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after party -1-
本編は前話で完結です。これより番外編となります。
「続2月14日」の続編として、その後の4人の仲睦まじい人間模様をお楽しみください。これにてシリーズ完結です。
(全2話)
…・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
お昼過ぎ。
俺とヒミズさんが買い出しから帰ると、店長もアンドーさんもリビングのソファでのびていた。
「おそーい!」
「おなかすいたわヒミズ…」
ランチがすっかり遅くなって、店長もアンドーさんもとても不機嫌だった。
でもヒミズさんが、
「早めに夕食の下ごしらえに取り掛かりたいので、昼食はカップラーメンとコンビニおにぎりで我慢してください。」
と言うと、店長は一気にテンションを上げた。
「えっ!?カップラーメン食べていいの!?何味!?」
…店長はあまり食べたことがなくてうれしかったらしい。アンドーさんはげんなりしていた。
俺は腰がすごくすごーく筋肉痛で、せっかくヒミズさん直伝のケーキのレシピを教えてもらえるというのにひいひいしていたけど、ヒミズさんはけろりとしていた。なんで平気なんだこのひと…ただ単に、俺が調子に乗り過ぎてしまっただけなのか…
…うう。お尻もいたい…
店長は久方ぶりのラーメンに上機嫌で、よほど夢中になっていたのか、俺の妙な動きや、買い出しに行く前と若干違っている俺の服装には気づかなかったようだ。
お祝いだからということで、今日のディナーは礼服に着替えて取ろうと店長が言い出す。
礼服を持っていない俺が戸惑っていると、なんと、3人が俺に礼服をプレゼントしてくれた。俺に内緒で用意してくれていたのだ。
「大学を卒業するんだから、社会人としてこれくらいは持っていないとね。2着目以降はパトロンのぼくが用意してあげる。」
予想だにしなかったプレゼントに俺が涙ぐんでいると、アンドーさんが白いハンカチをくれた。俺は涙もろいと思われているらしい。みんなの優しさに、そのあとほんとに少し泣いてしまった。
髪の毛もアンドーさんがきれいにセットしてくれた。
礼服を汚さないように前掛けをばっちりつけて、みんなに笑われながらディナーを食べた。
フルコースは、大皿に盛り付けて一度に出してもらい、みんなで取り分ける。このスタイルは料理を出すタイミングや温度にも気を遣うヒミズさんにとっては耐えがたいことかもしれないけど、こうしたほうがヒミズさんもゆっくりディナーに参加できるから、最近はいつもこうしてもらう。
俺の大好きな中庭も、今夜は淡い橙色にライトアップされていて最高にきれい。
安堂さんの礼服は光沢のある純白で、中にピンクの細いストライプが入ったシャツを合わせていて、それにダークレッドのネクタイがばっちりときまって眩しいくらいだった。淡いグリーンのハンカチをスーツの胸元からちらりとのぞかせているところもさすがだ。あれをカフェでやったらハーレムが出来そう。
黒い礼服を身にまとったヒミズさんは、いつも見ているソムリエエプロンの姿とは印象が全然違い(当然だ)、まるでブランドスーツを見事に着こなした海外のモデルさんのようで、すらりとした体の線と美しい所作に俺はいちいち目を奪われた。
でも意外にも、三人の中では店長の礼服姿が一番かっこよかった。濃紺のスーツをバリッと着こなした姿をひと目見ただけで、俺の中にいたいつもの店長のふにゃふにゃしたイメージは完全に払拭され、浄化されてしまった。
威厳と自信に満ちあふれた『恐れ知らずの起業家』といった感じ。すごく似合っていたけど、そういったイメージを思い浮かべてからは頭からどうにもその印象が離れなくなって、(ああこのひと、本物なんだ)、と、俺は改めて店長の生まれ(大富豪)を思い知った。
