き言を漏らしていたけれど、そのうち春川ちゃんを抱き枕にしてふて寝してしまった。  あたしはそんな二人をしばらく眺めて、お酒臭い二人を抱えるようにして眠りについた。  無邪気に眠る仔羊たちを見守る聖母の気分で。    ┏━━━━━━━━━━━━━━  ┌─╂───  ━┿━┛ ─┘  なぜ春川が、咲伯と安堂に挟まれて、安堂のベッドで寝ているのか。  経緯はわからないがまあとにかく無事で良かった。  昨夜はまさか春川が私の部屋に来るとは思わなかった。 『ど~も~、夜這いれえす…ネクタイ取れなくて、とりあえずこっ、こっから脱がしてもらっ、もらって、いいれふか?』  はだけたシャツの隙間から赤みを帯びた鎖骨をのぞかせながらふらふらと手を伸ばしてくるその様子は実に無邪気で愛くるしく、しかし妙に艶っぽくもあり、私は対処法がわからず慌てふためいて思わずそのまま回れ右をさせて帰してしまった。  が、そのあと咲伯が春川を探して訪ねてきたので自室には帰り着いていなかったということだ。咲伯が去ったとたんに不安になった。  しばらく屋敷内を探してみたものの春川の姿は見当たらない。  廊下の角を曲がる度にその向こうで春川が倒れているのではと不安に駆られたが、最終的には安堂の部屋にいた。悪いとは思ったが鍵が開いていたので覗いてみると、どうやらベッドに3体いるようだったのでようやく安心して眠りにつくことができた。  そういえば最近はずいぶんと楽になった。  以前私が倒れてしまったことをきっかけに、春川が、カフェが閑散とする昼間の数時間、私に仮眠を取らせてくれるようになったからだ。  カフェの事務室の奥にもともとあった咲伯の私物(ビリヤード台やテーブルサッカーなど)が取り払われ、仮眠用の酸素カプセルまで用意された。馬鹿な咲伯が面白がって黒塗りの棺桶型のカプセルを特注したので最初は抵抗があったものの、それに入ってしまうと光や物音が一切遮断され、これが実に心地いい。  寝起きの顔がひど過ぎる、と、起こしに来た春川にくすくすと笑われている。  結局春川は約束の時間になっても現れなかったが、おそらく咲伯が昨日飲ませ過ぎたワインのせいで起きられなかったのだろう。咲伯の作戦は陳腐で単純だが、素直で純粋無垢な春川は逆らえない。  市場での買い出しも終わり、朝食の準備も終わってまたここにいる。安堂のドレッサーの前に座り、静かな寝息を立てる三人を眺めている。  安らかな光景だ。  カーテンの隙間から染み込む朝の光。  守り続けたいひとたちが、静寂のなか、愛に満たされ、のどやかに眠り込んでいる。  幼い頃、弟の寝顔を見つめながら、私はひどく不安だった。  親も無く知り合いも無く、私には弟がすべてで、彼を無事に育むことだけを考えていた。  どうしても守ってあげたかった。なのに、それは叶わなかった。引き裂かれた弟のことを思うと今でも胸が痛む。  弟が私から離れていき、ヒミズ氏に拾われて咲伯に逢うまでは、毎日は色あせ、不安は闇のように私を覆いつくし、私は、もう今生では生きる意味などないとさえ思っていた。  子どもだったのだ。おそらく弟より未熟で、私は自分がいる世界のことを何もわかっていなかった。わかろうともしていなかった。  今はちがう。  今の私には、愛するひとを守る自信も、力もある。  春川がどうやら覚醒したようだ。  ベッドの真ん中が先ほどからもこもこと動いては、まだ夢の中にいるらしい咲伯に押さえ込まれている。大男二人に挟まれて、あれだけ密着されていればさぞ熱いだろう。  私の愛するひとが、皆の愛情に包まれ、幸せでいてよかった。  私の弟も、この世界のどこかで、幸せであってほしいと思う。  さて…  そろそろ叩き起こすか。  新しい一日の始まりだ。 「after party」END

ともだちにシェアしよう!