ディナーの最中、店長は俺の卒業制作の出来を何度も褒めてくれて、ヒミズさんも俺が作ったラムレーズンのことを珍しく褒めてくれた。
俺は幸せでたまらなくて、そんなときについ昔の不運を思い出すとすぐに泣きそうになるから、それをごまかしたいのもあって、おいしいワインをたくさん飲んだ。
俺には人に褒められるとさらに酒がすすむという悪癖がある…
出来上がったケーキはヒミズさんのディナーのデザートを飾らせてもらえた。
ケーキはヒミズさんのおかげでとてもうまくできた。店長もアンドーさんも美味しいと言ってくれた。上出来だ。俺が思い描いていたとおりになった。
ああ。幸せな一日。とても幸せだ。
こんな日が、俺を待ってくれていたなんて。
…で、今、ここ。
ワインの飲みすぎで気分が悪い。
アンドーさんのいるゲストルームのドアを死ぬ気でノックしている。どうやってここまで辿り着いたかも覚えていない。
何度か試してみて、反応がなかったら大人しく自分のゲストルームへ帰ろう。ここまで酔ってしまった俺が悪いんだから…
と、ドアが開いた。ふあん、と花のような甘い香りがする。
「あら、春川ちゃん大丈夫?…じゃ、ないみたいね。」
助かった!…でもきつくて顔を上に向けられない。
「…は… …ずいばせん…『ウコンの力』とか…あいまふか…」
口にして、ロレツの回らなさに改めて自分の酔っ払い具合を自覚させられる。これは、いかん…
アンドーさんは笑った。
「『ウコンの力』は無いわよ!あたしはコンビニじゃないんだから!」
ひい…大声が頭に響く…
「…明日 …ヒミズさんの買い出しに付いて行く、つもり、だから…朝までになんとかお酒を、抜き…たくて……」
ああちょっと…
少し喋っただけで自分がどんどん限界へと近づいていくのがわかる…
「とにかくお入りなさい。お水とポカリをあげる。五苓散 っていう漢方でよければ持っているわ。それを飲んでから、たくさん水分を摂りなさい。」
…たすかった…
よくわからないけどコレたぶん助かった…
抱き付くようにしてアンドーさんにしがみつくと、世界が突然ぐるんと廻って、俺の意識は、そこで途絶えた。
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「…なんで抱っこしてるの。」
咲伯の声に、春川ちゃんを抱えたままドアから顔を出すと、薄暗い廊下の壁にもたれた咲伯がこっちを見ている。
「あんたもまだ着替えてないの?」
「着替える前に『荷ほどき』したかったのお。」
咲伯はふらりと壁から離れ、こっちへ向かってきた。やれやれあちらもそうとう飲んでいる。
「ハルの部屋にいなかったから冷水の部屋に行ってバトってきた。」
なんですって。
…それは興味深いわね。
咲伯はあたしたちの前まで来ると、あたしにお姫様抱っこされた春川ちゃんに手を伸ばし、春川ちゃんの鼻を人差指の先でちょいちょいっと優しく撫でた。
春川ちゃんはすでに意識を失くして寝息を立てている。咲伯にちょいちょいされて、くすぐったそうに少しだけにやけた。
「冷水に荷ほどきされたのかと思ったぞ、ハル~。」
「冷水とバトったって、なに言ってきたの?」
いけないわ。
またいけないワクワクがこみあげてくる。
今日は咲伯の嫉妬モードと冷水の余裕モードに一日中ワクワクが止まらなかった。
夜もだいぶ更けてきたから、もうおやすみしようとお肌にローズウォーターを吹きかけていたところだったのに。
春川ちゃんが身に着けている黒の礼服は少し乱れて、セットしてあげた髪も頭頂部がぐしゃぐしゃに壊れている。
礼服は、咲伯と冷水とあたしで示し合わせて、春川ちゃんに内緒でバースデープレゼントとして用意していたもの。細身の黒のシングルスーツで、あたしが見立ててあげたおかげで靴のサイズまでピッタリ。
そして、白いシャツの襟元からは赤い痣がのぞいている。
春川ちゃんからは見えない角度にあるそれは、冷水がつけたキスマークにほかならない。
…これを見つけた時の、咲伯のあの顔。
あたしは春川ちゃんの髪をセットしに行ったときにすでに気づいていた。
それより前、買い出しから帰って来た時の春川ちゃんの服装の微妙な変化にもあたしは気づいていたのだけれど、まさかそこまで『進んで』いたとは思わなかった。
春川ちゃんは、出ていくときは来ていなかったハイネックの白いカットソーをネルシャツの下に着こんでいて、ネルシャツも、出ていくときにブルゾンから見えたものとはチェックの幅がちょっとだけ違っていた。パンツだって、素材が少しだけ上等になっていた。
―― 冷水が見立てて買ってあげたのね。どんな顔して選んだのかしら、見たかった。
そこに気づいたときにあたしが思ったのはその程度。
焼き豚入り豚骨ラーメンに夢中になっていた咲伯は、気づいていたのかいなかったのか。
ディナーの直前、セットを完璧にきめたお人形さんみたいな春川ちゃんをリビングへ連れて行くと、案の定咲伯が笑顔で近づいてきた。
咲伯もすでに濃紺の礼服に着替え終わっていて、『財閥の御曹司』さながらの迫力のあるルックス。カフェでやったら間違いなく女性客が倍増する。
「よく似合うね…」
慣れない礼服にどぎまぎする春川ちゃんに手を伸ばしかけて、一瞬その手が止まった。
瞳にぎらん、と光が灯る。
春川ちゃんが恥ずかしそうに頭をかこうとしたので、あたしはその手を取って『きをつけ』をさせた。「セットが壊れちゃう」「んっ、すみません」
咲伯はかまわずに、まず、落ち着いた光沢があるシルバータイを触った。
「…へえ…」
襟元を指で確認して、
「サイズもピッタリ…。…ね?冷水。」
ダイニングテーブルでディナーのセッティングを終えかかった冷水を振り返った。
冷水はそれを無視し、「春川。」テーブルの真ん中の椅子を引いて春川ちゃんを誘導する。
春川ちゃんがテコテコ歩いて、着慣れない礼服の裾を気にしながら椅子に腰かけた、その瞬間。
冷水も気づいたのだろう。冷水は、顔を上げて一瞬だけ咲伯を見た。
その瞬間、二人の間にばちんと火花が散ったのを、あたしは見逃さなかった。
冷水が口の端をちょっとだけ吊り上げて、余裕の笑みを作ってみせたことも。
冷水はすぐにセッティングの仕上げに戻り、何事もなかったかのようにキッチンへ移動しようとして…端の椅子に足を取られて軽くつんのめった。珍しく。
「あ、大丈夫ですか。」
春川ちゃんの自然な気遣いを無視してそのままキッチンへ戻って行ったけれど…例のごとく耳まで赤くしていて…非常に萌えた。
咲伯はもうそんなふうには思わないのかしら。うふふ。
ディナーの最中、咲伯とあたしは春川ちゃんの絵画作品を褒めちぎった。特に咲伯は。
「ぼくの目に狂いはないから、ハル、きみは最高の芸術家になるよ。ぼくが保証する。」
春川ちゃんはすっかり恐縮して、でも嬉しそうに何度も何度も感謝の言葉を口にしながら、咲伯から注がれるままにワインを飲み続けた。
冷水のディナーはワインが本当によく引き立つ。
デザートは春川ちゃんがあたしたちのために焼いてくれたチョコレートケーキ。
洋酒とラムレーズンがしっとりとしたスポンジによく合って、あたしと咲伯はこれまた口々に賞賛を送った。本当においしかったのだ。
「上出来です。春川。」
普段他人を褒めることのない、口数少ない冷水がそう言った瞬間、春川ちゃんはみるみる顔を赤くした。お酒のせいだけじゃない。大きな瞳も潤んでいた。
「…ありがとうございます。…冷水さんの、おかげです。」
咲伯に繰り返し言っていた『ありがとうございます』との、そのあまりの重みの違いに、咲伯が思わず口を尖らせたのもあたしはちゃんと見逃さずにおいた。
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